1 告白予告
言っておくが、俺は生まれてこの方女性にモテるという経験をしたことがない。
異性と恋人関係になる経験なんてもちろんなかったし、クリスマスやバレンタインといった季節イベントもことごとくスルーせざるを得なかった。
そんな俺が高校生となった現在、もはや自分にそのような浮ついたことは起こらないだろうと半ば諦めの境地に至ったのだ。
いわゆる「リア充」と呼ばれる存在が妬ましいと思えたのも今は昔。
「へへ、俺の代わりに青春を謳歌しろよ若人共よ」などと高校最初の夏休みを控えた思春期真っただ中の少年にしては老い過ぎた思考をするくらいに、俺は枯れていた。
俺は青春なんてものは諦めていたし、恋愛なんてものに対する欲はとうに枯れ切ってる。
……そう信じ込んでいた。今日、相沢にこう囁かれるまでは。
「放課後、校舎裏の焼却炉に来て」
授業合間の休憩時間、俺の後ろの席に座る相沢穂波に肩を叩かれ急に耳に飛び込んできたその言葉の意味を理解するまでに、数秒の時間を要した。
放課後校舎裏の焼却炉に来て? それってつまりアレじゃないか……? アレなんじゃないか!?
これって告白イベントってやつなんじゃねえの!?
俺自身のその思い上がった答えを必死に否定するために脳細胞が活性化する。
ちょっとでいいから勉強で活性化して欲しいもんだが今はそんなこと言ってる場合じゃない。
Q、これは呼び出されてどうでもいい雑用をやらされるということではないか?
A、相沢穂波は雑用を頼むような係にも委員会にも所属していないはずだ。
Q、相沢は呼び出す相手を間違えたのでは?
A、肩を叩かれたうえで言われた言葉だ。相手を間違えるとは考えにくい。
Q、そもそも相沢が俺に告白する理由がないのでは?
A、 …………
そう、そうなのだ。相沢穂波、俺の後ろの席に座る女子。俺と相沢は仲が良いどころか話した記憶も殆どない。
つまりだ、これは俺が期待するような甘酸っぱいイベントでもなんでもないと考えるのが普通!
なんてこった……短い夢だった。けれど――いい夢だった。
相沢に囁かれてここまでそれほどの時間は経過していないはずだが、このわずかな時間は俺の高校生活始まって以来の刺激的な時間だった。
俺の人生始まって以来の恋愛密度の濃い時間だったかもしれない。
いい夢だった。とても短い愚かな甘い夢だった。
振り返り、相沢を見据える。この時俺はもう平静を取り戻していた。囁かれた時全身に吹きあがった汗も夢と共に消えた。
いつも通りの俺よこんにちは。愛想笑いは上手に顔に貼り付けたはず。
「相沢さん、なにか用事があるなら今聞くけど?」
よし、声もいつも通りに出せた。もし震えてたんじゃ「何勘違いしてんだクソ男子がキモいんじゃボケ」と思われていたかもしれない。
俺の言葉に相沢はすぐ返事をしなかった。一度は俺に向けた視線をとてもわざとらしく窓の方に向けるとそのまま無言で虚空を見つめていた。
教室内では愛すべき学友達が思い思いに束の間の休息を謳歌していた。
笑い声が混じり合い聞き取れないノイズとなって俺の耳を通り抜ける。
誰かが発した「馬鹿じゃねえの」という言葉だけを俺の耳は認識し、脳に居座らせる。
相沢は未だ何も口を開かず窓の外から目を離さない。そんな彼女から俺は目を離せなかった。
周囲のノイズはいまだ収まらず、絶えず聴覚を刺激する。その刺激が今も時間は流れているのだと教えてくれる。
つまり、動かない俺と相沢だけ時間が止まっていると感じるのはただ錯覚にすぎないのだろう。
「……あのさ」
相沢が急に口を開いた。窓に向けられていた目はゆっくりと俺の方へと移動する。
「それはその時話すから……とにかく来てよ」
消えそうな声。周囲のどんな音よりも小さいはずのその声を俺は聞き逃さなかった。
それだけ言うと相沢はまた窓の外へとに視線を向ける。
今度は顔ごとそちらへ向けているので相沢の横顔を俺はぼんやりと見つめることになった。
話はもう終わったとでも言うように相沢は俺の存在を無視していた。
それでも俺は相沢から目を離すことができずにその横顔を呆然と見つめ続ける。
その時とあることに気が付いた。
相沢の頬が、赤くなっている。
見間違いではないと思う。明らかに赤い。よく見ると髪の合間から見える耳も赤くなっている気がする。
それに気が付くと俺は勢いよく前へと向き直り、両手で口を押えた。
これはあれじゃないですか? 照れてるってやつじゃないですか!?
