3
キリは当惑して、返答の前に一拍置いた。
「……あなたの知ってることがすべてよ」
少女は一瞬、期待外れとでも言いたげな表情を見せてから、口を開いた。
「あたし、壊し屋に憧れたことがあるの。それで、一度、悪魔とまで呼ばれてる、評判のあんたに会ってみたかったんだ」
キリが目を見開くと、少女は話を続けた。
「だって、見た目格好いいし、稼ぎは良いし。あたしだって一発かまして田舎を出てさ、贅沢に暮らしてみたいのよ。あたしみたいに学もない、お金もない人間が身を立てるなら、今の世の中、腕のいい壊し屋になるのが一番早道でしょ。でもね……」
少女はキリの瞳をじっと見つめた。
「壊さなくていいヰドを壊して、人を困らせるのは、嫌だ」
黙ったまま話を聞くばかりのキリに、少女は、ねえ、と語りかけた。
「キリさん、あんた、雨ふらしの塔を壊してみせてよ。腕、いいんでしょ」
「そんなことを、言われてもね……」
「あなたが追われる身になったらさ、あたしの師匠になってよ。それで、あたしが腕のいい壊し屋になって、昔ながらの仕事だけ引き受けて、あたしの稼ぎであんたも養ってあげるから」
少女は人懐っこい笑みを浮かべた。
「頼むよ。雨ふらしの塔があったら、壊し屋と国の真ん中に住んでる連中以外、誰も幸せにならないよ」
キリが塔の破壊を引き受ける、と返事すると、ユーレンには、どうした風の吹き回しだ、と笑われた。
「……腹をくくっただけかな」
例の小屋の中で、返された装備を確認しながら、キリはユーレンから目をそらした。一人の少女にほだされたわけではない。そんな単純なことではなく、目を背けていたことに向き合うだけだ。
キリは、破壊することで生きてきた。それは自分の生活のためではあるが、他人様の生活まで破壊したかったわけではなかったはずだ。
少女は、ちゃんと考えるきっかけを与えてくれた。
黙りこくったキリの前に、ユーレンは、ほらよ、と何かを差しだした。
「返してもらったぞ。こっちに加担するとなると、手入れまでしてくれたみたいだ」
「……親切だこと」
小さく笑ってから、キリは唇をひき結び、それを受け取った、
雨ふらしの塔を管理する者たちの中に、すでにこちらの間諜が入りこんでいるらしい。そもそも、塔のありかたの不公平さに疑問を持つ者は、雨ふらしの塔の町にも少なくなかったという。
あとは、腕がそうとう良くて、協力者になりうる壊し屋の――キリの返事次第だったのだ。
キリの準備が整い、シャベルを力強く握りしめたのを見届けると、ユーレンは不敵な笑みを浮かべた。
「行こう。仕事だ」
各地にひそんでいた計画者たちが町に集って、首尾よく警備隊を追い散らし、塔を制圧したという報せを待って、キリとユーレンは動きだした。
塔に足を踏み入れてみて、内側からしっかりと鍵をかける。塔は、侵入者を防ぐために、外からは開けられない仕組みになっていた。
塔の内側で周囲を見渡して、キリはしばし、呆然とした。
(これは……無理だ……)
足を踏み入れてすぐに目に入ったのは、巨大な白い芯のようなものだった。塔の中にさらに一回り細い塔があるような、そんな様子をしていた。
それがヰドだ。すぐにわかった。水が湧き出してくる場所は、この芯の頂点にあるのだろう。
地中の水を塔で包み込んでいる理由がわかった。このスペースでは自由に身動きがとれない。
壊し屋が入りこんでも、やすやすと壊せないようになっている。
「……手ごたえのありそうなヰドだぜ」
隣でユーレンが軽い調子で、しかし震える声でそう言った。
「ユーレン……これは、かなり難しい仕事になる」
「うん」
「ヰドを壊すのは難しくない。問題は、生きた水」
「わかるよ」
うん、とユーレンは明るい声を出した。
「腕が鳴るな。頼むぜキリ、こんなに狭いと、先月みたいにちょっとでも判断を誤ったら、二人ともお陀仏だ」
キリは微笑もうとしたが、できなかった。
「自信がないわ」
「おいおい……」
ユーレンは笑って、芯のようなヰドを見上げた。
「とりあえず、登ってみよう」
「……そうね。先に行って」
おう、とうなずいて、ユーレンは梯子に手をかけた。
キリはその背後に立った。
ユーレンが片足を梯子にかけた瞬間、シャベルの柄を振り上げた。
