どうも今日は、目が眩みます
一睡もせぬまま迎えた卒業式の朝。起こしに来た侍女から悲鳴を上げられ、一目散に駆けていった彼女が連れてきたのは母と侍女をもう二人。
「……こんなに来て朝食の支度は大丈夫なの?」
「それどころじゃないわ!」
私の疑問は母の一喝によって無きものとされた。
「お嬢様、一旦この温かい布をお顔に当ててください!」
「体も固まってしまわれて……マッサージいたしますから、ベッドに……ってああ! ベッドが真っ二つに!」
「あんたはこんな日になんてことをっ!」
母からは、折角の卒業式を前に夜更かしするなんて何事か、とひどく怒られた。母の怒声を浴びながら、ベッドに復元魔法をかけた。
その後は三人がかりでぼさついた私の頭を直し、隈が目立たないように顔を温められたり、揉まれたり。顔だけじゃなく全身もマッサージされ、この時点で寝かけていた私に、再び母の雷が落ちる。母は私を起こす係らしかった。
「こんなことをしてる間にお迎えが来てしまうじゃない!」
「…………お迎え?」
「ソラニアあんた……まさか聞いてなかったの? 昨晩、どこかおかしいと思っていたけれど、まさか昨晩の話を何も聞いていなかったなんてこと……ないわよね?」
「ゴザイマセン、ソンナコト」
「それじゃあ、母の顔を見て目を見て、同じことを答えなさい。あんたは昨晩、私と旦那様の話を聞いていたかしら?」
「ゴザイマセン、ソンナコト」
ドッカーンと怒り爆発の母を抑えてくれたのは、騒がしい私の部屋まで心配で様子を見に来てくれた、優しい父だった。
「おいおい。そんなに怒っている時間はないぞ。まだ朝食すらとっていないのに。先に着替えて、汚れずに食べられるものを口に突っ込まなければ間に合わなくなる」
訂正。父も優しくはなかった。
それもそうだ。鉱山持ちは色々なところから狙われやすい。父は幼少期から誘拐されまくって、いつ狙われても反撃できるようにと魔法もさることながら武術まで鍛えた筋骨隆々なたくましすぎる父だ。
そして姉さん女房である母は、超武闘派と名高い家の出身で口より先に手が出るタイプ。しかもその拳には炎やら雷やらの魔法をまとってるもんだから、当たれば大怪我間違いなし。
今でこそ、おほほほと笑っているが、私が幼い頃は母からその武術と魔法の扱いを叩き込まれものだ。そのおかげで、男子生徒三人を撃退出来たのだけど。
三歳下の弟は、私の通う魔法学園ではなく魔法騎士の養成学校に行っている。魔法の成績は中くらいらしいのに、武術剣術はぶっちぎりの一位なんだと。
こんな一家で育って、公爵家に相応しくお淑やかな女性になんてなれるはずがないんだ。フルール様のような滲み出る優雅なんてのは夢のまた夢だ。
あんなに綺麗なエデルガー先生の隣なんて、最初から立てる器じゃなかったのだ。
「ほら、しゃきっとしなさい! 折角のドレスが暗く見えるでしょう!」
「いいよ……どうせ着飾っても美人にはならないんだし」
「何言ってるの! 確かにソラニアは美人ではないけど、私達にとっては世界一可愛い娘なのよ! 女は愛嬌と度胸と忍耐力! 自分は一番このドレスが似合う女なのだと自信を持ちなさい!」
そんな根性論でどうにかなるものなのかな。
「ソラニア、母さんの言う通りだ。ソラニアは可愛い。それはもう世界一」
「お父様とお母様からしたらね」
「二人もお前が世界一可愛いと言ってるんだ。自信を持て」
変な理屈だ。でも……元気は出た。両親はどんな時でも前向きで。そのおかげで、私もヘコたれ過ぎずに過ごしてこられたのかもしれない。
「……ありがとう。ごめんなさい、昨日は話を何も聞いてなくて」
「本当にもう! 大事な日だというのに、何をしているの。お待たせしてはいけないのだから、早くしゃきっとしなさい。可愛い顔が台無しよ」
「はーい」
侍女にいじくられまくった私は、そこそこに可愛い令嬢になれたと思う。
「このドレス……エデルガー先生からよね?」
「もちろんよ。ソラニアにとても似合っていて可愛いわ。お忙しい中、テルネッド様が直接お持ちくださったのだから、ちゃんとお礼を言っておきなさいね」
直接持ってきた、と聞いて驚いた。たぶん昨日も説明してくれたのだろうけど……本当に何も聞いていなかったんだな。しかし徹夜明けの頭は上手く回らない。回らないながら考えた。
……お迎えって何のことだろう?
