曰く、恋愛下手
会場を後にした私達は、テルネッド様の超絶なる飛行技術により、瞬く間に我が家へと帰り着いた。飛んで逃げるなんて、到底無理だったなと悟った私だったが、それは黙っておいた。
私達の姿を見た両親は何も聞かず何も言わず、ただ私達を私の部屋に放り込んで、ごゆっくり! の一言だった。
公爵様をもてなしもせず部屋に放り込むなんて、うちの両親くらいだ、絶対。
テルネッド様は笑いながらも私を離そうとはせずに、私はずっと抱き上げられたままだった。しかしこのままではドレスが形崩れしてしまうため、一旦降ろしてもらい、着替えだけさせてもらった。
その間、テルネッド様は部屋の前で待っていた。
侍女が終わりましたと呼びに行くと、早足で戻ってきてまた抱き上げられてソファに座った。
「ごめんね、ソラニア。長い間、寂しい思いをさせたね」
テルネッド様の上に座った状態で、顔中にキスをされながら謝罪を受ける。
「まずは私の話を聞いてくれるかい? 聞きたいことがあれば、途中で質問してくれていいから」
「はい。お願いします」
そこからテルネッド様は、自身の昔話を始めた。
テルネッド様は……ご自身曰く、常識のない恋愛下手、らしい。
「ソラニアを好きになったのは早かったよ。それこそ……婚約して半年ぐらい経った頃には特別な存在になっていたね」
私と婚約した時点で、手を抜かないで、と言った私には好印象を抱いていた。それが自分に追いつきたいと必死になっている姿を可愛らしいと思うようになった。
普段なら自分の容姿と才能にばかり食いついてきて、まともに魔法の話などしない令嬢ばかりの中、私が前のめりになって聞きたがるのは魔法の話だった。しかも相当にマニアックな古代のものまでメモして帰り、次に会った時には発動しかけるところまで調べているという熱心さに心を打たれたそうだ。
そうしてお茶会を重ねるごとに可愛いと思う時間が増え、気付けば大好きになっていたという。
釣書を私に見せてきていたのは、私以外には興味がないということをアピールしていたつもりだったそうだ。
「ソラニアが可愛くて可愛くて仕方がないのに、年齢が上がるほどに婚約者としてどう接していいか分からなくて……マイクに相談するのも、何となく気恥ずかしかったんだ。そこで歳も離れていて既婚の学園長に相談してみたのだけどね。彼の提案を実践していたらこのザマだよ。本当に情けないな」
落ち込んだテルネッド様。私はすぐに彼の言葉を否定した。
「情けなくなんかないです。私もテルネッド様のお話を聞いて、自分が言葉足らずだったと思いました。テルネッド様の考えを勝手に決めつけて、近付かなくなったのですから」
私が空色の瞳を見つめながら言えば、テルネッド様はくしゃっと顔を歪めた。そして少しだけ、視線が下を向く。
「……私は大事なところでソラニアを守れなかったことを、今でも後悔しているんだ」
「守れなかった?」
「あの……停学になった女生徒二人と、退学になった男子生徒三人の件だよ。私がもっと近くにいれば守れたのかと、今でも毎日のように後悔している」
あれは……だって、仕方のないことで。
「あの日はテルネッド様は出張だったのですから。それに、お手紙もいただけましたし、熱を出した時は治癒魔法もかけていただいたと……」
「それだけしか出来ていないんだよ。本当に、未だに悔やんでも悔やみきれない。停学や退学なんて生温い処分なのも許せないしね」
「生温い……?」
「生温いよ。本当は除籍して、一番厳しいとされる修道院や魔法石の採掘場に送りつけようと思ったのだけど、教師陣や公爵家の面々に止められて」
「……そこまでは、されなくて良かったと、思います」
「ソラニアは優しいね」
頭を撫でながら言われる。優し……くはないと思う。女生徒は扉粉砕を見せて怯えさせたし。男子生徒は気を失うぐらいには叩きのめしたし。母直伝の炎魔法を纏ったパンチはさすがに恐かっただろうな、と思うぐらいなのだし。
「もっと私が大切にしているところを皆に見せていれば、ソラニアがそんな目に遭わなくても済んだのに……と、そう思うんだ」
それは……どうなのだろう。もしかしたら、その方が嫉妬される度合いは大きかったかもしれない。それこそ普段の嫌がらせなどは減っても、テルネッド様がいない時に何かされる、その何か、がひどかったかも。
「……テルネッド様、私は両親からそれなりに鍛えられております。あの日も衝撃は受けましたが、負ける気なんてこれっぽちもありませんでした。だからもう、悔やまれる必要はありません」
「ソラニア……」
「私はテルネッド様がそこまで動いてくれていて、悔やまれていたことも知りませんでした。きっとずっと、テルネッド様は私のことを大切に思ってくださっていたんですよね?」
テルネッド様は、私の質問に小さく息を吐き出した。
