殺し屋は屋上で笑う 後編
それはもはや視覚の暴力であった。
相沢が飛び跳ねるたびにスカートが揺れその下に隠された禁断の至宝というべき秘密の桃源郷が姿を現そうと――
いやもう言ってしまえ。パンツ見えそう! やばい!
パンツ、パンツだ。パンツでした。手本じゃなかったんです。
相沢さん(アホ)が見せようとしたのは手本じゃなくてパンツだったんです。相沢さん(痴女)と言っても過言ではないのではないでしょうか?
俺は思い知らされた。俺は思春期真っただ中の健全な男子高校生の一人に過ぎないと。
こんなもんを見せつけられてみろ。いくら命の危険だろうがなんだろうが可愛い女子のスカートの中身が見えそうだったらどうだ。
命とパンツを天秤にかければパンツが天秤の台座をぶち壊す勢いで勝ってしまうのは言うに及ばない!
もう少しだ。もう少しで見えそうなんだ!
赤く染まってきた空。どや顔の相沢。はためくスカート。なんだこの状況は。
一体なんだというのだ。まるで異世界に迷い込んでしまったかのような錯覚、いや異世界でも構わない! 最高な状況だから!
その時、相沢が不思議そうにこちらを見ていることに気付いた。そして、相沢は下を見つめる。
ああ、なるほど。これは俺の目線がどこに集中してたか気付いた様子ですね。なるほど。
みるみるうちに顔を赤くし、慌てた様子でスカートを抑える相沢。口が大きく開かれた。
「アンタ何みてんのっ!」
……どうやらスカートがどんな危険な状況になってるかは理解してなかったらしい。が、そんなことはどうでも良かった。もっと大問題が起こってしまったのである。
慌ててしまったせいで相沢は体勢を大きく崩す。その体は真上ではなく真横に跳ねていって――
「へっ?」
「あっ」
俺と相沢の、間抜けな声が重なった。
真横に跳ねていった相沢は、フェンスのない空間へと投げ出され――
「いやぁーーー!!」
「あ、相沢ァーーー!!」
屋上の外へと、飛んで行った。
考えるより先に体が動いた。無我夢中で校庭へとダイブしそうになる相沢へと手を伸ばす!
届いた。なんとか腕だけつかめた!
しかしその直後俺の体は屋上の縁へと叩きつけられた。衝撃が襲ってきたが悲鳴をあげる余裕すらない。
上半身だけ身を乗り出す形になり、相沢の右腕を両手で掴んでいた。重い。しかし絶対に離してはならない!
「し、死ぬ! 助けてぇー!!」
「騒ぐな! 俺も死ぬ! 落ちつけ!」
悲壮感たっぷりの相沢に返事を返しながら俺は必死に相沢を引き上げようと力を込めた。
しかし悲しいかな、帰宅部のエースを自称する俺如きの腕力ではそれは敵わないようだ。
だとしても、諦めるわけにはいかない。
「鹿野! 鹿野ちょっと頑張って!!」
「ちょっとどころじゃなく頑張っとるわ!」
このままでは相沢を助けるどころか俺まで一緒に落ちてしまうかもしれない。
そもそも相沢は俺を殺そうとしていたわけで、俺がこいつを助ける義理などないのではないか?
いや、何を馬鹿なことを考えている俺よ。諦めるな。絶対に手を放すな!
踏ん張れ俺、火事場の馬鹿力とやらを見せてくれ!
すると急に腕が軽くなった。相沢を掴む手が二本増えている。
その腕と一緒に、相沢を一気に引き上げた。
「はぁ……全くどんなシチュエーションだいこれは」
「……葛塚!」
助けてくれたのは葛塚だった。少し荒い呼吸をしながらもその表情はいつものように軽薄さが漂っていて、呆れたような笑いを浮かべてこちらをみてくる。
「うっ……うっ……! 怖かった……! 死ぬかと思ったよぉ……!」
「大丈夫か相沢……?」
よほど怖かったのか相沢は涙と鼻水で顔面を汚している。
年頃の女子としては他人に見られたくないであろう壮絶な顔を晒しているが、まあ無事でよかった。
泣きじゃくる相沢をどう宥めたものだろうか。
泣いている女子にどう対応すべきかなんて灰色の学生生活を送ってきた俺が知るわけがない。
俺は目線で葛塚に救援要請したのだが、葛塚はこちらに見向きもせず、へたり込んでいる相沢を無表情に見つめていた。
「とりあえず今は相沢さんをどこかで落ち着かせよう」
「葛塚にしては良い考えだ。鹿野党は全面的に支持しよう」
「鹿野党にしては珍しく良い判断だ。さて、僕らが連れて行くよりも彼女の友人を呼んだほうがいいんじゃないかな。相沢さんと仲が良いというと……」
相沢と仲が良い女子と言えば真っ先に思いつくのは一人。
「真白がいいんじゃないか? 仲が良かっただろ、たしか」
「ああ、確かに。よし連絡とってみるよ」
言うやいなや葛塚はスマホを取り出し少し画面をタップした後耳元に持っていった。
なんでお前真白の連絡先持ってんの、なんてどうでもいい質問は止めておこう。
葛塚が眞山に電話している間に俺は相沢を宥めることにした。
「相沢、その……大丈夫?」
「う……っ! えぐっ……! 怖かったよぉ……!」
