011.予想外の求婚
「おい、アルジャン、茶会は終わったか!? ジョゼを借りるぞ!?」
「茶会は終わっておりませんし、ジョゼをモノのように貸し借りするものでもありません」
「お前は本当に理屈っぽいな!」
「兄さんが感情的すぎるだけです」
兄弟喧嘩が始まったため、ジョゼは緋色の花飾りを手に二人を眺めながら、そろりそろりと後退る。王族を前に失礼なことをしていることはわかっているが、この場に残り続けるのも拷問に等しい心情である。
「キスするのは反則だろう!?」
「キスをしてはいけないと、いつ誰が約束しましたか?」
「正々堂々はどこへ行った!?」
「それを言い出したのは兄さんでしょう。僕は僕のやり方でジョゼを振り向かせてみせると……ジョゼ?」
ジョゼがその場から消えていることに、ようやく二人は気づく。ジョゼはサフィールがやってきた方向、宮殿のほうへと向かっている。乗ってきた馬車は既にどこかへ行ってしまっているため、執事か侍女に馬車を呼び戻してもらおうと考えたのだ。
「ジョーゼー!」
「ひっ!」
背後から聞こえるサフィールの声にジョゼは肩を震わせ、慌てて宮殿の近くに控えている使用人たちへと訴える。
「あの、わたくし、伯爵家へ帰ります。馬車の準備を」
「ジョゼ、逃げるなー!」
「馬車の準備を、早く……!」
アルジャンの付き人たちは、それぞれが顔を見合わせる。東屋で優雅に香茶を飲みながら、主人は何の指示も出さない。そのため、使用人たちは困惑しているままだ。
サフィールの付き人たちは、主人が明確に「逃げるな」と発しているため、馬車を呼ぶ必要はないと判断している。
つまり、ここ王宮にジョゼの味方はいない。
アルジャンと結婚したときに宮殿に住んでいたため、フランペル王宮の地図はジョゼの頭の中に入っている。王宮の門へ行くには、宮殿の中を突っ切っていくのが一番の近道だ。だが、扉の前には騎士がおり、王子妃でもないジョゼが宮殿に立ち入るには許可が必要である。
「門へ行くために、宮殿内を通っても構いませんか?」
「……それは、承服いたしかねます」
「かしこまりました。では、外から回ることにいたします」
ジョゼは大きな大きな白亜の宮殿を恨めしく思いながら見上げる。王家の者が住まう宮殿は、伯爵家の邸や貴族街の邸よりも遥かに大きい。扉の前には必ず騎士が立っており、勝手に宮殿に足を踏み入れることはできないようになっている。
馬車がない今、ジョゼは巨大な宮殿の外をぐるりと回り、門に向かわなければならないということだ。ジョゼが覚悟を決めて一歩踏み出した瞬間に、どんと何かがぶつかってきた。
「ひゃあ」と情けない声を上げて倒れるところを、誰かが抱き止める。目に入った白藤色のシャツに、ジョゼは青ざめる。
「サ、サフ……」
「ジョゼフィーヌ嬢が足を挫いたらしい。誰か手を貸せ。俺の部屋で手当てをしよう」
「待って、別に挫いては」
「骨が折れていたら大変だー」
自分でぶつかってきた上、何とも白々しいセリフのような言葉で使用人たちに「連れて行け」と命令するサフィールの真意が見えない。
ジョゼが戸惑っていると、そばにいた騎士がひょいとジョゼを抱き上げる。
「サフ、アルに挨拶を」
「放っておけ。必要があればまたやってくるから」
「でも」
宮殿の中に入る直前、ジョゼは東屋からこちらを見て微笑むアルジャンと目が合った。彼の口が「ま・た・ね」と動くのを見て、サフィールの言葉の意味が理解できたのだった。
サフィールの私室は宮殿の四階にある。室内は簡素なものだ。いくつかの本棚に、テーブルとソファ。出入り口以外にも扉があり、寝室や衣装部屋に通じている。公務用の部屋はまた別にあるらしい。
サフィールはテーブルを挟んでジョゼの正面のソファに座る。拗ねたような表情で。
「怪我はないか」
「ございません。王子殿下の下手な芝居に付き合わされて大変迷惑しております」
サフィールの行動と言動にイライラしているため、敬語が手放せない。そうでもしないと、口汚く罵ってしまいそうだった。
サフィールのほうも意固地になっているのか、表情を崩さない。苛立っているのは同じ様子だ。
「なぜ、来た? 断ればよかっただろう?」
「断ることができない立場なのだと、理解はしてくださらないのですね」
「俺の気持ちを知っていても、か?」
「あなたの気持ち、と言われましても」
手紙の暗号は読み解いたが、それはただの暗号だ。それ以上でもそれ以下でもなく、本気なのか冗談なのかが判断できない。
ジョゼは溜め息をつく。
「そんなに大切なお気持ちなら、直接顔を見て仰っていただかないとわかりません」
「……まぁ、そうだな」
面食らったのはジョゼのほうだ。今までなら、嫌味の応酬に付き合ってくれていたサフィールが、素直に自らの非を認めている。ジョゼにとっては何とも居心地の悪い展開だ。
「それはすまなかった。手紙一つ書いて送るにしても、アルジャンに邪魔されるかもしれない上、何人もの手を渡るために、どうしてもああいう形を取らざるを得なかった」
「信頼できる人がいないというのも、大変でございますね」
「そうだな」
いつの間にか、サフィールはジョゼの目の前に跪いている。サフィールは恐る恐るといった様子で、戸惑うジョゼの手を取る。
ジョゼの心臓が跳ねる。もうびりびりとした感覚はないが、ドキドキと心臓がうるさい。
ジョゼの手の甲にキスをして、サフィールはそのまま自らの額をジョゼの手の甲に押しつける。手から伝わるサフィールの熱さに、ジョゼは混乱する。
「ジョゼフィーヌ、俺と結婚してほしい」
青藍の瞳がジョゼを見上げる。緊張した面持ちのサフィールに、彼の覚悟を知る。
ジョゼにはまだその覚悟はない。だからこそ、アルジャンの口を封じた上、まだサフィールにも会いたくなかったのだ。
――今、覚悟を決めないといけないの?
それは無理だわ、とジョゼは泣きそうになった。





