第63話:異空間
八十神くんの家に入る決意を固め、お母さんの身体を敷地の外に引っ張り出す。そして、塀に背中を預けるように凭れかけさせ、目立つように足元に懐中電灯を置いた。これで近くを通った人に見つけてもらえるはずだ。
『待てチビ助。朝陽に知らせる』
太儺奴さんがそう言うと、辺りをヒュウと突風が通り抜けていった。
「今の、なに?」
『風に乗せて状況を伝えた。チビ助の母ちゃんを放置しとくわけにもいかねーだろ?』
「う、うん」
そんなことが出来るんだ。
そういえば縁結びの祠に向かう時に、小凍羅さんが離れた場所の状況を誰かから聞いて教えてくれたっけ。あれは太儺奴さんがやってくれていたんだ。
でも、お兄ちゃんは身体が弱いから一人でお母さんを連れ帰ることは出来ない。誰か大人の人を連れてくるか、救急車を呼ぶだろう。そうしたら、現場であるこの家にも確認しに入るかもしれない。お母さんみたいに気絶しちゃうかもしれない。
やっぱり、早く何とかしなきゃ。
「よし、行こう!」
『……はぁ、やはりこうなるのだな……』
溜め息混じりに御水振さんが呟く。完全に呆れられてしまった。
改めて、八十神くんの家の玄関前に立つ。
普通の家だ。開いたままの引き戸の入り口から中を覗いてみても、特に変わったところはない。意を決して足を踏み入れてみたけど、恐れていたような衝撃や嫌な感じはしなかった。
「あ、あれ……?」
そのまま進み、身体が完全に建物内に収まる。その途端、後ろでピシャリと鋭い音がした。振り返ると、玄関の引き戸が勝手に閉まっていた。開くタイプのドアなら風で閉まっちゃうことはあるけど、引き戸でそれは有り得ない。ぞわっと背筋が寒くなったのは気のせいじゃないよね。
退路は断たれた。
「や、八十神くーん! 歩香ちゃーん! いないのー?」
もう一度奥に向かって声を掛けてみる。
返事はない。
電気はついてるし靴もある。
中に誰か居るはずなんだけど。
もしかして、今までは平気だったけど、急に忌み地の影響を受けて倒れてるのかも。二人して気絶してたら、そりゃ返事なんか出来ないよね。
よし、上がって調べさせてもらおう。
「えーと、お邪魔しまーす」
玄関で靴を脱ぎ、他の靴の隣に揃えて置く。入ってすぐにあるのは廊下だ。真っ直ぐ奥に続いている。左右にドアがあり、それぞれ部屋がある。右はトイレやお風呂で、左はリビングだった。廊下から覗いてみても人影はない。気配も感じない。
廊下を進むと階段があった。
その手前にある引き戸は物置きスペースで、ほとんど何もなかった。ていうか、さっき見たリビングにも机とソファーがあるだけで家具はあまり置いてなかった。
階段を登る。二階の廊下の両脇にふすまがあった。開けてみたら、片方はがらんとした畳の部屋だった。一軒家で一人暮らしだと使わない部屋もあるよね、うん。
この家の中で、調べてない部屋はあと一つ。
「ここに居なかったら困るなあ……」
『だが、何も感じぬぞ』
「ええ~?」
そういえば、家の中には亡者の気配すら無い。何かあったら怖いけど、無きゃ無いで困る。行方不明の歩香ちゃんが来てるはずなんだから、もし倒れてるなら見つけて助けださないと!
何度か深呼吸してからふすまに手を掛け、一気に開ける。
「…………あれ?」
そこには何も無かった。
家具がないとかじゃなくて、部屋がない。
真っ黒な空間が広がっていて、畳や壁、天井、奥にあるはずの窓も見えない。七つの光が照らしているにも関わらず、だ。
「ね、ねえ。何これ」
『……ここだけ異空間になっているのか?』
『わぉ、どーなってんのコレ!』
どうしよう、これは想像してなかった。
あと調べてないのはここだけなんだけど、これじゃ何にも見えないし、うかつに踏み込めない。
「や、やっぱ帰ろっかな……?」
お兄ちゃんに相談して出直そう。
怖気づいて後退りしたあたしの背中に何かが当たった。こんなところに壁が?と振り返ると、そこには無表情の歩香ちゃんが立っていた。
「あ、歩……、ひゃあっ!!」
いつの間に、と思った瞬間ドンと身体を押され、あたしは真っ暗な空間に突き落とされてしまった。




