どうあがいても、天才にはなれません
こうして私は、エデルガー先生には内緒で魔法石と魔力量の関係性について論文を書き上げ、協会へと提出した。
当日、大会会場にはエデルガー先生とフルール様がいた。講評者として呼ばれるだろうとは思っていたのだが……まさかお二人が共同研究していた治癒魔法に関する論分をこの大会に提出しているとは思わなかった。完成はもう少し先になるかと思っていたけど……天才を甘く見ていた証拠だった。
しかも二人が出なければ自分が金賞を狙えるのではないかと思うような、卑怯な考えがあったことを認識させられた。
そんな自分の卑しさに、発表前から落ち込むことになった。
そうして結果発表前……天才二人の共同論文に、周りは金賞は彼らで決まりと思っただろう。私だってそう思った。
でも……諦めたくない自分もいた。
もうこれまでのような惨めさを……子供だからと彼らに取り残されたような惨めさを味わいたくなかった。
しかし結果は……
周囲の予想を裏切ることはなかった。
金賞はお二人の出したもの。私は銀賞だった。
エデルガー先生に次いで、学生の間に単独で賞を取った者は私が二人目とのことだったが……やっぱり私は天才には敵わなかったのだ。
エデルガー先生からは、その日の夜に銀賞受賞のお祝いにと、豪華な花束と手紙をもらった。
本人は祝賀会のため、公爵家からマイクさんが持ってきてくれた。マイクさんはたくさんの称賛の言葉をくれた。あなたがテルネッド様の婚約者でいてくださったことを、心より感謝申し上げます、とまで言われてしまった。
恐れ多いです、と言いながら、エデルガー先生からの手紙を読んだ。
『銀賞おめでとう。論文を読んだが、本当に素晴らしい内容だった。あの論文を一人で書き上げたソラニアにはきっと輝かしい未来が待っているんだろう。私はその未来をずっと応援しているよ。』
手紙を読んで、ふふ、と思わず笑ってしまった。
輝かしい未来が、私には期待されていたとしても……それはきっと彼の隣ではないのだろう。
悲しいけど……これが現実だ。
そう思うのに……往生際の悪い私は、自分で賭けをしたというにも拘らず、踏ん切りがつけられずにいた。マイクさんに婚約解消の伝言を頼んだら良いのに、そうしなかった。
こんなブレるような決意だから、金賞を取れなかったんだと……惨めさと悔しさで一杯になった。
私が銀賞を取ったことは、学園でしばらく話題になった。色んな先生からお褒めいただき、来年から君が教壇に立つのを楽しみにしているよ、と言ってもらえた。
自分の決意の甘さに打ちひしがれていたから、先生達からのお褒めの言葉も複雑な心境で受け取っていた。
そうして、卒業式前日のこと。
一人、廊下を歩いていた私を引き止めたのは、フルール様だった。
「これから少し時間をいただけないかしら?」
彼女の菫色の瞳を見て、私は一つ頷き、黙って彼女についていった。そこは……私が扉を粉砕した空き教室だった。
「ごめんなさいね。卒業式の前に呼び出すなんて」
誰もいない教室。
夕日に輝くのはハニーブラウンのゆるいウェーブのかかった長く美しい髪。私の平凡なブラウンより眩しくすらあるその色。
まっすぐに見つめられる可憐な菫色の瞳と、自身の濃い緑色の対比は誰が見ても優劣つくものだろう。
真っ白なその肌も、細く長い指も、所作も歩き方一つにしても、フルール様は間違いなく、高位貴族のご令嬢で理想の淑女だった。
私がなりたくてなりたくて仕方がなかった、天才の隣にいても誰にも咎められない姿に、眩しさから目を細めてしまった。
「明日の卒業式、私は彼にエスコートをお願いしているの」
エデルガー先生もフルール様も、来賓として式には参加される。来賓者は大体が一人で入場となるが、中には学園に通う自身の子供と入場する場合もあったりする。
お二人はこれまでの卒業式に来賓で来られた際は、別々に入場されていた。
