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009.アルジャンに招かれて

 約束の日の朝、立派な馬車がロベール伯爵邸の玄関前に停まった。先日手紙を届けに来た馬車も立派ではあったが、今回は四頭立ての非常に美しい馬車だ。フランペル王宮からの使者に、伯爵家の使用人たちは全員が背筋を伸ばし、緊張しながら使者を出迎える。

 ジョゼは徹夜でケーキを作っていたため、明け方フラフラしながらコルセットを締め、薄葡萄色のドレスを着る。母の結婚式の折には裾に緋色の刺繍が施されていただけだったが、いつの間にか銀色の刺繍もところどころに増えている。母が「第二王子の銀の瞳に合うように」と仕立て屋に持ち込んだことすら、ジョゼは知らなかった。

「それでは、行ってまいります」と、力なく微笑む。


「ジョゼフィーヌ、何があっても王家の方々の誘いは断ってはならぬ。わかったね?」

「はい、お父様」


 母とイザベルは美しい細工の馬車に見とれ、「素敵ねぇ」「美しいわねぇ」と手を取り合って喜んでいる。「ご家族もどうぞ」と使者から言われたら、二人は大喜びで馬車に乗り込むだろう。

 だが、使者がそんなことを言うはずもなく、ジョゼだけが馬車に乗せられる。


「ジョゼお姉様、必ず戻ってきてくださいませ!」


 暗い顔をして、アレクサンドラがジョゼを見上げる。サフィールの手紙が届いてから、アレクサンドラはずっとこんな調子で、厨房にこもりきりになっているジョゼを心配してウロウロしていた。どうやら継妹は、継姉が王宮に連れ去られてしまうとでも思っている様子だ。幸福な時間が壊されてしまうと思っているのだろう。


「もちろん、戻ってくるわ。ここがわたくしの家ですもの」

「きっと、きっとよ、お姉様……!」


 アレクサンドラの悲しげな声だけを残して、馬車はロベール伯爵家を出立する。


 煉瓦で舗装された貴族街の通りを、馬車は王宮へと向かっていく。馬車の座面は柔らかく、揺れがほとんど響いてこない。

 適度な揺れに、ジョゼは目を閉じる。サフィールの手紙のせいか、アルジャンと会う緊張のためか、ここ数日はずっと眠りが浅かったのだ。


 ――サフの、あの手紙、あれは彼の本心なのかしら?


 使者の言うとおりに頭の文字を縦に読むと、「結婚しよう」という文字が浮かぶ仕掛けとなっていた。縦に読んだり、スペル間違いの部分だけを読んだりして、文通で愛を深め合う貴族同士がよく利用する暗号文なのだそうだ。今とても流行っているのだと、母が教えてくれた。


 ――けれど、面と向かって「結婚しよう」と言われたわけではないのだから、冗談なのかもしれないわ。


 そんなこと書いていない、と言われたらどうしようもない。冗談を真に受けるなんて、とからかわれたら恥ずかしいだけだ。


 ――サフが『真に愛する者』はわたくしなの?


 手が触れ合ったときから、不思議な気分になっていたことだけは確かだ。あれから、何だか調子が狂っている。

 杏色の帽子を眺めてはぼんやりして、サフィールの顔を思い浮かべることもあった。アルジャンのために菓子を作りながら、無意識に杏を入れようとしている自分に気づき、慌ててシロップ漬けを戸棚の奥へと隠す羽目にもなった。


 ――今日も、王宮で偶然会えないかしら、なんて思っているんだもの。おかしいわ。


 この気持ちが何なのか、ジョゼはまだ知らない。サフィールが『真に愛する者』なのかどうかも、まだわからない。

 ただ、「結婚しよう」という言葉がサフィールの本心であるならば、「嬉しい……」と呟いてしまうくらいには、彼のことを想っている。


 ジョゼは夢を見る。

 三姉妹で過ごす、にぎやかで楽しい時間。サフィールと過ごす、唯一素に戻れる時間。すべてが、愛しくて大切な思い出だ。


 サフィールに初めて「同じ人生を繰り返している」と打ち明けたとき、ジョゼは本当は逃げ出したいほどに恐怖を感じていた。継妹の結婚相手である青の王子から「気味が悪い女だな」などと吐き捨てられたくなかったのだ。

 だが、サフィールは「同志だ」と大喜びをした。屈託のない笑顔で苦労をねぎらってくれた。「仲間ができた」という言葉から、彼もずっと孤独を感じていたのだと知った。

 あのときから、二人は孤独から解放されたのだ。


 サフィールとジョゼは、同志であり仲間であり、友人だ。それ以上の関係にはなりえない、なりえるはずがない、と思っていた。

 だが、いつもと違う日々が続くのであれば、いつもと違う選択をするべきときなのかもしれない、とも思う。


 ――いつもと違う選択、わたくしがサフと結婚するという選択も、あるのね。


 それは初めての選択だ。どういう結果になるのか、誰にもわからない。見知らぬ未来に、怯えがないわけではない。だが、幸福な結末が待っているかもしれない、という希望はある。


 ――別に、アルとの結婚が嫌だったわけではないの。アルと過ごす時間も、大切だったわ。


 他の貴族と結婚したときのように蔑ろにされることもなく、ただ穏やかに時間が過ぎていた。だからこそ、彼との間に子をなすことができたのだろうとジョゼは思う。


 ――わたくしが『真に愛する者』はサフなのかしら? それとも、アルなのかしら? どちらを選べば、幸せになれるのかしら?


「……フィーヌ嬢」


 ――わたくしは、いつになったら幸せになれるのかしら。


「ジョゼフィーヌ嬢」


 耳元でアルジャンの声が聞こえた。ジョゼは慌てて目を覚ます。目の前にあった銀色の瞳が、細められる。


「お休みのところ、申し訳ありません。到着いたしましたよ」

「え、あ、申し訳ございません……!」

「ふふ。あと一度名前を呼んで起きなければ、キスをするところでした。残念です」


 アルジャンの言葉に、ジョゼは真っ赤になる。少年と青年の入り交じる、あどけなくも妖艶な笑み。初めて見るアルジャンの表情だったのだから。




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