第2話:榊之宮朝陽
「ただいまー!」
通学路の途中で夢路ちゃんたちと別れ、玄関に飛び込んでカバンを放り投げる。そして、廊下の奥にあるふすまを開いた。
そこは大好きなお兄ちゃんの部屋だ。
「おかえり夕月」
机に向かって座っている背中に抱き着くと、困ったように笑いながらお兄ちゃんが振り向いた。
机の上にはデスクトップのパソコンと分厚い参考書が数冊。あたしが見ても理解できない難しいものばかりだ。
「お兄ちゃん、体調大丈夫?」
「うん。今日は調子いいよ」
「じゃあ一緒にお散歩行こ!」
「はは、どうしようかな」
銀縁眼鏡の奥にある優しい目を細め、お兄ちゃんは迷うように顎に手を当てた。こうやって、あたしの反応を見て遊んでる。
お兄ちゃんは生まれつき身体が弱くてあまり外には出られない。高校を卒業してからは通信制の大学に入って在宅で勉強している。色白で細くて、家の周りを少し歩くだけで息が切れてしまうくらい体力がないからだ。
だから体調の良さそうな時を狙い、運動を兼ねて散歩に誘うのだ。
しかし。
「コラッ、アンタはまた靴を脱ぎ散らかして! 手は洗ったの? うがいは? 朝陽の部屋に入る前にやりなさいよ!」
「ごっごめんなさいお母さん!」
お母さんに見つかって小言責めに遭ってしまった。すぐにお兄ちゃんの部屋から出て玄関の靴を揃え、洗面所で手洗いうがいをする。後ろではお母さんが仁王立ちで見張ってる。背中に刺さる視線が痛いっ!
「お兄ちゃんとお散歩してきていいー?」
「家の周りだけね。遠くに行っちゃダメよ」
「はあい!」
セーラー服から普段着に着替えてから階下に降りると、お兄ちゃんが玄関で待っててくれた。
家の周りは畑ばかりで遠くには山が見える。隣の家まで歩いて三分かかるくらい何もないんだよね。回覧板を届けるのも大変な距離。
そんな田舎の砂利道をお兄ちゃんと手を繋いで歩く。傾き掛けた太陽が辺り一帯をオレンジ色に照らしててすっごくきれい。
お兄ちゃんも外の空気を吸って嬉しそう。
「夕月、最近身の回りで変なこと起きてない?」
「へ? 全っ然。今日も平和だったよ」
「そうか、ならいいんだ。なんだか空気がザワついてる気がしたから」
「ふうん?」
お兄ちゃんは感覚が鋭い。あたしには見えないものが見えたりするんだって。今も何かを感じてるみたい。
「あれ、引っ越しかな」
「ホントだ。引っ越し屋さんのトラック停まってるね」
裏手の道を歩いていたら空き家の前に小型のトラックが停まっていた。業者さんらしき作業服姿の男の人が段ボール箱や家電を運び込んでいる。
その様子を少し離れた場所から見守っている見慣れない男の子がいた。あたしと同じくらいの年齢かな?
挨拶しようと思ったけど、男の子はすぐに空き家の中に入っていってしまった。荷物の整理とかあるから忙しいよね。ご近所さんならいつでも会えるし、また今度でいっか。
「出て行く人はよくいるけど引っ越してくる人は珍しいね。それに、あの家……」
あの家はしばらく空き家になっていた。
お兄ちゃんの言う通り、この町は住民が減る一方。高齢化のせいでもあるし、若者が居着かないせいでもある。
「仲良くなれるかなあ」
「うん、夕月なら大丈夫だよ」
お母さんの言い付け通り、家の周りをぐるっと歩いただけで散歩を終えて帰宅した。