「ねぇ、ところで、さっきから言ってるお迎えって……」
その答えは、私が疑問を全て口に出すより先に我が家の執事によってもたらされた。
「失礼いたします。エデルガー公爵家の馬車が到着されました」
あんぐり開けた口にパンが放り込まれ、高速で噛んで飲み込んだのは言うまでもない。
「おはよう、ソラニア」
「おはようございます、エデルガー先生」
「良かった。ドレスはぴったりだったみたいだね。よく似合っているよ」
「……ありがとうございます」
謝辞を述べて頭を下げれば、その視線の先にはスッと差し出される美しい手。
ああ、この手の平からありとあらゆる魔法が発動するんだなぁ、なんて感慨深く眺めていると……
「ほら、頭を上げて私の手を取って」
「え?」
「今日の君のエスコートは、婚約者である私の役目だろう?」
エスコート……役目……は、婚約者のもので。
いや、違う。だって彼には、エスコートを頼まれている人がいるはずで。でも、婚約者のエスコートをすることは合っていて……あ、そうか。私が断らなかったからだ。いや、でも、そもそも、どうして彼がここにいるの? 一度だって、学園には一緒に行ったことがないのに。
「ソラニア?」
「おほほ、申し訳ございません。どうやらソラニアは昨晩、夜更かしをしてしまったようで、まだしっかりと目覚めておりませんの」
「そんなに? それじゃあ、馬車の中で少し眠らせよう」
「いいえいいえ、とんでもございません。ほら、ソラニア、しゃきっとしなさい、しゃきっと!」
母からベシッと腰を叩かれ、反射的に背が伸びる。
「はい! おはようございます!」
いけない。本当に頭が回らない。
「ふふ。まだ時間にゆとりがあるから、ゆっくり行こうか」
「申し訳ございません。折角来ていただいたのに」
「いや、いいんだ。それでは行って参ります。ほら、ソラニアも挨拶を」
「行ってきます」
「行ってらっしゃいませ」
両親に見送られ公爵家の馬車に乗り込む前に、そう言えば、昔もこうやってエデルガー先生に促されて挨拶をすることがあったな、と思った。それは公爵家のご親族の方の前だったり、魔法協会の方の前だったり……色々だったけど、いつもエデルガー先生が優しく促してくれるのだ。
ほら、ソラニアも挨拶を、と。
それが緊張しながらも嬉しかったんだよね、と思い出しながら、馬車に乗り込みエデルガー先生の隣に座った瞬間には、失礼にも私は目を開けてはいられなかった。
──目が覚めたらそこはもう正門だった。
わぁ、瞬間移動したみたい!
そんな呑気なこと言ってたら、母の雷鉄拳が飛んできそうではある。
完全に寝落ちした私を起こすことなく、ひざ掛けまでかけてくれて肩をお貸しくださったエデルガー先生。
は、恥ずかしい!
目を開けた瞬間、窓から差し込む朝日に照らされた美貌が目の前にあって、悲鳴を上げなかっただけ褒めてほしい。しかもやたらとにこにこしていて上機嫌。
いや、普段から微笑まれているエデルガー先生だけど……何ていうか……何となくいつもとは違う微笑みなのだ。
何かあったのだろうか。その答えは分からぬまま、私はエスコートされて馬車を降り、そのまま卒業生の集合場所まで向かう。
そして思い出す。
昨日、恋敵? となるお相手から言われていたことを。朝のパニックの原因の一つでもあるのだから。
「あの……エデルガー先生」
「うん? 何だい?」
「私のエスコートをしていて大丈夫なのですか?」
「え? どうして?」
どうして、って……むしろそれはこっちが聞きたいくらいですけど。
「……エデルガー先生は他の方々にも大変人気ですから、エスコートを頼まれてはいないかと……」
なるべく遠回しな言い方になるようにしたのは、私なりの気遣いだ。
「ああ、頼まれたけれど全て断ったよ」
「ええ!?」
断った!?
「なぜ!?」
「なぜって……私はソラニアの婚約者だよ? 君以外に誰のエスコートをするというの? 断るに決まっているだろう。それに、やっとこの日が来たというのに、この役目を誰かに譲るなんてしたくはないよ」
「……そう、でしたか……?」
「まだ眠いのかな? いつもよりぼんやりとしているね。もっとしっかり眠れるように眠り魔法をかければ良かったかな」
ぼそっと呟かれた言葉は取り敢えず聞かなかったことにした。しかし……朝からずっと様子がおかしい。エデルガー先生はいつも通りの口ぶりではあるが……何というか、色々と距離が近い。
ずっとエスコートで手は握られているし、先程の言い方では……まるで、私のエスコートを先生も望んでおられるように聞こえるのだから。
これは私の願望が見せる夢なのかも。ちゃんと寝ていなかったから、まだ夢心地なのかな。
そんなことを考えていたら、周囲のざわめきが耳に入る。
──ソラニア様のエスコートをエデルガー先生がされるなんて……
──私もエスコートをお断りされてしまったのよ。
──え、でも、婚約者でもドレスの色が……ほら……
ざわつくしかないエデルガー先生の発言に、学園生活を見ていたら考えられない私達の距離の近さ。それだけでも謎だろうに極めつけはドレスの色合い。
そりゃあね、エスコートされるような婚約関係ならば、ドレスも男性側の色……つまりは先生の髪の銀色や、瞳の空色のものを身に着けているはずなのだ。
それが緑に金。謎も謎だろう。私も謎だもの。
でも……例え婚約者としては疑問だらけの立場だったとしても、こんなに美しい人とは釣り合っていなくても、今この場で彼の婚約者は間違いなく私だった。
それに、やっと落ち着いて先生を見てみたら、先生は私のドレスと同じ色合いのスーツだった。深緑に金糸。あまりにもかっこよくて眩しい。
「……エデルガー先生、素敵なドレスをありがとうございます」
「気に入ってくれたかい?」
「ええ、とても。直接お持ちいただいたと聞きました。お忙しい中、ありがとうございました」
「誰かに預けたくはなかったからね。よく似合っているよ、ソラニア。とても可愛らしい」
「あっ……あり、がとう、ございます……エデルガー先生も、とてもかっこいい、です……」
「ありがとう。ソラニアにそう言ってもらえることが一番嬉しいよ」
私……やっぱり夢見ているのかな。こんなにもドキドキとすることが朝からあるのかと疑ってしまうほどだ。
でも、エデルガー先生の手から伝わる温度はちゃんとした現実だ。
ドレスとスーツを見たら、私達は紛れもなく、ちゃんと、婚約者同士だ。それがとても誇らしく……最後の思い出にはもったいないくらい、素敵なものだなと思った。