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66. 綺羅星義晴

 綺羅星義晴の部屋に豪華な食事が運び込まれようとしていた。

 扉から鐘が鳴る。

 義晴はベットの中で、呪詛を唱えるように「真琴、真琴」と言葉を吐いていた。だが鐘の音が鳴れば思考は嫌でも回り始め、呪詛は止まる。

「食事を届けに来ましたよ?」

 どうやら食事を届けに来たらしいと義晴は納得してベットから起き上がる。

 普段なら身だしなみはきちんとするタチだが、今の義晴には身だしなみを整えようという考えはなかった。それに加えて、食事を運び込む人間は毎回決まっている。その点を踏まえれば、いちいち身だしなみを整える必要はなかった。

 何故なら既に身だしなみを崩した義晴自身を見られているのだから。

 見られてしまったのなら身だしなみを整える必要はない。そう考えてしまうのが今の義晴である。

 義晴は憂鬱そうに部屋の扉を開け、

「……どうぞ」

 食事を運び込む係を嫌々な面持ちで招き入れる。

「ではお言葉に甘えて、お邪魔しますね」

「……?」

 いつもは同じ人間が運び込む。

 だがしかし、今回は違った。

 見かけない赤髪の女性の姿があった。

 全身白づくめで、妙に刺々しい視線を義晴へ向ける女性こそ――ニルヴァーナその人である。

 しかし、義晴は女性の名を知らない。

「まるでセリグマンの犬のようですね」

 ニルヴァーナは義晴の上から下まで見下ろして吐き捨てて言った。

 まるで、汚物でも見るように。

「……セリグマン?」

 唐突な言葉に義晴は困惑する。

「ええ。もしかして知りませんか?」

 知ってる事が当然とばかり思うニルヴァーナは信じられないとジェスチャーで物語る。

「……僕はそこまで全知全能ではないですよ。知らない事だってある」

 日々、光の勇者と奉られる義晴は心底飽き飽きしていた。

 こんな日々を送るぐらいなら窮地に立たされた愛する人――白石真琴と共に勇者という楔から解き放たれた方がマシだったと考える義晴の考えをまるで見すかすようにニルヴァーナは言う。

「知らないなら知識としてご教示しましょう。あるところにセリグマン教授がいました。彼は犬に対してある実験を行いました。まず電気ショックが流れる装置を取り付けた犬を犬A群と犬B群とに分けました。そして犬A群にはパネルを鼻で押すと電気ショックが止まる経験をさせ、犬B群にはどうやっても電気ショックを回避できない経験をさせたんですよ」

「……酷い実験だ」

「その次の日、低い柵を飛び越えれば電気ショックを回避できる部屋に移し、犬A犬Bそれぞれの行動を観察しました。前日に電気ショックを自分の意思で止めることができた犬Aは柵を飛び越える回避行動を起こしましたが……」

「……犬Bは回避できなかった?」

「そう。あなたの仰る通り、前日にどうやっても電気ショックを回避できなかった犬Bはその場でうずくまってしまった。これにより犬Bは無力を学習したとされます。実際に低い柵を飛び越えれば、電気ショックを受けない。犬Bには前日と違い、まだできることがあるにもかかわらず、はなから動くのをやめてしまうのです。まるで、今のあなたのように」

 ニルヴァーナの全てを見透かした眼差しを受け――

「ッ!」

 ――義晴はとっさに否定することもできず、ただ驚愕を隠せないでいる。

「この傾向があなたには当てはまる。学習性無力感とも言いますがね。その状況から逃れる自発的行動をやめてしまってはセリグマンの犬と変わりませんよ?」

「ッッ!」

(なんだ……この他人を威圧するような空気は……。存在感……オーラ……明らかに常人とは違う。この不気味な気配間違いなく危険だということはわかる)

「……図星でしたか?」

「ちっ違う!僕は、僕はただ真琴に……」

「苦しいですか?」

(自己効力感の復活が必要ですね)