誰に言うわけでもない問いかけが俺の脳内を駆け巡る。
Q、あの台詞、加えて赤らめた表情から推測される相沢の用事とは何か?
A、告白である!
その答えに至ると俺は声を出しそうになるのを必死で抑え、両手をぐっと握り締めた。
告白だ、間違いない。相沢は俺に告白しようとしてるのだ!
まさかそんなバカなこれは罰ゲームの可能性があるぞと俺の中の冷静な俺が脳内で叫ぶのだが、聞こえないフリをすることに決めた!
まさかこの俺がこんな可愛い子に告白されるなんて!
謝らなければならない。俺は俺に謝らなければならない!
枯れたなんて嘘だった。俺はまだ恋というやつに興味津々でチャンスがあればこうして舞い上がってしまうくらいには思春期の男子高校生だった!
連絡先の交換をしなくてはならない。相沢の趣味ってなんだろう? 家はどこなのだろうか?一緒に登下校できたりするのか? 毎晩アプリでやりとりしちゃったりするのか!? 制服デートとやらを
かましてしまうのか!? デートってどこにいけばいいんだ!? もしかして手を繋いだりするのか!? そんなのもう結婚じゃねえか!!
めくるめく妄想がとめどなく膨張する。完全に舞い上がってしまった俺はその後の授業なんて頭に入るわけがなく、そわそわと落ち着かなくなってしまった。
まずい、落ち着け俺。なんとか落ち着こう……あ、そうだ。
俺は隣に座る悪友へと目をやった。
才色兼備の我が悪友、葛塚楓。
男にナンパされたと語るその横顔は女子と言えば女子に見えてくるから恐ろしい。
葛塚ならば俺よりも恋愛経験が豊富なはずだ。そうだ、こいつに昼休み相談しよう。
教室じゃ他の奴に聞かれてしまうな、じゃあ中庭で飯を食いがてら自慢……じゃなかった相談しよう!
授業の間、俺はニヤケ面が抑えきれずにいた。
途中で葛塚と目が合うと、気味悪いようなものを見る目で見られてたのが少々腹がたったが、まあ許そうではないか。昼食時には話してやるぞ、我が悪友よ。
────────
つい最近高校生活が始まったかと思ったのに、今日の気温ときたら『もう夏が来るぞ!』とうるさいくらいに俺に主張してくる。
このままだと魅惑の高校生ライフがあっという間に終わってしまうぞ俺よ。光陰なんとやらである。
「昼休み、同輩の笑い声響く中庭で暖かな日差しを浴びながら食事をするのも悪くないな」
俺と並んでベンチに腰掛け、少し芝居かかった台詞をほざくのは我が悪友、葛塚楓だ。
「そうだろう、悪くないだろう。たまには外で食べるのも悪くないだろう葛塚」
「ああ、隣にいるのが君ってのは残念極まりないけどね」
この野郎、と俺が軽く葛塚を睨む。すると葛塚は軽薄そうな笑みでへらへらと笑った。
葛塚楓は高校で出会った俺の悪友だ。
葛塚楓の見た目は一言で言ってしまえばイケメンだ。艷やかな黒髪のミディアムヘアは見るものにえげつないほど爽やかさを主張してくる。
憎たらしいことに顔立ちはとても整っていて、中性的な印象を受ける。女子に間違われてもおかしくはないだろう。
女子からの人気は抜群であるし、その証拠に最近では隣のクラスの前を通るだけで女子の黄色い声が上がるほどだ。
信じられるかそんな現象? 俺は信じられなかったし信じたくなかった。羨ましいし妬ましい。
ついでに男子からの人気も高い。さらに言えば女性と間違われて街中でナンパされたこともあるらしいから大したものである。
スポーツ万能、成績も良いし授業態度もそれなりに真面目。誰とでもにこやかに対応するし(俺に対してだけは例外である)、まだ高校生一学期だと言うのにすでに教師陣からの信頼は厚い。
天は二物も三物も与えるのだから不公平極まりないな。唯一俺が勝ってるのは身長くらいなもんだ。
そんな完璧人間優等生葛塚クンであるが、俺と奴の仲良くなったきっかけは中々ぶっとんだ恥ずかしいものだった。個人的には思い出したくないほどに。
そのとある恥ずかしい事件以来、俺と葛塚はよく行動を共にすることになり現在に至る。
「それで? わざわざ中庭での昼食を誘って来たんだ、何か話でもあるのかい」
