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020.いつもと違う、状況

 第一王子の控室には誰も入ってこない。執事も侍女もいないため、サフィールが香茶を淹れる。

 サフィール用の衣装がずらりと並び、その中央に大きめのソファとテーブルがある。テーブルには果物が乗っているが、切り分けてはいない。ただの飾りなのだろう。

 ジョゼはソファに座り、浴巾(タオル)で肩にかかった葡萄水を拭き取る。しかし、ドレスに広がった染みは取ることができない。弁償してくれるというのなら、その言葉に従うだけだ。

 ジョゼは浴巾を肩にかけたまま、サフィールから差し出されたカップを受け取る。ジョゼの隣にサフィールは座る。


「腹は痛まないか?」

「ええ、大丈夫。痛みも傷もないわ」

「それなら、良かった」


 サフィールは何も言わないが、血まみれの自分を発見したのはやはり彼なのだろうとジョゼは感ずる。しきりに前回刺された腹のほうを見ているため、「ドレスを脱いで差し上げましょうか?」とからかってみる。


「か、確認したいのは山々だが、それはその、きみは恥ずかしげというものを、まあ、うん、無事ならいいんだ」


 複雑な感情があるのだろう、サフィールは支離滅裂なことを言いながら真っ赤な顔を伏せる。


「わたくしを殺した犯人は見つかったの?」

「いいや……手がかりが全くなくて捕まらなかった。ナイフはどこにでも売っているもので、時鐘塔に出入りしていた人物を見た者もいない。ジョゼを恨む者もいない。完全にお手上げだったんだ」

「そう……」


 それならそれで仕方がない、とジョゼは思う。人違いで刺された可能性もあるだろう。


「それで、サフはそのあとどうしたの? 一年待って、サンドラと結婚した?」

「それが、おかしなことになったんだ」

「おかしなこと?」

「棺の中の娘のことを覚えているか?」


 棺の中の娘――それはサフィールが留学先で出会う娘のことだ。

 ヴィルドヘルム王国の森の中に置かれた棺の中に、美しい娘が眠っている。しかし、脈はない。眠っているように見えて、死んでいるのだ。

 サフィールが「かわいそうに」と彼女を棺ごと埋めようとすると、どこからか七匹の魔物がやってきて襲いかかってくる。そして、サフィールは死ぬ。

 サフィールが娘を棺から出して連れ帰ろうとすると、途中で彼女の喉に詰まっていた何かが落ちて、娘が息を吹き返す。しかし、ヴィルドヘルム王国の公爵令嬢だと名乗る彼女を連れ帰ろうとすると、彼女の母親が現れて二人をつけ狙い、共に毒殺される。

 そんな人生だったはずだ。


「ええ、覚えているわ。その娘がどうしたの?」

「その娘、ヴィルドヘルム王国の公爵令嬢が……ジョゼの死後、現れた」


 留学先でもなく、森の中でもなく、正式な手順で、婚約の話があったのだという。

 ジョゼを失って傷心していたサフィールは婚約を一度は断ったが、公爵令嬢が強く結婚を望んだため、結局は夫婦となる。しかし、アレクサンドラと同じように子どもには恵まれず、二人の心はすれ違い、寂しい晩年となった。


「何かがおかしい。今までになかったことが、起こっている」

「それは、今回も?」


 ジョゼの言葉に、サフィールは頷く。

 サフィールが記憶を取り戻すのは、決まって二十歳の誕生日だ。だが、今は、先日誕生日を迎えて十八になったばかりのはずだ。第一王子の成人の儀式が大々的に行われたことを、ジョゼは思い出す。


「今回も何かが違う。留学をしろと父から言われるのは、いつもなら俺の二十歳の誕生日……それが、ロベール伯爵の結婚式の日にも当たるわけだが」

「母が再婚したのは、いつもの三年前、今から半年前だわ」

「そうみたいだな。今回、俺の十八の誕生日、成人の儀式のあと……記憶が戻った」


 いつもの二年前だ。ジョゼも驚いたが、サフィールも同じだっただろう。その心情を理解できるのは、二人だけだ。


「今回も留学をしろと国王陛下から?」

「違うんだ、今回は、既に婚約が決まっていた」

「……え?」


 サフィールは、国王から「婚約が決まった」と言われて記憶が戻ったのだ。それも、いつもと違う。


「つまり、今、サフには婚約者が、いるの?」

「……すまない」


 サフィールが青藍の瞳を伏せる。どうしようもなかったのだろうと、ジョゼも理解する。だが、胸の中はざわついている。


「俺には心に決めた人がいると、父にも相手にもずっと訴えている。だからこそ、正式な発表はまだなんだが」

「そんな……相手はどなたなの?」


 サフィールが口を開くより先に、扉がガチャガチャと鳴った。ノックもせずにノブを回そうとする人間が、扉の向こうにいる。ジョゼもサフィールも、息を呑む。


「王子殿下」


 涼やかな声が、扉の向こうから聞こえる。


「サフィール王子殿下はいらっしゃいますか?」


 サフィールは口を閉ざしたまま、苦悶の表情を浮かべる。どうやら、扉のあちら側にいるのが、彼の婚約者なのだろう。


「おかしいですわねぇ。控室にいらっしゃると聞いたのですけれど」


 ――この声、どこかで聞いたことが。


 ジョゼは、いつかの夜会のことを思い出す。「皆だらしなく鼻の下伸ばしちゃって」とポーラが憤っている視線の先にいた、色白で可愛らしい隣国の公爵令嬢。令息たちを虜にした娘。


 ――まさか。


 震えるジョゼの肩を、サフィールが抱きしめる。心に決めた人とはお前のことだ、とでも示すかのように。


「……彼女が、ブランカ嬢。棺の中のガルバー公爵令嬢だ」


 前回の妻が、今回は婚約者としてやってきた――ジョゼは混乱しながらも、何とか現状を理解しようと努めるのだった。




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