023.白雪嬢の継母
「わたくしの継母は、少し変わっているのです。毎朝毎晩、鏡に話しかけ、毎朝毎晩、化粧を直しているのです」
「それを『少し』ですませてしまうブランカも変わっているのではないかしら。公爵夫人は、十分、変わっていると思うけれど」
客観的に指摘されたのは初めてだったのか、ブランカは真っ白な頬を朱に染める。だが、怒りはしない。
「鏡になんと言って話しかけているの?」
「『鏡よ鏡、この国で一番美しいのは誰?』『そうよねぇ、わたくしが一番よねぇ』と」
「訂正させていただくわ。かなりの変人よ、あなたの継母は」
ブランカは同意してもらえる人にようやく出会えたのか、大粒の涙を流しながら「そうですよねぇ!」と手巾を握りしめる。
「だって、鏡が答えてくれるわけないじゃないですか? 答えてくれたとして、それはきっと幻でしょう? 幻から『あなたがこの国で一番美しい』なんて言われて、嬉しいものですか?」
「あの」
「ええ、嬉しいんですよ、あの継母は! 幻の中で自画自賛しているのが、一番幸せな時間なのですよ! お父様もお父様です! 『我が妻はヴィルドヘルムで一番の美女だ』と鼻の下を伸ばしてっ!」
ブランカの積年の恨みつらみを、ジョゼは困惑した表情で受け止める。口を挟むと、こちらまで噛みつかれてしまいそうな勢いだ。
「でも、わたくしが『白雪嬢』と呼ばれ始めた頃から、どんどんおかしくなって! わたくしの行動を監視して、制限して、『早く嫁へ行きなさい』と言ったり、『美しい婿を取りなさい』と言ったり、すべてが支離滅裂で」
「まあ、お気の毒に」
「きっと、林檎だって、悪いものだけをわたくしに食べさせているのです! そうでなければ、一日も寝込んでしまうことの説明がつきません!」
林檎を食べるだけで一日寝込んでしまうのは大変だ。悪くなった林檎は目視すれば傷んでいるとわかるものだが、継母は巧妙に隠していたのだろうか。
――目でも匂いでもわからないものだとすると、もしかしたら毒が仕込まれているのかもしれないわねぇ。
「このままでは、わたくし、林檎で殺されてしまいます……!」
「それは大変」
「ですから、わたくし、殺される前にこちらへ逃げてきたのです!」
ブランカの状況は何となく理解できた。体調不良の原因となる人間から遠ざかるのは、賢明な判断と言える。
「それから、こちらの国王陛下にお願いをして……」
第一王子との婚約のことはまだ公のものとなっていないため、ブランカは口を閉ざす。サフィールとの婚約を吹聴しない点は評価できる。
「お願いをして、今、王宮に住まわせてもらっているという状況でございます」
国王夫妻も苦慮したのだろう。隣国の公爵令嬢を意味もなく王宮に住まわせることはできない。しかし、殺されると訴える令嬢を隣国へ帰してしまうのも心配だ。
だから、サフィールと婚約してはどうか、と提案してみたのだろう。ブランカは国王夫妻の提案に乗った形となっている。
つまり、ブランカにサフィールへの愛情は、ない。ジョゼは胸を撫で下ろす。
「そういう事情がおありなのですね」
「はい……本音を言うと、早く結婚してしまいたいのですが」
「ガルバー公爵位をどのようにするか、悩んでおられるのですね?」
「はい。婿を取って故郷へ戻ると、また継母から嫌がらせをされるでしょう。連れ帰った夫を取られてしまう可能性もあります。しかし、こちらで爵位のある方と結婚をすると、父が亡くなったときに故郷の爵位を継ぐことができなくなってしまうのではないかと恐れておりまして……」
難しい問題ねぇ、と二人は空を仰ぐ。
サフィールは第一王子。順当にいけばいずれ国王となる。彼と結婚すると、その相手はいずれ王妃になる。王妃ブランカが隣国のガルバー公爵領を治めるわけにはいかない。しかし、親類に公爵領を任せるという選択肢も選びたくないらしい。
「こちらで結婚をするにしても、いずれガルバー公爵を継いでも構わない人を選ばなくてはならないということね」
「そこで、ジョゼフィーヌ。どなたか、心当たりはございませんか?」
――ブランカ。サフのことは完全に頭から抜け落ちているようね。二股はよくないのではないかしら。
どうやら、ブランカは「俺には心に決めた人がいる」と言い張るサフィールを早々に見切っているらしい。口約束の婚約なら、どうとでもなると思っているのかもしれない。
その考えの幼さにジョゼは辟易しつつも、心当たりがないわけではない。公爵家の令嬢にふさわしい家の、次男か三男あたり。そして、公爵夫人になびくことなく、ブランカを一生、盲目的に愛し抜くことができそうな男。
「公爵夫人は、派手な顔立ちかしら?」
「ええ。彫りが深く、目鼻立ちはくっきりしています。化粧も派手で、宝飾品も大ぶりのものを好んでつけています。体も大変肉欲的で、線の細いわたくしとは、全然違います」
「ならば、一人心当たりがございます」
「本当ですかっ!?」
勢いよく立ち上がって、ブランカは「あぁ、聖母神様!」と指を組む。落ち着いて座るようにブランカを促し、ジョゼは微笑む。
「伯爵家の次男なのですが、清純なご令嬢をとても好む青年です。ブランカがずっとそのままの清らかさを保っていれば、彼はずっとあなたを愛してくれることでしょう」
「まぁ……!」
「今は確か騎士団に所属しておりますが、彼の父伯爵や次期伯爵のお兄様から、領地経営を学ぶことはできるでしょう。伯爵は顔が広いため、上位貴族への口利きもしてくださるのではないかしら」
ブランカが学びたいと思えば、この国で領地経営を学ぶことはできる。そのために、シャリエ伯爵なら尽力してくれるだろう。隣国の上位貴族との繋がりは、喉から手が出るほどほしいものなのだ。
問題はレナルドだが、清楚なブランカを嫌うわけがない。ひと目で恋に落ち、ブランカの言いなりになるだろう。
――清純な愛人の言いなりだったものね、レナルドは。
レナルドの妻だったときに愛人を見たことがあるのだが、ジョゼよりもずっと地味で、優しげで、守ってあげたいと思えるような楚々とした普通の女だった。愛人顔はジョゼのほうだと、あのときは落胆したものだ。
ブランカはレナルドの好みそのものだ。大丈夫だろう。二人に幸福が訪れるかどうかは、不明だが。
「ありがとうございます、ジョゼフィーヌ!」
「彼を紹介する前に……わかっておられますよね?」
「はい、国王陛下には、お断りをしなければならないことが、ございます」
「ええ。身奇麗な状態ならば、わたくしも彼を紹介することができます」
ブランカは目をキラキラさせて頷いた。
そうして、ブランカは早々に国王夫妻に第一王子サフィールとの婚約を撤回できないか相談をした。国王夫妻は難色を示したが、サフィールは大喜びで婚約解消を受け入れた。当人同士がそう言うなら、と夫妻も秘密裏に婚約解消を受け入れた。
その後、ジョゼがブランカとレナルドを引き合わせると、予想通りレナルドは楚々としたブランカに恋に落ちることとなる。顔立ちが整っているレナルドに、ブランカも妥協点を見出したようだ。
「破れ鍋に綴じ蓋、って本当にあるのねぇ」
レナルドとブランカの結婚式の招待状を見つめながら、ジョゼは微笑むのであった。