そう言いながら焼きそばパンを投げて寄越して来る葛塚。俺は焼きそばパンをキャッチしながら軽く礼を口にする。これは葛塚に購買で買ってきてもらったものだ。
「察しが良くて助かる。良い知らせと悪い知らせがあるんだが、どっちから聞きたい?」
「こういう場合は良い知らせから聞くのが礼儀ってもんだろうけど、君にそれは無用だな、悪い知らせから聞こう」
「葛塚、親しき仲にもなんとやらと言うだろうが」
「おや、いつから僕と君が親しき仲になったと言うんだ?」
俺が睨むと葛塚はまたへらへら笑う。このように人を小馬鹿にした態度で葛塚は接してくる。
俺以外の人間にはこんな態度はとらない。きっとこれがこいつの本性なのだ。みんな騙されてるぞ! っていつか大声で叫んでやりたい。
「……じゃあ悪い知らせから言うぞ、財布忘れた。この焼きそばパン奢りでよろしく」
「えっ、おい! パシらせておいてそれはないだろう!?」
「すまなひとおもってふよ」
「すまないと思うなら食べたまま謝罪するな! 全くとんでもない奴だな君は……」
ジトッとした目でこちらを見ながら自らの昼食であるサンドイッチにかぶりつく葛塚。すまん、明日には金返すから許してくれ。
「それで? 良い知らせってのはなに?」
「ああ、良い知らせってのは……」
俺は焼きそばパンを大口で頬張り、ゆっくり時間をかけて咀嚼する。
葛塚の目が早く言えと訴えているのはわかったが、こちらにも心の準備というものがあるんだ。許してくれ。ようやく焼きそばパンを飲み込むと、俺は意を決して口を開いた。
「放課後、俺は告白されることになった」
「……は?」
俺の言葉を聞いた葛塚の間抜け面ときたらスマホで撮ってSNSで拡散してやりたいほど傑作なものだった。
しばらく口をパクパクさせた後、渋い顔で眉間の辺りを揉みながら葛塚は唸る。
「……とりあえず君に言いたいことがある。良い知らせはどこへ行った?」
「え、良い知らせじゃんか。俺が告白されるんだぞ?」
「誰が君にとっての良い知らせだと思うんだ! ふつう僕にとっての良い知らせかと思うだろ!」
「葛塚は他人の幸せを喜べる人間だと思ったのに……!」
「他人のはともかく、君の幸せで僕が抱く感情は憎しみくらいのもんだよ」
「思ってた以上に憎悪が深くて困惑してるよ俺!?」
「僕は君のバカさに困惑してるよ! ……まあ、それで、だ」
コホン、とわざとらしく咳払いしたあと、前髪を手でいじりながら空を見上げる葛塚が恐る恐る、と言った様子で口を開く。
「相手は誰なんだい?」
「相沢穂波だよ」
少し照れくさく思いながらも俺がその名前を告げると、葛塚は怪訝な顔をして口元に手をやり何か考えているようだった。
「相沢穂波……?」
「おう」
そう、相沢穂波だ。俺の後ろの席の、クラスメイト。
「……それはおかしいな」
そう神妙な顔で呟いた葛塚を少し小突いてやりたくなった。そこ疑う必要性あるか?
「僕の記憶が正しければ、君と相沢穂波……さんは仲が良いどころか、あまり話しているところを見たことがない」
「ああ、俺の記憶が正しければあまり話したことはない」
「なのに告白……? ねえ、ちょっと用心したほうが良いよ。何か裏があるかもしれない」
「あってたまるか! おい葛塚、何をそんなに疑ってるんだ? それともモテる俺に嫉妬してるとかか? へへへ、ざまあみろとでも言ってやろうか!」
「確信はないけど、ざまあみろと言うのは君じゃなくて僕だと思う」
「ん、どういう意味だ?」
「まあそれは置いといて。被告人、鹿野翔馬。一体どういう流れで告白されると思ったのか話しなさい」
「何が被告人だよ。罪は何だってんだ――いや、待てよ? モテる俺の存在自体が罪ということ……か?」
「バカか君は?」
「クズに言われたくないよ」
俺の名前、鹿野翔馬の尻と頭をとって『バカ』で葛塚の頭をとって『クズ』
お互いそうして罵り合う俺たちだが、別に本気の喧嘩じゃない。
俺と葛塚にとってはいつも通りのことなのだ。お互い遠慮せず罵り合う。それが俺と葛塚である。
何でも気兼ねなく話せるこの悪友に、俺は今朝起きたクラスメイト相沢穂波による『告白予告』について話すことにした。
続けて投稿します