言い逃げ失敗のその先の、幸せ
それは授業終わりのこと。
「エデルガー先生! 先生はどうして、天才と呼ばれるのを嫌がるのですか?」
今日も、学園で生徒から質問をされる。私はそれに迷わず答えた。
「私の思う天才は、息をするかのように魔法を発動させる人であって、私のような頭で考えないといけない人間は、天才ではないかなって」
「それって、先生の旦那様のような?」
ふふふ、と生徒が笑いながら私に問いかけた直後、ふわりと後ろから抱きしめられた。
「私を呼んだかな?」
どこからともなく現れたテルネッド様に、生徒はキャアーと頬を染めて嬉しそうにしている。
「今日は昼からではありませんでしたか?」
「生徒達からね、君との仲の良さを間近で見たいとお願いされて。朝の用事も早く終わったし、ご要望にお応えして、愛する妻に愛を伝えに来たんだ」
「生徒達から?」
見れば、生徒達は両手を胸の前で組んで、テルネッド様の言葉にコクコクと頷いている。年頃の生徒達にとっては、歳の離れたとんでもない美形が愛を囁く様は目の保養にでもなるのだろうか?
私が学生時代には考えられなかったことだ。
それもまぁ……卒業してから二年しか経っていないのだけど。
「それに、昼食のお誘いにも来たんだ。気分はどうだい? 今日は食べられそう?」
「はい。もうだいぶ調子が良いです。お腹も空きました」
「良かった。こればかりは私の治癒魔法でもどうすることも出来ないから。こんなにも自分が無力だとは思わなかったよ」
そう言いながら、温かい手が膨らんできた私のお腹を撫でる。その手の動きから、テルネッド様がお腹の子を慈しむ気持ちが伝わってきた。
テルネッド様との子供を身籠ってからしばらくつわりがひどかったのだが、最近はつわりも落ち着いてきて動きやすくなった。食欲も戻ってきたので、今日は楽しい昼食が取れそうだ。
「エデルガー特別講師は、エデルガー先生のどんなところをお好きになったのですか?」
私達のやりとりに頬を染めた生徒達は、興奮気味に尋ねてくる。私をエデルガー先生と呼び、テルネッド様をエデルガー特別講師と呼ぶように徹底したのは、他でもないテルネッド様だ。
私がエデルガー先生と呼ばれるのを見ることが楽しみだったのだと、私の受け持つ初授業の前に教えられた。
「どんなところ、か……全て、と言いたいところだけど……」
「ところだけど?」
「私を追いかけ続けてくれるところだね。ソラニアがいなければ、私は今頃どうなっていたかな……少なくとも今、ソラニアに捨てられたら国は滅ぼすだろうね」
キャアーと上がるのは黄色い歓声。
皆分かってる? この方の国を滅ぼす、は物理的に本当に滅ぼしてしまうのよ?
それによく聞いたら、国は、と言ったでしょう?
ということはつまり、世界は、どうかというところよ。ちょっと恐ろしくて考えたくもないし、そんな未来はありえないのだけど。
この発言は、生徒達には熱烈な愛の告白だったようで、エデルガー先生はいいなぁ、と言われた。
「いいなぁ?」
「こんなにエデルガー特別講師に愛されて。だって先生方は、この国で一番の理想のご夫婦じゃないですか!」
学園で、私達が理想の夫婦と言われるとは。
学生時代の私に教えてあげたいな。あなたが耐えてくれたおかげで、私は今こんなにも幸せになれたわ、と。
「私は何年もの間、ソラニアの愛し方を間違えていたからね。これ以上、ソラニアに愛想を尽かされないように必死なんだ。それが理想の夫婦だと言われるなら、間違えていないということかな?」
「間違えた? エデルガー特別講師でも間違えることがあるんですか?」
「ああ。ソラニアに対しては間違えてばかりだったよ。本当に、ソラニアが私を見捨てないでいてくれて良かった。心から感謝しているし、それ以上に愛おしいと思ってる」
「テルネッド様、もうそこら辺で」
またもや上がった歓声を落ち着かせながら、テルネッド様の口を閉じさせた。これ以上、生徒達を興奮させては、生徒達も昼食が取れなくなってしまう。
「あなた達、早く昼食に向かわないと時間がなくなるわよ?」
「あ、本当!」
「それはちょうど良かった。私も早くソラニアと二人きり……いや、ソラニアと、愛しい我が子と三人になりたかったんだ。それじゃあ君達、これからもソラニアの言うことをよく聞いて、講義を受けるんだよ」
「はい!」
「それじゃあ、私達は行こうか。ほら、ソラニアも挨拶をして」
「ふふ。それじゃあ、次の講義までに課題を頑張ってね。分からないことがあればいつでも聞いて」
「はい! 先生も、お体には気をつけてくださいね!」
「ありがとう」
手を振る生徒達に振り返して、私はテルネッド様にエスコートされながら廊下を歩く。しばらく歩いたところで、人目につかない場所でテルネッド様は立ち止まった。
「もういいね、ソラニア。これからは夫婦と家族の時間だよ。この時間は、私だけを見ていて」
私の前へと回ってきたテルネッド様は、とろけるような愛情を込めた空色の瞳に私を映す。きっと同じように、私の眼差しもとろけるようなものになっているはずだ。
「私はずっと、テルネッド様だけを見つめています」
「ああ、本当に……こんなにも愛らしい君をどうして今までそばにおいておかなかったのかな。過去の自分を殴り飛ばしたいよ」
「……過去への転移魔法を創り出すなんてことは、やめてくださいね? 私はあの時間があったからこそ、今があると思いますから。いくらテルネッド様であろうとも、私が好きだったお方を殴るのは許せません」
「…………そうか、残念だ」
良かった。また一つ、世界の歪みの原因になりそうなことは事前に防げた……かもしれない。
「テルネッド様、過去を悔やむより、今を大切にしましょう。私もこの子も、テルネッド様から愛される世界一の幸せ者になるのですから」
にこりと笑いかけたら、優しいけれど強く抱きしめられた。
「その通りだね。愛してるよ、ソラニア。君も子も、世界一の魔法使いが生涯をかけて愛した妻子として、これから名を残すからね」
「それはなんとも……幸せですね」
世界一の魔法使いである婚約者を必死に追い続け、婚約解消の言い逃げに失敗した先には、幸せすぎる未来が待っていた。
私は世界一愛される妻となり、天才と肩を並べる秀才となった。そして魔法を使う人々の間では、天才よりも身近な、けれど並大抵の努力では決して辿りつくことの出来ない存在として語り継がれることになるのは……もう少し、先のお話。
おしまい。
ありがとうございました!