002.密会
「……なるほど、溺死したか」
「ええ。アンデルマーク王国の王子が迎えに来てくれたはいいけれど、船が難破してしまって。サフは?」
「ヤーグリド王国の、塔の上に住んでいる髪の長い娘と結婚をしようとしたが、失明して荒野で野垂れ死にだ」
二人は菓子を食べていた手を止め、ハァァと長い長い溜め息を吐き出す。
このような会話を、何度繰り返したかわからない。二人は今までの人生の記憶を保持したまま、何度も何度も同じ人生を生きている。サフィールは常にフランペル王国の王子となり、ジョゼのほうは母親がロベール伯爵の後妻となって可愛らしい義理の妹ができるのだ。
どうして二人がこんなふうになったのかはわからない。死んだ人間の魂は聖母神のもとに還り、また新たな人間の体を与えられるというのが聖教会の教えだ。その理から逸脱しているとさえ思えるこの状況は、聖母神が悪戯をしているのだろうと二人は考えている。
何しろ、結末――人生の最期はそれぞれ違うものの、どれも幸福な結末ではないことだけは共通しているのだ。幸福な結末を迎えることができたときにこそ、このおかしな繰り返しがなくなるのだろうと二人は信じるようになった。
「アレクサンドラは?」
「今回も仲良くしてみるわ。意地悪しても仕方ないもの」
「そうか。前回は国外留学を選んで失敗した。今回は国内留学を選び、一年後の舞踏会でアレクサンドラと出会うことにしよう」
ジョゼは頷く。
「そうね、それがいいわ。あなたがサンドラと結婚をするときは、割といい死に方をするみたいだから。きっと、選択は間違っていないのよ」
「……選択は間違っていない、か。では、ジョゼの場合は、特に結婚相手が問題だな。国内の貴族もダメ、他国の王子もダメ……アルジャンはどうだった?」
「あなたの弟と? アルと結婚しても、わたくしは子どもを生んだあとすぐに死んでしまうのよ。一度も抱くことなく、性別も知らないままに」
ジョゼの未来は暗い。
誰と結婚してもなかなか子ができず、夫から手酷い仕打ちを受けることが多い。サフィールの弟王子アルジャンとの結婚生活は、その中では幸せなほうではあるのだが、残念ながらジョゼは出産と同時に死んでしまう。はっきりとした不幸な結末である。
「はぁ……どうすれば、幸せな結末が迎えられるんだ」
サフィールは頭を抱える。今のところ、二人が誰と結ばれようと、不幸な結末となってしまうのだ。誰とも結婚しないという道をサフィールが選んでも、アルジャンに王位を追われて不幸な結末となったらしいことを、ジョゼは聞いている。
「『あぁ、幸せだった』と言いながら死んでみたいものね。今のところ、そうではないわ」
義理の妹に意地悪をするかしないかで未来が変わるかもしれないとジョゼは期待したが、そうではなかった。意地悪をしようが仲良くしようが、今のところは不幸な最期を迎えるだけ。ならば、意地悪な姉という悪評を立てないほうが身のためだと考えた。
「なぁ、ジョゼ」
「なぁに、サフ?」
「きみは、本当に結婚相手を愛していたか?」
サフィールの問いに、ジョゼは「そうねぇ」と過去を思い出す。
母が再婚し、高位貴族の端くれとなると、「結婚」は貴族の手札となる。娘は駒だ。義理の父――ロベール伯爵もそう思っているのだろう。アレクサンドラがサフィールと結婚すると、ジョゼにも必ず高位貴族との結婚話が持ち上がる。もちろん、父伯爵の政治的な戦略だ。政略的に嫁がされた相手を、愛することができるかどうかは問題ではないものだ。
「……愛のない相手であっても結婚しなければならないのが、貴族でしょう?」
「つまり、ジョゼの相手は常に、『真に愛する者』ではないということか?」
「ええ」
