026.アルジャン王子の求婚
ジョゼがロベール伯爵領に戻ると、邸の前には立派な馬車が停まっていた。何度も見たことがある四頭立ての馬車に、ジョゼは「もう王都からサフがやってきたのかしら」などと思いながら、邸へ入った。
しかし、邸内で家族と和やかに談笑していたのは、青の王子ではなく、銀の王子であった。
「ああ、ジョゼフィーヌ。ようやく戻ったのかい」
「ジョゼフィーヌ、とても光栄なことよ。素敵なことが、起こったの」
両親の喜ぶ顔から、ジョゼはすべてを察する。アルジャンとの婚約が決まったのだろう、と。
イザベルは「素敵、素敵」と母と同じように喜んでいる。アレクサンドラは「お姉様を連れて行かないで」とアルジャンに抗議している。
「小さなお嬢さん。心配しなくても、私の成人まであと二年はございますから、その間はジョゼフィーヌ嬢と一緒に過ごすことができますよ」
「本当? お姉様、すぐに結婚するのではないの?」
「ええ」
「やったわねぇ、サンドラ。幸せな時間が続くわねぇ!」
イザベルの言葉に、アレクサンドラはむっすりとしながら「たった二年だわ」と嘆く。本人の了承もなく結婚の話が進んでいるのを、ジョゼは呆然と見つめる。
「しばらくジョゼフィーヌ嬢をお借りして構いませんか? お疲れの様子なので、彼女を部屋に連れていきたいのですが」
「案内するわ!」
「わたしも、わたしも!」
領地では、二階の奥の部屋がジョゼの部屋となっている。イザベルとアレクサンドラは騒がしくアルジャンを部屋へと案内する。
テーブルを挟んで、互いにソファに座る。妹たちの声は、徐々に聞こえなくなる。
「ふふ。賑やかですね」
「アルジャン王子殿下、どうして……?」
アルジャンは微笑みながら、手のひらに青いものを載せる。それは、いつか彼に渡したはずのリンドウの髪飾りだ。
「これをいただいてから、あなたのことが頭から離れなくなってしまいました」
「わ、わたくしは、あなたのお兄様と」
「恋仲であるとは聞いておりません。ですから、国王陛下もこの結婚を認めてくださいました」
「……そう、ですか」
遅かったのだ、とジョゼは察する。ジョゼとサフィールの計画よりも、アルジャンの想いが募るほうが早かったというわけだ。
「ジョゼフィーヌ嬢。僕と結婚していただけますね?」
――サフの馬鹿。どうして、今回は現れないの? わたくしのことを諦めたの?
前回のようにサフィールが現れることを一瞬でも期待して、ジョゼは自らの愚かさに溜め息をつく。
王都からロベール伯爵領まで馬車で三日はかかる。時間と空間を超越しない限り、今この場にサフィールが現れることはない。
他人に期待してはいけない。ジョゼはそれをよく理解している。
「少し、考える時間をいただけないでしょうか? 今は長旅で疲れておりますし、混乱して正常な判断ができるとは思えません」
「冷静になればなるほど、今考える時間が無駄だとわかるのではありませんか? 答えは一つしかないのですから」
有無を言わさぬ、圧倒的な権力者の言葉である。王族の求婚を拒絶などできない、という現実を突きつけてくる。
ジョゼは溜め息をついたのち、覚悟を決める。――アルジャンと生きる道を。
「はい。お受けいたします」
「……良かった」
アルジャンは微笑み、安堵の表情を浮かべる。一瞬でも、断られてしまうかもしれない、と考えるものだろうかとジョゼは不思議に思う。彼は、願えば何でも手に入る立場の人間なのだから。
「ジョゼフィーヌ嬢、ジョゼとお呼びしても?」
「もちろん、構いませんよ」
「では、ジョゼ。僕は今年、社交界にデビューをします。そのときに、あなたとの婚約を発表する予定です。僕の成人まで二年、お待たせすることにはなりますが……二年後に結婚しましょう」
「わかりました」
アルジャンはジョゼのそばに跪き、恭しく右手を持ち上げる。そして、手の甲に唇を落とす。視界に、キラリと輝く銀色の腕輪が入ってくる。
「……そういえば、その腕輪」
銀色の腕輪はアルジャンがずっと身につけているものだ。外したところを見たことはない。今回も、前回も。前々回、その前はどうだったか、もう思い出せない。
――結婚式のときも外していなかったわ。けれど、いつだったか……外したところを見たことがあるような。
「あぁ……不思議なことに、生まれたときからこの腕輪をしているのです」
「それは、とても不思議なことですね。聖母神像の腕輪によく似ていらっしゃいます」
「そう、ですね。聖母神様から賜ったものなのかもしれないと、僕が生まれたときには大騒ぎになったようですよ」
髪や瞳の色で「銀の王子」と呼ばれているものと思っていたが、腕輪が理由だったとはジョゼも知らなかった。
「そういえば、舞踏会のあのとき、どうしてわたくしの名前を」
わたくしの名前を知っていたのですか、とは聞くことができなかった。「アルジャン王子殿下」と、切羽詰まったかのような伯爵の声が廊下から聞こえたためだ。
「何事でしょう?」
「お取り込み中のところ申し訳ございません。王都からの伝令鳥が『急ぎ、王都に戻るように』と伝えてきております」
「……仕方ありませんね。ジョゼにはこれからもまた会えますから」
アルジャンはそっとジョゼの頬にキスをして、扉のほうへと歩いていく。
「既に馬車の準備は整っております。必要でしたら、我が家の早馬をお使いください。近隣の領主にもわかるように、今すぐに文を準備いたしますので」
「どうしたのでしょう、そんなに慌てて」
アルジャンが不思議そうな顔をジョゼに向けて、扉を開く。ジョゼの父は血相を変えて、伝令鳥の手紙を銀の王子に差し出した。
アルジャンは文を読みながら、目を見開く。
「……嘘でしょう。まさか」
「どうか、なさったのですか?」
伯爵は執務室へ向かったのか、廊下にはいない。それだけ急いで手紙を準備しなければならないことがあった、ということだ。
何度も、同じ光景を見たことがある。何度も、同じ絶望を感じたことがある。
まさか、とジョゼの体が震える。
「兄が、死にました」
――あぁ、サフ……!!
サフィールの死を、ジョゼは何度も経験している。だが、慣れるものではない。特に、今は。彼に情を抱いている、今となっては。
「そ、それが本当のことなら、早く王都へ戻って、国王陛下と王妃殿下を、支えてあげてください」
「ええ、そうします。でも、ジョゼに僕を支えてもらいたいと願うのは、我儘ですか?」
アルジャンはそっとジョゼを抱きしめる。兄を亡くした悲しみを隠すかのように、優しく、強く、ジョゼを抱きしめる。
「僕が出立したあと、なるべく早く、王宮へ来てくださると、嬉しいです。あなたにそばにいてもらいたい」
「アル、王子……」
「僕を支えてください、ジョゼ。僕のそばで、悲しみに寄り添ってくれませんか」
ジョゼは何とか涙をこらえて、「わかりました」と気丈に返事をした。断るのは不自然であるし、そうすることがサフィールへの供養であるように思えたのだ。
そうして、アルジャンを見送ってから、ジョゼは泣いた。泣いて、喚いて、嘆き悲しんだ。
――どうして、わたくしたちはこんな結末を迎えてしまうの?
聖母神の意地悪や手違いで説明できない何かがあるのだと、ジョゼも何となく理解している。その正体を、まだ二人とも見極めることができていない。
そんな気がして、ならないのだ。
 