「ああ。真琴に会えないのがどれだけ苦しいか。真琴の笑顔が見れないのがどれほど苦痛か。真琴と話せないだけで……どれだけ無力を味わうか。貴女にはわからない!」

「ええ。わかりませんね。ちっぽけなあなたの気持ちに寄り添おうとは思いません。セリグマンの犬同然のあなたには同情される姿がお似合いでしょう」

 ニルヴァーナは義晴の額をちょこんと触れた。

「ッッッ!」

 触れただけだというのに義晴は抵抗する力を入れることさえできず、押された方向へ引っ張られるように地面に尻をつく。

 義晴は理解できない現象に驚きを隠せない。

 ニルヴァーナは身だしなみがこれでもかと崩れた上、惨めに地面に尻をつくことしかできなかった義晴を見下ろして言う。

「ただし、あなたにほんの小さな、ちっぽけな勇気があるのなら立ち上がりなさい」

「……勇気なんて、桐生と比べれば……僕なんてちっぽけなんでしょうね。真琴を連れて行った桐生とは違う僕なんかが立ち上がれるわけが……ない。低い柵すら飛び越えられない僕なんかが……できるはずがない。全てを捨ててまで、真琴を選び取れなかった僕には……覚悟すらない。……僕は電気に耐えてうずくまる方がマシなのかもしれない」

 義晴は卑屈に笑う。

「そう理解しているなら言います。あなたは反逆勇者()よりちっぽけで、情けなく、勇者とは言えない底辺の人間です。だからこそ勇者としての自覚を取り戻せば、あなたは今まで以上に身近にいる一人一人を守れるのじゃありませんか?」

 ニルヴァーナはその手で義晴を地面に落とし、義晴へその手を差し伸べる。

「僕は真琴を守れなかった。そんな資格は僕には……ない」

 義晴の濁りきった瞳には迷いしかない。

 義晴には決定的に足りないものがある。それを知るからこそ、ニルヴァーナはその手を元に戻さずに言う。

「だったらセリグマンの犬として惨めにこの豪華に取り繕っただけの部屋からずっと閉じこもっていればいい。あなたには勇者としての矜持はないようだ。白石真琴(彼女)が今のあなたを見たらなんというでしょうね。本当にくだらない話でしたよ」

「ッッッッ!」

 義晴は頭を殴打されたように表情を歪めた後――

「僕は…………柵を越えられるでしょうか?」

 迷いを晴らすべく問いかける。

「ええ。あなたに勇気があるのなら必ず――あなたは全ての人々を光で照らし導く勇者なのだから。腐っていては白石真琴(彼女)に笑われますよ?白石真琴(彼女)に誇れる勇者であれば、きっと白石真琴(彼女)の方からあなたの元へ帰ってくることでしょう」

 義晴はニルヴァーナの手を取り、惨めに座り込んでいた時とは見違えるほどに眩しく輝きを放って立ち上がる。

「僕は真琴が安心して帰れる場所をファミリア王国(この場所)で築いてみせる」

「いい意気込みです。では後日国王陛下からお呼びがかかることでしょうから、その時は国王陛下に言ってやってください。『僕は勇者であり、この国の剣です』と……」

 ニルヴァーナは輝きを増す義晴とは対照的に暗く陰りを伴って嗤う。

(あなたは勇者としての模範です。模範だからこそ、決定的な致命傷がある。勇者の定めというべき、無欲。あなたには欲がない。だから白石真琴(彼女)を手に入れたいという欲を刺激すれば、あなたは立ち上がれると思いましたよ。光の勇者がこのままリタイアしてもらうのは大いに結構です。しかし、リタイアしてもらうわけにはいけない理由がある。このまま反逆勇者の彼と共倒れしていただけると有難いんですがね……そう上手くいく話でもありませんね。近々停滞していた流れが動き出す頃合いでしょうから、あたしがその流れを更に早めてみせましょう)

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