新たな魔王
本のページをめくる音が好きだった。
それは物語に触れる音。それは物語を進める音。
それは物語の足音。それは物語が鳴らす音。
「ん?いや、最後のは違うか」
ページをめくる音を聞くためだけに借りたのだが、いつの間にか読むのに夢中になっていた。
分厚いだけだったはずの本を置き、黒板の傍の時計を見上げる。
時計の針は17時半を指していた。俺はこういう時にスマホを見るやつにはなりたくない。
せっかく教室には時計があるのだから使わなきゃ時計さんが可哀想だろ。
「そろそろ帰るか」
教室の明かりを消し、下駄箱へ向かう。
「うっわ、さっむ!」
12月の冷えた空気が頬に刺さる。自転車のサドルは氷のように冷たくなっており、座るのは諦めた方がいいみたいだ。うっすら霜が張っている。
街灯の薄明かりに照らされた道を時速20キロ程で駆け抜ける。時折、明かりが無くなっていて道が見えにくい場所がある。
「あーくそ、ライトが切れた」
そういえばここ数年、自転車のライトは変えていなかった。
この時はまぁいいかと思い特に気にしてはいなかったが、これが俺の人生において最大の、そして最高に不思議な間違いの始まりだった。
あっ、死んだ。きっと誰もがそう思ったことがあるだろう。でも、実際は大したことはなくて軽い笑い話程度にしかならない。そう、本来は笑い飛ばせる話になるはずだった。
「あっ、死んだ」
目の前が真っ暗になった。いや、この場合はとても明るくなったの方があっているだろう。
気づいた時にはもう遅く、トラックは既に数センチのところにいた。
この明かりがトラックのヘッドライトなのか、俺を導く天国の光なのかはわからない。
ただ、確実に笑い話にならないレベルの「あ、死んだ」であった。というか、死んだ。事実死んだ。ライトが切れた自転車にトラックは気づかず衝突し、俺は死んだのだ。
──しかし、何故だろう。痛みがない。何も感じない。いや、感覚はあるのだが。
「......感覚がある? じゃあ俺まだ生きてるってことか?」
訳が分からない。困惑していると突然背後から声が掛かる。
「あなたは生きてはいませんよ。ただ、亡くなられた訳でもありません」
掛けられた声に驚き振り返ると異様な光景が広がっていた。辺り一面何もなく、上も下もわからないほど真っ白な空間に彼女はいた。ガラス細工のように繊細な蒼く長い髪に、シルクのように白く艶やかな肌。そして俺を見据える底知れぬほど深く青い瞳。女神を見たことはないが一目で女神だと確信されるほどの完璧な美少女がいた。
「......っ! あ、あなたは? それに生きてもなければ死んでもないってどういう?」
「あなたが死ぬ前に私があなたの魂と肉体を切り離しました。そして魂だけこの空間に閉じ込めたんです。そうですねぇ、簡単に言うとぉ、あの世とこの世の狭間を彷徨っちゃってるわけですね♪」
彷徨っちゃってるわけですね♪ じゃないんだよ。今さらっととんでもないこと言ったよこの人。
「ん?ちょっと待ってくれ。死ぬ前に魂と肉体を切り離したってことは俺の肉体はまだどっか
にあるってことか?というかそもそも何でこんなことを?あとあなたはいったい?」
質問してばかりの俺に少しムッとした表情を見せ、その少女は続ける。
「うーん、察しの悪い人ですねぇ。何故魂と肉体を切り離したか考えればすぐに分かりませんかぁ?まぁいいです。お見せした方が早いでしょうし。」
「そんなことより、あなたはいったい──」
──俺の言葉に被せるように少女が手をかざすと、頭の中に映像が流れ込んできた。
なんだこれ? 道路とトラック? 周りは暗くてよく見えないがトラックの脇にはひしゃげてほとんど原型はないが見覚えのある自転車が落ちている。そしてその横にそれはあった。
「......っ!!」
「あっ、見えましたぁ? あそこにゴロゴロ転がってるのがあなたの肉体です。トラックに轢かれてぐちゃぐちゃですね♪」
またとんでもないことを軽く言ったよこの人。ぐちゃぐちゃですね♪ じゃないんだよ。
それよりもこの人の不幸を愉しげに語る悪魔のせいで忘れかけてたけど、俺はトラックに轢かれたんだった。だんだん状況がわかってきたぞ。そうだ、これはつまりあれだ。異世界転生というやつだ。なんだろう、そう思うとちょっとワクワクしてきたな。
「そんなに落ち込まないでください」
別に落ち込んでない。むしろワクワクしている。
「言ったじゃないですか、まだ魂が完全に消滅したわけではないんです。それに私はあなたを生き返らせることができるんですよ♪」
待ってたぜその言葉!!
「ほんとか!? ほんとに生き返れるのか!?」
興奮気味に聞き返した俺に少し驚いた様子の少女。
「は、はい。ただし全く別の人間として、別の世界で1からやり直してもらいます」
「まかせろ」
「そんなこと言っても元の体はぐちゃぐちゃなので戻った瞬間死んじゃ.....え? まかせろ?」
俺の返事が意外だったのか、蒼い瞳をぱちくりさせながらこちらを見つめている。
「ああ、まかせろって言ったんだ」
「え、あ、で、でもやり残したこととかないんですか!? だってリセットですよ!? 今までやってきたこと全部が!! ほんとにいいんですか!?」
やり残したことなんてない。強いていうなら読みかけの本の続きが気になるくらいか。
「大丈夫だって、それにそもそも選択肢なんてないだろ。俺の体ぐちゃぐちゃなんだし」
そう。断ったところで待っているのはトラックに轢かれてぐちゃぐちゃになった俺の体だけ。選択肢なんて最初から一つしかないのだ。
「それはそうですけど、こんなあっさり......。コホン!」
少女は少し間をおいて軽く咳払いをした後、今度は落ち着いた声で続ける。
「かしこまりました。ご協力、心より感謝申し上げます。それでは貴方の第二の人生がより良いものとなりますように。」
そう言うと近くに来て俺の頭にそっと手を乗せた。
「あれ? なんだ......これ......。なんか......力が入らない............」
薄れゆく意識の中で少女の声が聞こえた。
「申し遅れました。私の名はラビリカ。またどこかでお会いできることを心待ちにしております。新たな魔王よ」
魔王...? 魔王ってなんのことだ......?
そこで俺の意識は途絶えた。
あとがき
まずはお読みいただきありがとうございます。
皆様、初めましてNunです。
この作品は以前友人と共に書いていたものを、本人に許可を得て私が新たに書き直したものです。1人で小説を書くのは初めてなので、稚拙な表現など至らぬ点も多々あるとは思いますがどうか暖かい目で見守っていただけると嬉しいです。