「相沢、一つ安心してほしいんだけど」
「……なに……?」
「パンツは見えなかったぞ。大丈夫だ!」
「……へ?」
直後側頭部に衝撃が走った。目に映る光景が揺れる。
頭を押さえながら横を見ると葛塚が電話で話しながら握りこぶしをこちらに見せつけている。
こいつに殴られたのか。笑いながら怒る人間を俺は初めて目撃した。
なるほど今はそんなことを言ってる場合ではないのかと、俺も理解する。
相沢は怒っているだろうか。恐る恐る相沢の方に目をやると、そこには俺の予想を見事に裏切ってくれた彼女がいた。
「……よかったぁ~!!」
相沢が笑っている。泣きながら笑っている。泣きながら笑う人間を俺は初めて目撃した。
葛塚の方をちらりと見ると、やや引きつった笑顔で固まっている。葛塚にとっても相沢のこの反応は予想外だったのだろう。
「相沢さん、眞山さんが階段降りたところで待ってるよ。そこまで行けるかい? 手を貸そうか」
「だ……、大丈夫。もう大丈夫だから……」
相沢はよろよろと立ち上がりスカートをぱんぱんと軽く叩いて砂埃を落とす。
どうやら少しは落ち着いたようだ。その顔面は未だ涙と鼻水にまみれてはいるが。
葛塚は相沢の肩に手を回しもう片方の腕で流れるような仕草でハンカチを取り出しすっと差し出す。
俺は驚いた。まず一つに肩に手を回すとかもうセクハラだろという点。
もう一つはハンカチを持っていること。さらにもう一つはそれを相沢に差し出すというスマートな行為をしやがったことだ。
「で、でも悪いし……」
「ああ、気にしないでくれ。貰い物で家に沢山あるんだよ、それに――」
そこで葛塚はにっこりと性別問わず誰もが見惚れそうな爽やかな笑顔を作った。
「男のハンカチは女性の涙を拭うためにあるのさ」
葛塚、葛塚この野郎。
なにその台詞。なんなの? いやいや何キザなこと言ってんの? 思わずキモいって言いそうになっちゃったよ俺。
「キモッッ!!」
というか言っちゃったよ俺。
「キモいは酷いよね鹿野」
「いやいやいや! キモいよ! 何が女性の涙を拭うためだよ! そんなんハンカチの使用用途に書いてませんわ!」
「鹿野」
「お前普通ハンカチとか用足して手を洗った時に使うもんだろうが! キモいよ!」
「鹿野!」
「それともあれか! 葛塚の認識としてはトイレの蛇口からひねり出されるのは女性の涙と同じようなものってことなのか!? いやあ凄い世界認識してるなぁ! キモい!!」
「鹿野ォ!!!」
ギャーギャー言い合いを始める俺と葛塚。
いやこれは葛塚が悪い。俺は悪くない。こいつがキモいから悪い!
別に相沢にちょっかいかけるように見えたのが不快とかそういうことではないのだ。
「ぷっ……あははは!」
突如相沢が笑い出した。実におかしいといった風に腹を抱えている。
俺と葛塚はそんな相沢をぽかんと見つめると、二人で顔を見合わせた。
元気でたっぽいな、そのようだ。
言葉に出さずそんなやりとりを交わした、気がする。
ひとしきり笑い終えると相沢は葛塚のハンカチで顔を乱暴にごしごしと拭った。
「ありがとう葛塚、これ洗って返すね」
「ははは、返さないでも大丈夫だよ」
「あと、鹿野」
「ん?」
少し照れたように、なんだか困ったように、何故か悲しそうに。
「ごめんね」
相沢は笑った。
相沢が屋上から出て行くのを見送ると、俺と葛塚は同時に深いため息をついた。
なんだかとても疲れた。しばし何をするわけでもなくぼーっと過ごした。空は茜色に染まっていく。
何が起ころうとも今日も夜がやってくる、いつものように。
「さて、と。これからどうする?」
「聞きたいことは色々あるんだけどさ、周りを見てみようか鹿野」
言われて周りを見渡す俺。無くなったフェンス、小型のトランポリン、そして消えた屋上の鍵。
「葛塚」
「なんだい?」
「三十六計」
「乗った」
逃げるにしかず、だ。この状況を誰かに見られでもしたら厄介なことになる。
俺と葛塚は猛ダッシュで屋上から逃げ出した。そのまま学校を後にすることにする。
流れるような帰宅。これぞ帰宅部の本領発揮である。
途中で吹奏楽のリズミカルな演奏が聞こえてくる。聴き覚えのあるメロディだ。
「聞いたことあるなこれ」
「テキーラ」
「酒を飲みたいのか? 未成年は飲んじゃ駄目なんだぞ」
忠告した俺を哀れみこもった目で一瞥すると、葛塚は歩くペースを早めた。まて、置いていくな。
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【任務報告、あるいは備忘録】
西暦2021年 7月6日
『本日、私のミスで大変なことになりかけた。結果なんとかなったけど認識を改める必要がありそう。今後はもっと協力を仰ぐことにしよう』
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