しかし、このタイミングでの入場のエスコート……それはつまり、そういうことなのだろう。
「あなたのエスコートがあるからと言われているけど……あなたには、彼のエスコートを断ってもらいたいの」
「……私から、断る」
「そう。二回もエスコートをするなんて、見たことがないでしょう? それに、そろそろ彼を返してもらいたいし」
「……返す」
「元々は私と付き合っていたのに、いきなり婚約者が出来たからと交際を終わらせなければならなくなったの。悔しかったわ。いくら鉱山持ちの伯爵家だったとしても、婚約者となる本人に、彼の隣に並び立つ力量もないのに。家柄だけでその座につくなんて」
仰るとおりです、と言ったら、怒られるかな。
「だから私は、別れた後も彼の相手には誰が相応しいのかを、自分の実力で証明してきたわ。テルネッドには敵わないにしても、成績は常に次席でいたし……この前の学術大会でも分かったでしょう? 魔法の才能も実力も知識も、そして家柄ですらも、あなたが私に勝てるところなんて一つもないのよ」
学術論文を引き合いに出され、ぐっと喉が詰まった。痛いところをつかれたな、と思う。それを出されてしまっては……決意をしなければならなくなる。
どんよりとした気持ちに押し潰されそうになっていた私に、更に追い打ちをかけたのは、紛れもなくフルール様だ。
「それに……私は明日、銀のドレスを着るわ。この意味、分かるわよね?」
思わせぶりに笑うフルール様は、それはそれは美しかった。
その笑顔と発言の意味に気付くと……私はもう、頭の中が破裂したかのようになって…………
開き直った。
銀色のドレスを着る意味?
分かりますよ。ええ、分かりますとも。
好きな人の色を纏うその意味が分からないほど、魔法バカじゃありませんからね!
卒業式の定番……卒業生は、想い人から贈られた想い人の色のドレスを身に纏って出席すれば、一生幸せでいられる、と。
「卒業式の後、あなたとの婚約を解消して、私との婚約を結び直してもらうように話をするつもりよ。彼は天才だもの。それが理解出来るのも、共有出来るのも……同じ天才と呼ばれる私だけ。秀才のあなたでは超えられない壁があるのよ」
言い切った声は力強く。きっと誰が聞いてもそれは正しいことで……目の前の相手は、天才と呼ばれ、意識せずとも彼に相応しいと認められている。
そんなお方に平凡だった私が対抗しようとするなんて、滑稽でしかないのだろう。
惜しまぬ努力をしてきたつもりだった。でもいつも、彼の隣に立てるようにと頑張ることこそ、やめたかった。逃げ出したい気持ちはいつもあった。
知識や実力を身につけるほど私と彼らとは明確な差があって、どれだけ頑張ってもこの壁は越えられないのだと痛感させられた。
それでも……彼の婚約者は私なのだと言い聞かせ、奮い立たせてきた。天才同士でしか理解しあえない領域に私が踏み込めるはずなどないのに、頑張ることを、やめられなかった。
けれど結局、天才だからと線を引かれ、追いかけることすら否定されるのか。私の十年間は、私にはどうすることも出来ない壁に阻まれて終わるのか。
私は唇を噛んで、耐えた。これ以上、惨めな女だと思われたくなかった。
了承も拒否もしないまま別れ、私はいつの間にか家に帰り着いていた。
自室にこもりたかったが、やけに嬉しそうな母から呼び止められて渡されたのは、見たことのないドレスだった。
そのドレスは濃い緑色の生地に金色の刺繍が施された美しいドレスで、一点ものだとすぐに分かった。
刺繍された花が、エデルガー公爵家の家紋の花だったからだ。魔法を使う誰しもの憧れの花でありながら、これを身につけることが許されるのは、エデルガー公爵家の人間のみ。
本当なら……私はこの花を纏って、一週間後には彼の花嫁になるはずだった。けれどもう、それは叶わぬ夢になるのだろう。