誰かが怒鳴っている。その声が自分を呼んでいるのだと気づいて、ユーレンはゆっくり目を開けた。
後ろ頭からうなじにかけて、鈍い痛みがある。重傷ではないだろう。意識を失う前の記憶からすると、やったのはキリに他ならない。
「おい、ユーレン! 大丈夫か!」
ユーレンはぼんやりしながら体を起こした。必死に呼びかけていた村人が、あいつにやられたのか、と詰問してきて、ユーレンははっとした。
「そうだ、キリ……! あいつは?」
「まだ中だよ! 扉がいったん開いたかと思ったら、おまえだけポイッと放り出されたんだ。あの悪魔、立てこもるつもりなのか? やっぱりおれたちは騙されたんじゃないか?」
人々がざわつく。ユーレンは違う、と呟きながら、内側から鍵をかけられた塔の扉を見つめた。
「違う……!」
ユーレンは介抱しようとしていた誰かの手をふり払い、立ち上がった。
「……おい、キリ……」
震え声を漏らしながら、ユーレンは扉にとびついた。
内側から、鍵がかかっている。こうなると、外側の人間がどうしようと、キリに接触することはできない。
「ばかやろう……ばかやろう!」
止めようとする人々の気配を背中に感じながら、ユーレンは怒鳴った。
「なんでだよ! こんな仕事、一人でできるわけあるもんか! なんでおれを出した! おれだけ出した!」
「あいつだけでやろうってのか? なら、そろそろ離れるぞ……」
誰かがおずおずと肩に触れてきて、ユーレンはそれを荒々しくふり払った。ユーレンを囲む人のうち、誰かがやれやれと声を上げた。
「しかたないよ、こうなったら。あの破壊の悪魔も、今までのことが申し訳なくて、こうでもしないとやってられねえ、ってもんじゃないのか」
数人が納得の吐息を漏らす。ユーレンが肩越しに怒りと悲しみに満ちた睨みをくれると、彼らはわずかにたじろいだ。
しかし、それ以上かみつく気力もなく、ユーレンはその場に崩れ落ちた。
「あいつが……悪魔なもんか……!」
顔を覆ったユーレンの肩を、再び誰かがつかんだ。そろそろ、キリが最後の仕事を遂行する。この場を離れなければいけないことはわかっている。
だが、ユーレンはまだ動かず、一人で呟き続けた。
「キリは、悪魔なんかじゃない……あいつは無知で、職務に忠実で、たんにクソ真面目なだけの……」
数人の手がのびてきて、ユーレンの肩を、腕をつかみ、立ち上がらせる。ユーレンは、もう抵抗しなかった。
人々に引きずられるまま、キリを閉じこめた塔から、ひきはがされていく。
キリの能は破壊だ。現役の壊し屋としては比類ないという自負がある。だが、それしかない。
この状況を乗り越えられたとしても、キリは壊し屋ではなく、ただのお尋ね者になる。自分の存在は、誰にとってもいよいよただの重荷になっていく。
対して、ユーレンはどうか。ユーレンは敏腕で、壊し屋の事情をよく知っていて、しかも自分を、自分の置かれている状況を変えようと考えることもできる。
この仕事をこなして、生還できる確率は極めて低い。だが、ユーレンは残すべき人だと思った。
「わたしだけで、充分よ」
扉の向こうに残してきた長年の相棒に、キリはそう呟きかけた。
自分の才能が、本当の意味で人々の役に立つのは、これが最後。ユーレンへの申し訳なさがほんの少しだけ、それ以上の後悔はなかった。
壊し屋に憧れたという少女と、貧しかったころの自分の姿が重なる。
雨ふらしの塔がなくなれば、壊し屋の仕事は、昔ながらのものになるのだろうか。塔の再建はやすやすと果たせるものではないだろうから、少なくともそれまでのあいだくらい、あの少女がもっとも望むかたちで、貧しい生活から抜け出すことができるかもしれない。
キリはシャベルを片腕にかかえ、器用に梯子をのぼりはじめた。
細長い筒状のヰドの先端に立ったとき、キリの殺気を察知した水が意志をもって、狭い塔の中で湧きあがった。
シャベルを、レインコートを、冷たい水滴が鋭く打つ。まもなく、この狭い塔の中は生きた水で満たされるだろう。そうなればこの防水装備も、たいして用をなさない。
残された時間は少ない。
キリは槌部分を先にして、シャベルをぐっと握りしめた。
襲いかかってくる水を避けることもせず、ヰドに向かって凶器を振り上げた。