「大切にしたかったんだ。間違えたくなかった。でも……そう出来てはいなかったね。私の卒業式でのエスコートや……最後の授業で他の生徒の頭を撫でた時も、ソラニアを俯かせてしまった。私はそうならないと気付けなくて……何度も君を傷付けて、何度も泣かせてしまっていただろう?」
「……傷付かなかったと言えば嘘になりますが……それでも、気にかけてくださっていたということが嬉しいんです。お互いに言葉を掛け合わずにすれ違っていたのですから、どちらが悪いということはありません」
私が訴えるように言えば、テルネッド様は私の頬を撫でた。指先は優しく温かい。そして私を見つめる眼差しは、私への愛情が込められていると感じられた。
「……今日、改めて思ったよ。私はソラニアを失うようなことになれば、世界を滅ぼしかねない。君に婚約解消を告げられ、動揺した結果があの上下の穴だ。ソラニアの後ろに回るために飛んだだけなのに、床はえぐって、屋根はふっ飛ばしていたよ」
「あの穴は、テルネッド様が?」
「そう。本当にあの時は魔力制御が馬鹿になっていた。またこんなことがあったら世界中が穴だらけになるかも」
「穴だらけに」
「それこそ破壊神や魔王のようになるかもしれないね」
困ったように言うけれど、その言葉はきっと本気のものだ。テルネッド様はこんな冗談なんて言うお方ではない。
それほどに、私の一言が彼に影響を与えていたのだと思うと……身が引き締まるような思いと愛おしさが同時にやってきた。
最終的には、愛おしさが勝ったのだけど。
「私は一生、テルネッド様を追い続けます」
「それなら私は、これからもソラニアに尊敬される品行方正な魔法使いであり続けなければいけないな。でもね、ソラニア」
「はい?」
「これからは追い続けるだけじゃなくて、私の隣に立ち、私の手綱をしっかりと握っていてほしい。ソラニアにしか操れないものだし、ソラニアが私に世界の良し悪しを教えるんだよ」
テルネッド様の手綱、に世界の良し悪し。
その言葉で、私の両肩に世界がかかっているのだということを実感した。
もしもテルネッド様が絶望の果てに暴れ回ったりしたら……それは間違いなく破壊神や魔王と呼ばれる存在になるだろう。そんなものは物語の中だけでいい。テルネッド様をそうさせるわけにはいかない。
「……責任重大、ですね」
「そのぐらいの力が私にはあるからね。こんな私は……嫌になったかい?」
そう聞いてくるテルネッド様の不安げに揺れる眼差しは、初めて見たものだった。まるで怯えを含んだその瞳に……天才故の苦悩を見た気がした。
「…………いえ」
私はテルネッド様の頬に触れる。私からこうやって手を伸ばすのは、初めてかもしれない。緊張なのか少しだけ手が震えていたけれど、テルネッド様の頬の温度がすぐに馴染んで震えも止まった。
嫌になんてなるはずがない。
だって、ずっとずっと憧れてきたお方で。
ずっとずっと大好きなお方なのだから。
「私がテルネッド様を嫌になるなんて、ありえません。テルネッド様、私達はもっともっとお話をしましょう。私はもっとテルネッド様のことが知りたいです。それに、私のことも知ってほしいです。テルネッド様が不安になった時、私がいると思ってもらえる存在になりたいです」
「……不安に、なった時」
「はい。こんなに不安そうにされるテルネッド様は、初めて見ました。今まで気付かずにいて、ごめんなさい。これからは私がいます。絶対に、おそばにいます」
「そばに……」
「そうです。私、話せなくなった五年間でも、テルネッド様を嫌いになった日なんてなかったんです。自分のことを諦めも往生際も悪いと思っていましたが、私の一言であんなにも動揺してしまうテルネッド様には、こんな私がちょうどいいと思います。私は絶対にテルネッド様を嫌いにはなりません。尊敬する師匠であり、憧れる魔法使いであり、大好きな人です。だからテルネッド様、心置きなく、私を好きでいてください」
にっこりと笑いかけると、テルネッド様はポカンとして口を開け、私を見た。
その表情に私はちょっと焦った。大それたことを言い過ぎたかと自身の発言をフォローしようと思った瞬間……
「テルネッド様っ!?」
ポロッとテルネッド様の瞳から涙が溢れた。
かと思えば、澄んだ空色の瞳からポロポロと涙が止まらなくなった。
「テルネッド様、だいじょ……んむ!」
私の心配の言葉を遮って、テルネッド様から勢いよく口付けられた。ガチッと歯が当たったけど、そんなの気にせず唇は押し付けられたままだ。
目を見開くも、テルネッド様のお顔が至近距離にあって……濡れたまつげの長さを認識する前に目を閉じた。
最初は唇を押し付けるだけだったそれが、いつのまにやら、とてもじゃないけれど口付け初心者同士がするようなものではなくなっていた。
そこで私は思う。
息が! 呼吸が! ままなりません!
