パンダの知略
20XX年、国際生物進化論学会の会場は万感の拍手に包まれていた。フランスボーヴァル工科大学のアントワーヌ教授が驚くべき学説を提唱したのだ。それは、なぜパンダはかわいいのか?という人類最大の謎に終止符を打つ斬新且つ理に適ったものであった。
遡る事、20万年前ーーーパンダ一族は存亡の危機に立たされていた。
「長、我々パンダ族はまだやれる筈です。可能性を追求しチャレンジすべきです。このまま座して滅ぶのを待つなど、わたしは反対です」
シャンの言うことも一理ある、一族の長、タンは思った。なにより可能性を見極めた上での決断でなくては、それこそ一族の存亡を早める事にも成りかねない。かつて隆盛を極めたパンダ族であったが、近年のライフスタイルの変化による晩婚化、少子高齢化、他の種族達の勢力拡大による生活圏の縮小の影響で頭数が減ってきている。思案するタンにシャンが言葉を継ぐ。
「長、可能性を探りましょう。各地を旅して生きる術を探るのです」
「うむ。シャン。わかった。旅に出よ」
「はい!長、お任せを。必ずや活路を見出して帰ってきます!」
シャンは早速、シャオレイ、リーシン、ランカンを集め、長に話したことを皆に提案した。
「どうだろうか?」とシャンが問う。「ああ、賛成だ」と真っ先にリーシンが決断する。「そうね、皆で協力すべきだわ」とシャオレイ。「やるべき、いや、やらなくてはならないな」とランカン。
即座に同意したリーシンは行動も早い。
「俺は早速、明日、東に発つ。東の大陸では茶の一族が陸の覇者として君臨していると聞く。彼等から生きる術を学んでくる」
「ありがとう、リーシン。皆も準備ができたら順次、旅路に着いてくれ」
リーシンは一路、東に向かった。海はイルカや鯨の定期便を乗り継ぎ渡り切った。大陸は、大きな山々が連なり、モミや松、カエデなどが混合した森が茂っていた。森を歩いていると
「ヘイ!ユー!どこから来たんだい?」
と話しかけられた。振り向くと、そこには茶の一族と思しき者が一匹。体はリーシンより一回りデカい。内心、圧倒されつつ、平静を取り繕い「西の大陸から来たパンダ族だ」と答えた。そして「茶の一族の者よ、訳あって、ここの大陸までやってきた。まずは話を聞いてもらえないだろうか?」と用件を切り出した。
「何やら訳がありそうじゃないか?OK、まずは、話を聞くとしよう」
と応じてくれた。茶の一族の者はグリズリーのテッドと名乗った。リーシンはテッドに今、パンダ族が危機に瀕していることを包み隠さず話した。そして何か生きる術を獲得しなくてはならないことも。
「だから、テッド、ここでの暮らしを教えて欲しい」
「我々のライフスタイルを知りたいってことだな。ノープロブレム、リーシン。明日、一緒に川へ行こう。この時期になるとサーモンが川に上ってくる。そいつを捕まえるのさ」
と、快く受けてくれた。
翌日、テッドと川に来た。水流により角がとれた無数の石が河原を覆い、清流が流れている。川には、所々に段差があり、落水が生じている。
「いいか、リーシン。大事なポイントは段差だ。そこをサーモンが上がろうとすると、水面からジャンプする。そいつをキャッチするのさ!」
と言って指で空に弧を描いた。ヒューと口笛で効果音をつけながらその指をパクッっと口で咥え、どや顔でリーシンを見つめる。
「・・・」
「・・・OK、いいか、見てろよ、リーシン」
と、テッドは川に入り段差の横に構え、鮭が跳ねるのを待つ。すると、バシャっと鮭が水面から飛び出る。そこを狙い澄ましたようにテッドが噛み付く。首を振り鮭を河原に投げる。バシャ、ガブッ!ヒョイ、と難なく二匹目を捕える。
「ま、こんな感じだ。リーシン、お前もやってみな!」
「よし。やってみよう」
とリーシンが川に入り、テッドと同じように鮭を待ち構える。来た!鮭が水面から飛び上がる。アッと思う間に鮭は水面に消える。バシャ、ポチャン、ガブッと空振る、バシャ、ポチャン、ガブッ。バシャ、ポチャン、ガブッ。駄目だ。ガブッとやろうと思った時には既に鮭は水の中だ。
「ハハハハッ!ドントマインド!何事も練習だ。ディナーのサーモンが獲れなかったら、山でドングリのフルコースも悪くないぜ」
とテッドは励ましてくれたが、リーシンは諦めの境地にいた。リーシンは一族の中ではそれなりに身体能力はある方であった。つまり、もはやパンダ族の限界なのだ。魚を獲る術は諦めた方が良いかも知れない。