今まで結婚した貴族たちはジョゼを政略的に得た妻として扱い、ジョゼもそのように振る舞った。愛人を作る夫もいたし、暴力を振るう夫も、母親とべったりでジョゼを顧みない夫もいた。
だからこそ、ジョゼもサフィールと同じように誰とも結婚しない道を選んだこともあったのだが、幸せな最期であったとは言い難い。誰に看取られることもなく、ただ一人孤独に息を引き取ったのだから。
「サフは、どうなの? 相手のことは常に愛していた?」
「……きみも同じだと思うが、もはや誰と結婚しようとも幸福を得られることなどないと思ってしまう。美貌や歌声に心惹かれても、『真に愛する者』なのか常に疑ってしまう」
「それはとても……疲れるわ」
「ああ」
二人は顔を見合わせて、互いが同じ結末を選んだことがあるのだと知る。それがいつなのか、どういう場面だったのか、尋ねはしない。心が傷つき、つらくなるだけだ。
「『真に愛する者』と結婚をすれば、聖母神から幸福な結末を与えられるだろうか」
「わからないわ。前回、船が難破するまでは、ようやく幸せになれるのだと信じていたもの。難破さえしなければ、と思ってしまうのよ」
「では、今回も他国の王子と結婚を?」
「彼はあなたと同じ第一王子だったから国へ帰らなければならなかったけれど、第二、第三王子くらいなら、我が国で伯爵を継いでくれるのではないかしら? そうすれば、サンドラとサフは結婚できるし、わたくしも父の駒として役目を果たすことができるわ」
サフィールは首を左右に振る。そして、悲しげな表情でジョゼを見つめる。
「それではジョゼが幸福な結末を迎えられない」
「大丈夫よ。愛してみせるわ、夫を」
「『愛してみせる』と言っている時点で、それは――」
サフィールが飲み込んだその先の言葉を、ジョゼも知っている。サフィールがそれを指摘しないのは、彼の優しさからだろう。
サフィールは机の上で、ぎゅうと拳を握る。
「……ジョゼ」
「わかるわ、サフ。わたくしだって、もう」
サフィールの拳に、ジョゼが手を重ねた瞬間だ。ばちん、と互いの体を何かが走った。ぴりぴりとする痛みのような、じわじわとする暖かさのような。何とも言い難いものだ。
ジョゼもサフィールもそのまま固まり、顔を見合わせる。
「何、かしら? 今の」
「ジョゼも気づいたか?」
「ええ。ここはホコリっぽいから」
「あぁ、なるほど。ホコリのせいか」
二人は頷き合う。そして、ジョゼは慌ててサフィールから手を離す。
――知らなかった。サフの手って、角張っているのね。それに、すごく暖かかったわ。
まだドキドキしている胸を押さえ、ジョゼはちらとサフィールを盗み見る。濃藍色の髪は手入れされ、少し日焼けした肌は健康的。美しい青藍の瞳は、その名の通り青玉そのものだ。
サフィールが美男子であることに、ジョゼはようやく気づく。今まで、彼をそんな目で見たことがなかった。
「……ジョゼ。次はいつ会える?」
「え、ええ、そうね……五日後くらいかしら。安息日の翌日。行けない場合は、安息日の礼拝のあとに、日にちを書いた紙をここに置いていくわ」
「五日後か。三日に一度くらいは会えないか?」
「無理よ。そんなに頻繁にお菓子作りはできないもの」
「菓子なんてなくても構わないのに」
突然艶っぽく話し始めたサフィールに、ジョゼは違和感を覚える。何しろ、サフィールの青藍の瞳が、ずっとジョゼを見つめているのだ。
「サフ?」
「すまない。どうかしている。きみが、絶世の美女に見えるなんて」
「……失礼な。わたくしは、ずぅっと前から、美女です、のっ」
ジョゼは「のっ」と言うと同時に、サフィールの頭をぺしりと軽く叩いて頬を膨らませた。そして、へそを曲げたまま「ごきげんよう」と言い置き、後ろを振り返らずに、時鐘塔から去っていくのだった。
残されたサフィールが「可愛い……」などと言いながら悶えていることも、知らないで。