半分パニックのようになる私の脳内は置いてけぼりで、侵入してきた舌に口内を右往左往され、私はテルネッド様にしがみつく。テルネッド様からは応えるように抱きしめられる力が強まって、口も体も離れなくなった。
「テルッ──!」
息継ぎのタイミングかのように口を離すがまたすぐに重ねられ。言葉も紡げずひたすらに受け止めることしか出来ない。しかし、するすると手のひら同士が重ねられ、指を交差させてギュッと握り込まれると、私の胸は更に高鳴って身を委ねてしまう。
そうして、色気のない、ぶはっという呼吸も気にしている暇がないほど、私はテルネッド様に貪られた。
やっと唇が離れたのは、どのくらいしてからだろう。
唇はヒリヒリとして感覚が曖昧だし、ぐったりとしてテルネッド様に抱き抱えられる私は、まだ流れているテルネッド様の涙を目で追った。
「……ソラニア、私は君がいてくれるから、独りにならずにいられるんだ。お願いだから、二度と私から離れていかないで」
ひとり……に?
あんなに人に囲まれていたのに、テルネッド様は、孤独を感じていたのだろうか?
それも天才故の苦悩ならば……私にはその全てを理解出来ないかもしれないけど。それでも。
「もちろん……です。絶対に……離れて、あげません、から。テルネッド様も、手を抜いては……いけませんよ。私は、追いついて……いつか追い越してもみせますから」
息切れしながら答えた私に、テルネッド様は見たこともないほど美しく嬉しそうな笑顔を向けた。
「ありがとう、私を諦めずにいてくれて。愛してる、ソラニア。私は君だけを心から愛しているよ。ソラニアがいてくれるから、私は善良な魔法使いでいられるんだ」
テルネッド様からの愛の告白は、不穏さがないといえば嘘になるけれど。
でも、大丈夫。私から離れることなんて、この先も一生、ないんだもの。
「私も、愛しています、テルネッド様」
ずっと思い焦がれてきた相手から、心からの愛してるを言ってもらえるんだ。離れる未来なんて、想像出来なかった。
後日、テルネッド様からは正式にプロポーズをしていただいた。
跪いて、結婚してくださいという言葉の後、両手でも抱えきれないほどの花が魔法によって出された。
出てきた花の花言葉は、『永遠の愛』と『尊敬』だ。
私は泣いて、テルネッド様も少し泣いていた。
緊張して、魔法が成功しなかったらどうしよう、と生まれて初めて思ったのだそうだ。
結婚指輪も一緒に選んだもので、宣言通り、四色の宝石が埋め込まれたものになった。
そして結婚式のドレスはテルネッド様渾身の一作と言って良い品に出来上がった。二人で話そうね、と言っていたが、テルネッド様の熱意がすごくて私はほとんど頷くだけだった。
そこにはきっと、卒業式のリベンジの意味もあって。
結婚式当日に、空色に銀糸で公爵家の家紋が刺繍されたドレスに身を包んだ私を見て、テルネッド様はまた涙ぐんでいた。私までつられて泣きそうになって、両家の両親からまだ早いとわたわたと止められた。
その様子がおかしくて涙は止まったけれど、テルネッド様は始終、愛おしそうに私を見つめてきながら、綺麗だ、好き、可愛い、愛してる、と告げてくるものだから、式の間は我慢してくださいと言い聞かせることになった。
そして結婚式から一年後。私は魔法学術大会で、魔法石に関する論文でなんと金賞を受賞した。同じ大会にテルネッド様とフルール様もそれぞれ論文を提出されていたが、テルネッド様が銀賞、フルール様は銅賞だった。
テルネッド様が初めて金賞を逃すという大番狂わせと、私の快挙に世間は湧いた。それによって魔法石の研究に関する第一人者として私まで天才扱いされることになって、それを全力で否定する毎日になってしまった。