ランカンは西方に向かっていた。オアシスの都度、ラクダを乗り継ぎ、ようやっとの思いで砂漠を乗り越え、低木と草の繁る大地へ辿り着いた。
そこには、これまでに見たこともない長い首を持つ馬や長い鼻を持つ巨大な獣など、あらゆる種の動物がいた。だがこの地域ではパンダ族の言葉が全く通じない。途方に暮れていると、何やら動物たちに緊張が走る。捻れた形の角を持つ鹿が飛び跳ね走り出す。白黒の縞模様をした馬も何かを察知し一斉に逃げ出す。ランカンは状況が把握できず戸惑っていると、低木の茂みの影から巨大な猫が猛スピードでランカンに向かってきた!危機を察知したランカンは、咄嗟に立ち上がり威嚇のポーズを示した。たじろいだ巨大猫は慌ててランカンから逃げていった。
危なかった。何もしなければ喉元に噛みつかれていたかも知れない。恐らくは無事ではいられなかったであろう。危険が去ったことを認識したランカンは、改めて周囲を観察した。すると草原には小さな黒斑の猫、木の上には黒の輪の紋をした猫などがいるようだ。先ほどランカンを襲った巨大猫は草原で群れを成しその中心には立派な立髪を備えた猫が君臨している。どうやらこの地域は猫族が支配をしているようだ。残念だがここでパンダ族にとって有益な知恵は得られそうにない。ランカンは傷心し、帰国の途についた。
シャオレイは鬱蒼と茂る森の中にマレーグマと一緒にいた。森で道に迷ったシャオレイにマレーグマが親切に声をかけてくれたのだ。名はパチャラと言う。
「そっか。シャオレイは一族の生きる知恵を探す旅をしているんだね。すごいなぁ」
「ありがとう、パチャラ。旅をしているのはワタシだけではないのよ。他にも三匹がそれぞれ東、西、北へと旅をしているのよ。ワタシは南の担当。それでパチャラに出会ったってわけ」
「わかったよ。是非協力させて。この森は食べ物はたくさんある。明日とっておきの場所に連れて行ってあげるよ。今日はこの大きなシイの木の下で眠るといいよ。明日迎えにくるよ。おやすみ」
「ありがとう、パチャラ。おやすみなさい」
翌日、パチャラが迎えにきてくれた。
「おはよう、シャオレイ!今日はフルーツを採りにいこう」
「フルーツ!楽しみだわ!」
パチャラに着いて、森を歩くと、まるで木の様な大きな草が茂る場所に着いた。「ここはとっておきの場所なんだ。見てて」と言ってパチャラは大きな草に登り始めた。見るとその先には細長い三日月の様な形の果実が連なり束になっている。「いいかい、これを下に落とすよ」と言うとその束を爪で草から切り落とした。
「さ、食べてみて。バナナって言うんだ。口に合うかな?」
「ありがとう。いただくわ」
バナナを口にすると、これまで味わったことのない甘味がシャオレイの口の中に広がった。
「バナナってなんて美味しいの!」
「まだまだ沢山あるから遠慮せず食べてね」
シャオレイはバナナを夢中で頬張った。これはパンダ族の国に持って帰る良いお土産ができた、良い報告ができそうだ、とシャオレイは思った。
シャンは北に向かっていた。白の一族から北の地で如何に生きているのかを学ばなくてはならない。
無数の流氷の浮きまるで陸のようになった海を歩いていると、小さな白い生き物を見つけた。何かの種の赤ちゃんの様だ。顔は丸く目は真っ黒で鼻の周りも黒い。まるまると太った小さな体でよちよちと氷の上を懸命に這っている。
な、なんて可愛いんだ。シャンはその可愛さに心を奪われた。
「や、やあ。僕はパンダ族のシャン。君は?」
「ちゅっぴっ、ちゅっぴっ」
「チュッピと言うのかい?」
「こんにちは、パンダのシャン。わたしはこの子の母のゴマフアザラシのウナンよ。そしてこの子はチュピク」
「こんにちは。ウナン、チュピク。僕はパンダ族が生きる術を探す旅をしているんだ。ここには白の一族がいると聞きます。ご存知ないですか?」
とシャンが言うと、ウナンは悲しそうな困った様な顔をした。
「あの・・・変なことを聞いてしまったのかな?何か事情があるのですか?」
とシャンが言葉を継ぐ。すると
「そうね。白の一族、つまりホッキョクグマは私たちにとっては良くない存在だわ。彼らは私たちを襲うもの」
襲う?つまり・・・考えに至り、シャンは言葉を失った。自然の摂理とはいえ、シャンは感情的に受け付けられなかった。こんなにも可愛いゴマフアザラシの赤ちゃんを襲うなんて!