彼の隣には、凡人が秀才となった私のような泥臭い者ではなく、初めから天才として尊ばれるようなお方が相応しいのだ。
この花が銀色であれば、私も母のように喜べたのかもしれない。必死になって手を伸ばして届かなかった金賞よりも、濃緑に煌めく金糸は、私に終わりを告げる色に見えた。
その後、ドレスは母に預け、夕食もそこそこに自室へと引っ込んだ。ベッドに横たわっていると自然と涙が流れた。
思い返すのはこの十年間のことだ。
私の思い出には、いつの時代もエデルガー先生がいる。特に魔法に関することは間違いなく、彼との思い出で埋め尽くされている。
新しい魔法が出来るようになれば、やんわりと笑って私の頭を撫でてくださった。頑張っているね、の一言でどんな疲れだって飛んでいくようだった。
昔を思い出せば出すほど、今の彼との距離を感じずにはいられない。
婚約してから、テルネッド様、と呼ぶことを許されていた。しかし学園に入ってからは、その名を呼ぶことは許されなくなった。
学園内でも、私はその他大勢と変わりない会話しかしていない。いや……出来なかった。婚約者らしきことを口にしようとすれば、彼の眉間に皺が寄せられるからだ。
魔法を扱っている時だけは、私を見てもらえたけれど。
そんな時にしか、私一人をその視界に留めることが出来なかった。
それでも誕生日には毎年プレゼントを贈ってもらっていた。それらは全て、魔法に関する本だ。ここ二年程は今や絶版とされるものを贈ってくれて、すごく嬉しかったけれど……婚約者としてというより、魔法好きな仲間に贈るようなものだなとは、感じずにはいられなかった。
枯れ果てるほど、涙が出た。
楽しかった。嬉しかった。驚いた。勉強になった。
好きだった。大好きだった。
追いつきたくて、その目に私を入れてほしくて。
特別になりたくて。
彼にとって、たった一人の女性に、なりたくて。
たとえ可愛いと言われなくても、好きだと言われなくても。
認めてもらえるなら。手を抜かずに接してもらえるなら。
それだけで良いんだと思い続けて……
エデルガー先生には、大事に、してもらえていたと思う。
恋人を作らないで、という約束を最後まで守ってもらえた。それに気遣う手紙ももらったし、体調を崩した時には治癒魔法をかけてもくれた。
手を抜かないで、という言葉通り、しっかりと鍛えてももらえた。
たくさんの経験をして、たくさんの感情が芽生えて……そして……最後に思うこと。
この十年間の全てが詰まったその思いは……
往生際の悪い私らしく、悔しい、だった。
私は天才じゃない。誰がどう見たって、天才になんか届かない。
それでも少しでも高みを目指して、歯を食いしばって寝る間も惜しんで趣味だって持たないようにして、必死になって食らいついてきた。
そうして手に入れた、今の実力。周囲は私を秀才だと認めてくれている。そう呼ばれるぐらい、努力してきたと胸を張っていえる。
天才が少し悩んで解決するようなことを、何日かかったとしても絶対に正解を導き出してきた。負けたくなかった。譲りたくなかった。
凡人上がりでも、彼の隣に立てるのは、私なんだと言いたかった!
私の十年間をどうにかして見返して、天才だから何が偉いんだ! と叫んでやりたい。
努力して努力して、ここまで登ってきたんだ!
この努力を無駄にして終わるなんて、絶対に嫌だ!
むくりと起き上がった私は、乾いた涙が固まった目をこすり、ベッドの上で拳を握る。そのままベッドに拳を振り下ろしたらベッドが割れた。
寝ている暇なんかないから、ちょうど良かった。
無駄になんてしてたまるか!
どうせ婚約解消になるのだったら、天才じゃなくても天才を一泡吹かせることが出来るのだと、証明してからにしてやる!!
そうして私は、卒業式の前夜、徹夜でとある作戦を練った。明日を最後に、私はテルネッド・エデルガー様の婚約者ではなくなるのだと、唇を噛み締めた。