033.覚醒
どうやら近くに雷が落ちたようだ。伯爵領には避雷針が多く設置されているため、そのうちのどれかに落ちたのだろう。
雷が嫌いなサフィールが、ジョゼに抱きついている。怯えて震える体が、何とも可愛らしい。
「大丈夫ですか、サフィール王子」
カンテラの光に照らされて橙色に見える髪を撫でる。さらさらと涼やかな音が聞こえる。
「避雷針に落ちたのならいいのですが……王子殿下?」
髪を撫でている間に、サフィールの体の震えは止まっている。落ち着いたのだろう。
「サフィール、王子殿下?」
サフィールの両手が、ジョゼの両腕をソファに押しつけている。びりびりとしびれるような感覚が、ある。
「もう、サフ、とは呼んでくれないのか」
ゆっくりと顔を上げたサフィールの表情が、先ほどまでのものと違うことに、ジョゼはすぐに気づく。澄んだ少年の瞳ではない。
「……サフ?」
「ジョゼ。久しぶりだな。何がどうなっている?」
――あぁ、サフ!
久々の再会に、ジョゼはサフィールを抱きしめようとして、気づく。自分の腕が彼に押さえつけられたままだということに。
「サフ、ちょっと、痛い。離して」
「……無理」
「何が」
「だって、きみ、抱きつこうとしただろう? ソファの上で……無防備すぎる」
どういう意味なのか理解できないジョゼは、「抱きつかないわよ」と頬を膨らませ、ようやく解放してもらう。サフィールは毛布をジョゼに手渡し、少し距離を取りながら香茶を飲む。「ぬるい」と文句を言いながら。
「記憶が戻ったの?」
「……そう、みたいだ。ここは伯爵領か。まだ頭がぼんやりしているな。記憶が混在しているときはいつもこうなる。酒はないのか?」
「今のあなたは未成人でしょう」
「あぁぁ……そうか、十五か。飲めないな、しまったな」
ジョゼは杏水をグラスに注ぎ、サフィールに手渡す。酒ではないが、ぬるい香茶よりはいいだろうと思ったのだ。
「どうしてサフの記憶が戻ったのかしら? 触れ合うだけで記憶が戻るなんて、今までにはなかったことだけれど」
「それには何となく当てがある。それより、アルジャンはどこだ? なぜ、俺には弟がいないんだ?」
取り乱しているサフィールに、ジョゼは前回の自分の死とアルジャン及び聖母神の関与を伝える。この繰り返しの原因が、アレクサンドラにあることも。
サフィールは眉間に皺を寄せながら、それらを聞いていた。時折、杏水を傾け、溜め息をつきながら。
「つまり、俺たちはアレクサンドラを幸せに導くための役者、舞台装置でしかないということか。このふざけた舞台で役者の増減を担うのは、聖母神……はぁ、我が国の唯一神はとんだ邪神だな」
「サフ、やめて。聖母神様に逆らったらすぐに舞台を降ろされてしまうわ」
「……わかった」
サフィールは聖母神を罵るのをやめる。舞台を降ろされてはたまらない。ジョゼもそう思っている。
「アレクサンドラの幸福……彼女の幸福とは、何だ? ロベール伯爵の再婚が早まっているのと、何か関係があるのか?」
「彼女が求めているのは、生涯途切れることのない、愛」
「生涯、変わることのない愛、か?」
サフィールは心当たりがあるのか「なるほど」と頷く。
「サンドラはきっと、姉妹で仲良く暮らしたいんだわ。両親からの愛に飢えているからこそ、不変の愛を求めているの」
生涯変わらない愛を持ち続けられるのは、家族しかない。アレクサンドラはそう考えているからこそ、姉妹が長く一緒に暮らせるように父親の再婚を早め、姉の結婚を阻止しようとする。
「……待ってくれ。阻止しようと、したのか?」
「二回前、わたくしを刺したのは……おそらく、サンドラよ。わたくしが結婚してしまうことを恐れたのではないかしら」
サフィールもアレクサンドラから刺されたことがあると聞いているため、感情が昂ぶった彼女がナイフを持ち出すのも不思議ではない。舞台から姉を消し、早く次の人生を始めたいと思ったのではないかとジョゼは考えている。
ただ、アレクサンドラの行動はすべて無意識のうちのことなのだろう。何年も一緒に過ごしてきたが、年相応の彼女がジョゼのように記憶を継承しているとは思えない。「やり直さなければ」という衝動と恐怖心だけで、その意味すら理解せずに行動しているもののように思えるのだ。
「つまり、ジョゼが結婚しようとすると、アレクサンドラが邪魔をするということか。今まで、ジョゼが結婚しない人生もあったんじゃないか?」
「そのときは、サンドラやイザベルは結婚してしまっていたの。三人が結婚しない、という道はまだ選んだことがないのよ」
「今回は三人全員結婚しない道を選ぶ、ということか……」
ジョゼの計画を聞き、渋い顔をしたサフィールは深々と溜め息を吐き出した。
「……それは、困る」
「どうして?」
「俺はジョゼと結婚したい」
サフィールの熱い視線を受け止めきれず、ジョゼは下を向く。サフィールがまだ自分と結婚したいと思ってくれていることを喜びながらも、その道が正しいのかどうか判断できずにいる。
「無理よ、サフ」
「無理じゃない。俺とジョゼが結婚する道も、結局まだ選んでいないじゃないか」
「でも、きっと、サンドラはそれを許さないわ。また、許してくれないわ」
サフィールとの結婚を選んだら、また死んでしまう、舞台から降ろされてしまう――そう思えてならない。ジョゼは慎重に道を選びたいのだ。
「死ぬのが怖いか?」
「怖いわよ。痛くて、冷たくて、寂しくて……死にたくないって、何度思ったことか」
「そうだな。俺も、死ぬのは嫌だな」
サフィールは笑う。笑えるような話題ではないというのに。
「できたら、しわくちゃのジョゼに、看取られたいものだよな」
サフィールの手が、ジョゼの手を取る。優しく、暖かな手だ。この手に皺が刻まれても、きっと愛しいと思えるだろう。
ジョゼの視界がぐにゃりと歪む。頬を涙が伝っていく。
「なあ、ジョゼ。計画を変更してくれないか。アレクサンドラを幸せにするのはもちろんだが、俺たちの幸せも、諦めないと」
「そんなの……」
「無理? どうしても? 俺はきみを幸せにする自信があるというのに?」
サフィールは、ぎゅうとジョゼの手を握る。痛いほどに強く。
「ジョゼは俺を諦めるの?」
――自信過剰じゃないかしら、その言葉は。
だが、サフィールらしい、とジョゼは笑う。王子様はそれくらい自信満々なほうがサマになる。
「……諦め、ないわ」
サフィールは「そうこなくては」と笑う。
そうして、不幸な結末を繰り返してばかりだった二人は、一人の娘の幸せと、自分たちの幸せを、ようやく考え始めるのだった。
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それにしても、ようやく……!





