欲望と覚悟1
明の国、ジギ達が理の国に行く前
テオドルスは武術家であり王の教育がかりを務めたサンラー・ズオンの元にいた
「ほほほ、曲芸師の坊よ。進歩がないのう」
王宮の中庭の地面に膝をつくテオドルスを見てそう言う
テオドルスは自分からこの老人に師事したわけではない。一度いきなり襲いかかり稽古を始めるサンラーに対して応戦してからこの関係が続いている。その日もテオドルスは老人に幾度となく膝をつかされ、最終的には臣下や王宮の人間が集まる中で立ち上がれない状態になるまでこっぴどくやられた。それ以降、老人は毎日決まった時間にテオドルスの前に現れては、彼を強引に連れていき稽古と称して、日が暮れるまで開放しなかった。テオドルスがサンラーに対して何度もこの行動の理由を尋ねても、返ってくるのは拳だけだった。耐えかねたテオドルスは身を隠しても必ずその前に現れ、ユージン王に抗議しても笑って流されるだけだった
「いい加減にしろ、クソジジイ。こっちは老人の暇つぶしに付き合っている暇はないんだ」
テオドルスは息を整えながら、立ち上がる
「ほほ、お前ごときが一体何ができるというのだ」
テオドルスは老人に何も言い返せなかった。彼がユージン王に全てを伝えた今、この場所で急務とするものはなかった。もちろん魔術の研究や理の国への会談についての検討などがあるのだが、それを行ったことはあるが全て否定され最終的に言い返すことが出来なかった
「そうさのう、ならワシに一発入れられたら答えることでしょう。どんな一撃でも構わん。無駄なことを考えるなら今はそれに専念しろ」
サンラーはそう言い終わるとテオドルスへと飛び蹴りを繰り出す。テオドルスはそれ自体を避けることは出来たものの、体制を崩され不利な状態で最終的には何度かの攻防のあと、老人の蹴り技がまともに入り仰向けに倒れる
その状態のままで思考を巡らせる
この老人に一撃入れるのは至難の業だ。これまでに何度か拳を交えたが、掠りすらしなかった。魔術で身体を強化しようとしても、演算を行う隙を与えてもらうことも出来ない。もし演算を満足に行わずに強引に使用した場合、この老人の命を奪うかもしれない。ましてや本気でやったとしてもこの老人を捉えられる保証もない。そこまで考えると自然に笑みがこぼれていることに気づいた。すっかりその気になってしまっていることが愉快で仕方がない。テオドルスは仰向けのまま、サンラーに見えないように手を動かす。テオドルスを中心に霧が発生する。テオドルスは霧が充満するのを待って、姿勢を整える。サンラーの目前まで霧が来た時にテオドルスは霧に紛れて現れる。既に魔力を十全に練っており、自身の最速の速さで手加減せずに飛び蹴りをする。しかし、サンラーはまるで事前に察知したかのようにそれを躱し、その動きのまま回し蹴りをする。霧が晴れる頃にはテオドルスは先程と同じように仰向けで、今度は息を切らしている
「甘いな、霧で目眩ましをしている気なのだろうが、格上の人間に通じるわけがなかろう。それに今回はあえて待ってやったが、こんなつまらん魔術を使う隙など、もう与えんぞ」
完敗だった。霧への奇襲はともかく、全力での肉体強化での攻撃を完璧に見切られた。あのオルゲンやフォルカー、魔人のアバドンにだって通用したテオドルスが唯一まともに戦える術がこの老人には一切通用しなかった
「ただ、相手の命を省みない思い切りの良さだけは評価しよう」
テオドルスはまだ息を整えることすら出来ていない。彼はあの一撃で多くの魔力を使用した。本来魔力量の少い彼にとってはそう何度も続けて全力を出すことは出来ない
「いいか坊、相手を倒すのにおいて力や速さが絶対ではない。今のお前でもワシに一撃を入れることはそう難しないはずだ。少なくともお前の両親はその教育はしていたはずだ」
サンラーは少し休憩にしようと木陰で身を休める。テオドルスはまた仰向けの状態のまま思考を巡らせる
それをユージン王はただ見つめていた。そんな彼にルードウィクは少し鋭い剣幕で問い詰める「おい、あの爺さんはどういうつもりだ。こんなこと毎日して」
「おやルードウィク君、怖い顔をしてどうしたんですか」
「だから、あんたらはテオをどうするつもりなんだよ」
「そうですね。今後の戦いにおいて、彼の成長が不可欠になると少なとも老師はそう考えている」
「それとテオを痛みつけるのは別だろう」
「そうですね。ただ女神と魔王に対抗するためには全ての王が力を集結させても及ばないでしょう。もちろんフェリシア・ベルーナがいたとしても」
「テオがフェリシアみたいになれるってこと」
「いえ、彼女のような人間を期待するのは現実的ではない。ただ彼には魔人を2体葬ったという実績がある。それに期待してしまうのは、仕方がないことだとは思いませんか」
「それはそうかもしれないけど」
「自分の主のあんな姿はあまり見たくないと思いますが、もう少し辛抱して下さい。貴方方の王ならきっと何か道を示すことでしょう」
「あんたなら答えがわかるんじゃないのか」
「いえ何も、既に大きな力のある我々には到達することの出来ない答えがあると私はそう信じたい」
そのユージン王の瞳はどこか熱く優しいものだった。ルードウィクもテオドルスなら何かしてくれるかもしれないという根拠のない期待を否定することは出来なかった
しばらく仰向けになっているテオドルスを見つめているとジギやロゼッタなど他の面々も集まっていた。このところテオドルスは稽古の後に気を失うことが多いので皆それを心配してのことだ
テオドルスはそれが理由かはわからないが、立ち上がり戦闘の構えをした
「ほう、休憩はもういいのか」
サンラーはからかうようにテオドルスに尋ねる
テオドルスは何も答えない。その様子にサンラーは訝しげに見たが、すぐに真剣な表情で迎え合う姿勢をした
「まあ、拳を交わせば分かることか」
テオドルスはゆっくり歩きながら近づく、徐々に歩く速さを上げて、最終的には地を掛ける
そこから放たれた一撃は先程の一撃に遠く及ばないものだった。サンラーはそれを軽くいなして掌底を入れる。テオはそれを左腕を使いなんとかそらす。そうして何度かの拳を交わした後にサンラーの拳がテオドルスの腹部へと入る。テオドルスが苦しそうな声が漏れるがサンラーの腕を両手で抑える。サンラーは左手でテオドルスを突き飛ばす。右腕こそ開放できたが、テオドルスを倒すほどの威力までとはならなかった。今までならあった追撃はなく、サンラーは苦しそうに片膝をついた。その様子に見学していた周囲がどよめく。彼らの目にはテオドルスの攻撃が決まったことは一度もない。
その状態のサンラーにテオドルスは止めの一撃を放つ。サンラーはそれを感知こそしていたがら顔を上げることしか出来なかった。
テオドルスが身体強化の魔術を使用していることは誰の目に見えて明らかだった。周囲から彼を止める声や悲鳴が聞こえていたが、テオドルスは止める素振りを見せなかった
テオドルスの拳がサンラーの顔間近で止まった。そのあまりの拳圧でサンラーの髪や衣服は強風に襲われたかのように逆立った。テオドルスはサンラーの額に軽く拳を当てた
「これで一発だよな」
テオドルスも苦しい表情のなか少し満足そうに言った