「ウナン。チュピクが一人前になるまでは後どのぐらいかかるの?」
「あと三週間ほどで一人で魚を取れる様になるわ。大人のアザラシになるまでは3年ぐらいかかるけど、魚を一人で取れる様になれば、私たちは一人で生きていくわ」
シャンはしばらく考え込んだ。そして
「ウナン、あと三週間、僕も一緒にチュピクを守ります」
「まあ!なんてことなの!嬉しいわ!でもホッキョクグマはシャンの倍近い大きさよ。無理はしないで」
ウナン、チュピクと行動を共にすることにしたシャンは、完全に旅の目的から逸脱した。本来なら白の一族からゴマフアザラシを捉える術を学ばなくてはならない。しかし、黒々とした無垢な瞳、丸い顔。こんなに可愛いチュピクを襲うなど無理だ。大いなる矛盾を抱えながら日は一日、また一日と過ぎていった。
そして、その時は唐突に来た。
「チュピク!逃げるわよ!」
とウナンの悲鳴にも似た叫び声が耳に突き刺さった。見ると、一頭のホッキョクグマがすぐそこに迫っていた。シャンは走り、進路を塞いだ。
「なんだ貴様は。見ない顔だな。そこを退け」
「パンダ族のシャンだ」
「ふん。よそ者か。ゴマフアザラシの赤子の様な白黒の柄をしやがって。もう一度だけ言う。そこを退け!」
「退かない」
「そうか。警告はした。責任は貴様にある」
と言ってホッキョクグマは立ち上がった。デカい!確かに倍近くあるかもしれない。
グガァーと咆哮が聞こえた刹那、シャンはホッキョクグマに体当たりをされ吹っ飛ばされた!
飛ばされ雪に塗れたシャンは体を起こし、ウナンとチュピクを探した。マズイ!ホッキョクグマが勢いそのままにチュピクに向かって突進している!
シャンは無我夢中で走り出した。が、慣れない雪に足を取られ転んでしまった。身を屈めるとパンダ族独特の丸いフォルムによりコロコロと転がる。転がると雪が纏わりつき丸いフォルムが大きくなる。コロコロ、コロコロと雪だるま式に大きな塊になったシャンがホッキョクグマにぶつかる!ガッザーと言う轟音と共に雪の塊が破裂し、ホッキョクグマが吹き飛ぶ!偶然の産物だが、雪の塊から飛び出したシャンは
「お前に、チュピクは襲わせない!」
と叫び立ち塞がった。ホッキョクグマは戦意を喪失したのか「ふん。良いだろう。他を探すまでさ」と言い残し去っていった。
「ウナン、チュピク、大丈夫かい!」
シャンが二人に駆け寄る。
「シャン、ありがとう!怖かったわ。でもお陰で大丈夫よ」
とウナン。
「シャン、シャン!」
とチュピクはまだ言葉が発せないが必死に名前を呼んでくれる。三人は雪の中、無事を喜びあった。
「長。四名とも無事戻りました」
「良く無事に戻ってきた。ご苦労であったな。では早速聞かせてくれ」
まずは東の大陸に行ったリーシンから報告した。
「リーシンです。わたしは海を超えて東の大陸のグリズリーより鮭の捕り方を教わりました。しかしながら我々パンダ族にあの様な速さで動く魚を捕まえるのは困難と思われます」
「そうか。ご苦労であった」
長は冷静に報告を聞いている。
「ランカンです。わたしは砂漠を超えて西の大陸へ参りました。かの地は獰猛な猫族が支配する世界でした。そしてそのヒエラルキーに我々の同族はおりませんでした。そこからの学びは少なく、良いご報告はありません」
「そうか。ご苦労であった」
「シャオレイです。わたしは南の森に行きマレーグマよりバナナと言う果実を教わりました。持ち帰った苗を育ててみましたが、温かな気候でないためか、この地では育ちませんでした。残念です」
「そうか。ご苦労であった」
「シャンです。わたしは北の地でホッキョクグマより生きる術を学ぶ予定でした。しかしわたしには無理でした。彼等が狩る動物があまりにも可愛くて・・・。ゴマフアザラシの赤ちゃんだったのですが、ちょうど我々パンダ族の様に丸い顔に黒の瞳、黒の鼻を持っており。ああ、思い出すだけでその可愛さに心が奪われる・・・。あろうことかわたしはホッキョクグマからゴマフアザラシを身を挺して守ってしまったのです」
「そうか。皆、ご苦労であった。他の一族の真似をしようとも簡単にはいかぬと言う訳だな」
「長、良いご報告ができず申し訳ありません」
「いや、そうでもない。シャン、お前の報告は大変興味深い。ゴマフアザラシの赤ちゃんが可愛いくて守ってあげたくなってしまった訳だな」
「はい」
「その姿は我々に似ているのだな」
「はい」
「では、我々も可愛さを武器にしようではないか!徹底的に可愛さを身につけるのだ!」
「長、つまり、それは?」
「ふむ。つまりは我々が可愛くなればきっと守ってあげたい!と思う者が現れる。そいつらを利用して我ら一族は生き延びていくのだ!」
こうしてパンダ族は徹底的に可愛さに特化した動物となる道を選んだのである。
(終わり)