001.はじまりの日
いくつか童話が出てきます。元ネタをどんなふうに改変したのか、楽しんでいただけると幸いです。
何度も何度も同じ悪夢を見る。
気が狂いそうになるほどに苦しい夢だ。
悪夢がいつ終わるのか、望むものはどのようにすれば手に入るのか、もう、忘れてしまった。
ジョゼがゆっくりと目を開くと、見慣れた天井が広がっている。木目が美しい寝台から降りて身支度を整える。少し肌寒いくらいなので、いつもと同じ時期、春なのだとわかる。
階下へ降りると既に食卓にはあたたかな朝食が並んでいる。
「あのう、お姉様。よく眠れましたか?」
昨日、ジョゼの妹となったアレクサンドラは、初めてロベール伯爵邸で過ごした継姉を心配してくれているのだ。輝くばかりに美しい金色の髪と、透き通る空色の瞳。大変に可愛らしい令嬢だ。
「ありがとう、アレクサンドラ。よく眠れたわ」
アレクサンドラはパァと顔を輝かせて、「ジョゼフィーヌお姉様はこちらに座って」と案内してくれる。席はどうやら彼女の隣らしい。
使用人から起こされたばかりの顔で「おはよーぅ」とあくびをしながらやってきたのは、ジョゼの実妹イザベルだ。気に入っている銀色の腕輪を撫でながら、イザベルは着座する。
アレクサンドラは二人の継姉に対し、かいがいしく世話を焼いている。
「それでは、いただきましょうか」
昨日結婚したばかりのロベール伯爵と、その夫人、そして娘たちは、今日の幸福を神に祈る。ただ、ジョゼだけは、別のことを祈るのだった。
――今回こそ、幸せな結末を迎えられますように。
「ジョ、ジョゼフィーヌお姉様っ」
「ジョゼ、でいいわよ、アレクサンドラ。わたくしもサンドラと呼んでいいかしら?」
「は、はい、もちろんっ!」
アレクサンドラは興味深そうにジョゼの手元を見つめている。卵白に粉類、そして焦がしバターを混ぜ、型に入れて焼けば美味しい焼き菓子になる。ジョゼの母が伯爵夫人になるまでは菓子専門の使用人もおらず、自分たちで焼き菓子を作っていたため手慣れているのだ。
今日作るものには杏ジャムをたっぷりと入れてある。甘酸っぱい風味に仕上がるはずだ。
「イザベル、サンドラ、かまどの準備をお願いするわ」
「うふふ、サンドラったらかまどの掃除もしたことがないの? 灰まみれじゃないの」
「そう言うベルお姉様だって」
「サンドラ、ではなくて、灰かぶり、と呼ぶほうがいいかしら?」
「やだ、ひどい、ベルお姉様」
きゃあきゃあと楽しげに笑い合う姉妹を見ながら、ジョゼは金型に生地を入れていく。昔から使っている古いものだが、油の馴染みがいいのだ。
「ジョゼお姉様はお菓子作りが得意でいらっしゃるの?」
「うふふ、お姉様は何でも得意なの。乗馬も上手だし、字も綺麗、ダンスだってすぐに習得したのよ」
「素晴らしいわ……! わたしなんて、未だにダンスが下手なのに」
イザベルが得意げに実姉を見て、アレクサンドラは羨望の眼差しを継姉に向ける。裁縫も、料理も、掃除も、とりあえず何でもできることは伏せておこうとジョゼは思う。なぜ何でもできるのかを問われると厄介だからだ。
「社交界に出るまで、サンドラにはまだ時間はあるでしょう? その間に精進なさい。それより、二人とも。服も髪も灰で真っ白じゃないの。お風呂へ行っていらっしゃい」
ケラケラと笑いながら、血の繋がっていない姉妹は浴室へと向かう。使用人たちが慌てて湯を張っていることだろう。
二人が準備したかまどの火加減を見ながら、ジョゼは鉄板を差し入れる。二人が風呂から上がる頃には、焼き上がっているだろう。美味しい美味しいと言いながら、腹ぺこの二人は全部食べてしまうに違いない。その前に、両親の分と、もう一人の分を隠しておかなければならない。杏ジャム入りの焼き菓子を好む、「彼」の分だ。
ジョゼは、ぼんやりと台所の窓から外を見やる。屋根の向こうに見える、高い時鐘の塔を。
秋から春にかけて議会がある間、貴族は家族を連れてフランペル王国の王都に集う。議会が終われば領地に戻る。それがこの国の「普通」だ。
今、ロベール伯爵一家は王都にいる。新たな伯爵夫人はうきうきとしながら貴族の夫人方が集う社交場へと出かけていく。茶会に夜会、それらは議会と同等の、貴族の戦場でもあるのだ。
ジョゼは焼き菓子を入れたカゴを持ち、こっそりと邸を出る。そして、小高い丘のほうへと向かう。
丘の頂上には王宮、中腹には聖教会がある。大神殿の聖母神像の前にいる信者はまばらだ。乳白色の大理石で彫られた聖母神像は、なぜか実妹イザベルによく似ているため、何とも不思議な気持ちになる。つけている片腕だけの腕輪もそっくりだ。
そんな親近感溢れる聖母神像に自らの幸福を祈り、ジョゼは足早に大神殿をあとにする。
聖教会の庭の外れにある時鐘塔には、滅多に人がやってこない。だから、密会にはちょうどいいのだ。
あたりに誰もいないことを確認して、ジョゼはこっそりと時鐘塔の中へと滑り込む。石造りの堅牢な塔だ。換気用の小窓がいくつかあるため、カンテラなどは必要ない。
ジョゼは壁伝いに階段を登り、踊り場に到着する。そして、先に椅子に座っている青年を見つけて、笑う。
「……ふふ、やつれてる」
「言うな。散々な目にあったんだ。そっちは?」
「こっちもよ。酷かったわ」
簡素な椅子に座り、カゴの中身を机に置くと、青年は青藍の瞳を輝かせる。
「あぁ、待ちわびたよ、この味を。杏は入っているか?」
「もちろんよ。どうぞ、召し上がれ」
焼き菓子を両手に持ち、青年はそれを頬張り始める。ジョゼの目には、食いしん坊な青年にしか見えない。どうしたって、この国の「青の王子」と名高い――サフィール第一王子には見えないのだ。
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