学園での天才と私
なぜ卒業式の前日に、婚約解消をするために動いているのかというと……それを説明するには、学園生活を振り返る必要がある。
テルネッド様が通った超名門の魔法学園に、彼を追いかけて入学したことが、そもそもの始まりだ。
十三歳から十八歳まで通う魔法学園で、入学してからの一年間だけ、テルネッド様とは同じ学園生として学生生活を送った。
彼は学園でも多くの伝説を残している。
五年間をかけて学ぶ内容を、わずか一ヶ月で全て完了したテルネッド様。しかも初めの一ヶ月はオリエンテーション多めなので、実質ほぼ期間なし。彼が知らなかったことは学園の校則ぐらいだったらしい。
先生方も優秀過ぎて、早々に彼に質問をしに来るぐらいだったそうだ。
もちろん出された課題はその場で即合格。
在学中に各機関の役員に就任されていたので出張も多かったようだが、代わりに提出するレポートは文句のつけようもなく。
飛び級制度がないため在籍を余儀なくされたが、途中からやっていたことは教師陣と変わらず。彼が最高学年で私が新入生の時、彼は指導者として教壇に立たれていて、皆からはエデルガー先生と呼ばれていた。
テルネッド様の初授業の思い出は、入学祝いにと魔法でフラワーシャワーを出してくださったことだ。クラス中から拍手と歓声が沸く中、にこりと笑ったテルネッド様はとてもかっこよくて私には忘れられない思い出となっているのだが……同時に、苦い思い出にもなってしまった。
それは、その授業のすぐ後に、ご挨拶をしようとテルネッド様に話しかけた時のこと。
テルネッド様、と呼んだ私に、彼は何も答えず私の手を引いて教室を出ると、防音と視覚阻害の魔法をかけ、恐い顔をして私へと告げた。
「ソラニア、これから私のことはエデルガーと呼ぶように」
「……エデルガー」
「そう。周りに合わせて呼ぶこと。分かったね?」
「……はい」
それはもう決定事項だった。理由も聞けず、私は彼の名を呼ぶことが許されなくなった。この時、エデルガー先生もどこか焦っているようだったなんて、言われたことへのショックが大きかった当時の私には判別出来なかった。
その後の学園生活は……呼び名を正されたことで必然的に距離をおけと言われていると察した私は、極力、エデルガー先生を視界に入れないように努めた。
見てしまったら、目で追ってしまう。視界に入れたら……辛くなるから。
それに、エデルガー先生も私を見ないようにしていることが伝わってきた。学園で目が合うのは授業中以外無くなったのだ。
彼はとても人気だった。とてもとても、人気だった。
男女問わず人気ではあったが、とくにご令嬢方には大人気で、彼が歩くところにぞろぞろと集団でご令嬢が移動してついていく、というのは恒例の景色であった。
その中でも爵位が高かったり、美人だと有名なご令嬢がエデルガー先生に話しかけ、時には腕を組んで歩いていることもあった。
決して先生から組んでいるわけではないが……ご令嬢方から何をされても、彼は受け身ながら受け止められていた。
ここで腕を組んだりしないでと彼に言おうと思えば言えたと思う。しかし都度更新とされた婚約者からのお願いは……使えなかった。というより、使いたくなかった。
ただの嫉妬で、エデルガー先生の自由を奪うようなことをしてはいけないと思ったから。それと……そのお願いをして、面倒くさいやつだと嫌がられたら自分も傷付きそうだったから。
私が気にしなければ済む話なのだ。
自然と私は集団が見えると避けるようになっていたので、先生とも学園ですれ違うこと自体、早い段階でほとんどなくなっていた。
婚約者でありながら、一番遠い存在の私とは違い、エデルガー先生のご学友にはもう一人、彼と肩を並べる天才がいた。
それは、フルール・エリュアド侯爵令嬢様だ。
彼女は世界でも希少な治癒魔法の使い手だった。
エデルガー先生はもちろん治癒魔法も使えるが、彼ら以外にその魔法を使える方は、この国には現魔法協会の理事長様しかいない。
治癒魔法が使えるというだけでも素晴らしいのに、魔力量も多く、加えてフルール様はとてもお美しいお方だった。ハニーブラウンの髪に淡い菫色の瞳を持ち、その笑顔は華が咲くように美しく、歩く姿は天使が周囲を飛んで祝福しているかのように光り輝いている……なんて言われるほど。
成績優秀。品行方正。容姿端麗。どれだけの称賛の言葉を並べようとも、彼女を的確に表す言葉はない、とはクラスメイトの男の子達が言っていたことだ。
そんな天才二人は学園でも仲が良く、いずれはエデルガー先生も私との婚約を解消して、フルール様と婚約するのではないかとすら言われたりもしていた。
それに……フルール様は、私との婚約が決まった時に、彼がどうすればいい? と聞いてきた当時の恋人だった人だ。
婚約をきっかけに別れたお二人だったが、それからも良好な関係は続いていた。
何より、天才同士。
お互いにしか理解出来ない領域の話をされることもあるらしく、フルール様はあの天才が認めた才女として、周囲からも一目置かれる存在だった。
私が婚約者だということは、学園中の皆が知っていることだったが、誰もそれを祝福してはいなかった。
約束通り、先生は恋人は作らずにいてくれたけれど、婚約者である私よりもフルール様や他のご令嬢方の方が、余程彼に近しい関係だったと思う。
私としては……想像していたよりも周囲からの嫌がらせは少なかったとは思う。通りすがりに、身の程知らず、などと囁かれることはあったし、何度か物を隠すなどの嫌がらせはされたが……
悪口を言われるだけなら無視をしていれば済むし、学園に物を置かずにいれば良いのであまり気にし過ぎないようにしていた。
しかし、一部の苛烈な人達による嫌がらせの中で、直接手を出されたことが二回あった。
一回目は、エデルガー先生が呼んでいると言われてほいほいとついて行った結果、空き教室に閉じ込められてしまったことだ。
施錠魔法をかけられただけなら解錠すればいいだけなので簡単解決だったのだが……一応、出してくださいと扉の向こうにいる私を呼び出した二人組の女生徒に声をかけてみたところ。
「あなたなんかがエデルガー先生の婚約者なんて図々しいにもほどがあるわ。先生のためにも、この場で婚約解消を宣言なさい。先生もそれを望んでおいでよ」
「婚約解消をすると言ったら出してあげるわ。その方がエデルガー公爵家にとっても先生にとっても良いことだもの。公爵家の方々も喜ばれるわ」
と、扉越しにそう言われて……騙されたことよりもエデルガー先生と公爵家の名を出されたことに腹が立った。
もしも誰かがこの会話を聞いていて、万が一にでも先生や公爵家の指示でこの二人が動いているなんて誤解を与えることになってはいけないと思ったのだ。
私だけを馬鹿にするならいいけど、先生や公爵家の名を出すなんて! これは断じて許してはならない!
怒りに震える私は、気付けば扉を粉砕していた。開けた視界に教室から出ると、女生徒二人が尻餅をついていて、震えながら私を見上げていた。
「エデルガー先生や公爵家の名を出して嫌がらせをするなんて最低です! こんなくだらない真似をして、公爵家の方々が喜ばれるわけがありません! その名を使って嫌がらせをされたのだから、それ相応のご覚悟があるということ。このことは、公爵家にも報告させていただきますので」
そう宣言して、扉に復元魔法をかけてからその場を去り、家に帰ってすぐに公爵家に手紙を出した。エデルガー先生はその日は出張に出ていたらしく、手紙を読んですぐに公爵家の執事さんが事情を聞きに来てくれたので、包み隠さず報告した。
翌日には女生徒の二人は停学となっていたが、これに関しては自業自得なので反省すべきだと思った。
そしてその夜には、出張中のはずのエデルガー先生から私宛に手紙が届いた。
『怖い思いをさせたね。ソラニアが無事で良かった。くれぐれも気をつけて過ごしてほしい。守ってあげられなくてごめんね。』
ということが書かれていて、私はその手紙を何度も読み、大事に大事に机の引き出しへとしまった。
そして二回目は、男子生徒三人にまたもや空き教室に連れて行かれた件だ。何かされると分かっていたけれど、こんな私でも受け入れてくれた数少ない友人の名を出されて、渋々ついていくしかなかったのだが……
教室に入るやいなや、防音魔法を教室全体にかけられ襲われそうになったので、すぐに返り討ちにした。自身の服も少し焦がしてしまったが、私の体には傷一つない状態で終わった。
意識を失った三人に土魔法で首から下をガッチガチに固めてから先生を呼びに行った。先生が事情聴取をしてくれたし、未遂に終わったので、公爵家の方々に余計な心配をかけたくなかったこともあり、この一件は公爵家には報告しなかった。
それにまたもや当日、エデルガー先生も出張中だったし、私は家に帰ってから熱を出してしまって説明する暇もなかったのた。
翌日、三人の男子生徒は退学になった。私はその報告を熱にうなされながら聞いた。そしてなかなか熱が引かずに唸っていたのだが……なんと私が眠っている間にエデルガー先生がお見舞いに来てくれて、治癒魔法をかけてくれたというのだ。
これには起きてから両親にどうして起こしてくれなかったのかと詰めたら、治癒魔法に加えて眠りの魔法までかけられたので起こせなかったと言われた。
直接話せなかったけれど……先生の優しさに触れられて、それだけで私は天にも昇る心地がしていた。
この退学以降、私への嫌がらせはほぼ止んだ。
それにはエデルガー先生の出張の日には、代理の方が公爵家から派遣されて来るようになり、この方々が公爵家からの監視の目だと言われるようになったこと、そして私も一人にならないように気を付けたことなどが影響したのかもしれない。
嫌がらせが減ったら、より、授業や演習に集中出来た。友人達とは良好な関係が築けて、切磋琢磨しながら成長していった。
エデルガー先生とは、私の入学と同時にお茶会もなくなったので、私が先生と話すのは授業中だけとなった。ならば、と、その授業中にお茶会以上に気を引き締めて臨んだことで、更に魔法の実力は上がっていった。
授業中だけは……先生が私を見て、笑ってくれるから。皆の前でも、ちゃんと出来たら褒めてもらえるから。
私は、彼に認められるためにここにいるのだと自分を奮い立たせた。こんなものでは足りない。天才の彼に並び立つには、凡人の私にはこんな努力では足りないと、毎日毎日、自分に言い聞かせた。