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雨ふらしの塔  作者: 石見千沙
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「ヰド」から社の天井近くまで吹きあがった水が、粘り気を持ってうねる。祀られて命を持った水は、いま、その命を奪いに来た二人の人間を、返り討ちにしようとしてうごめいている。

 脛まで覆う灰色のレインコート、頑丈な長靴、ゴム製の分厚い手袋と、そろいの防水装備をまとって生きた水に対峙する二人は、慣れた様子で二手に分かれた。

 二人が手にする武器も同じものだ。2メートルほどの長さのシャベル、その柄の先に、破壊力抜群の槌があつらえられている。

 ヰドの右手に立った女がシャベルのほうを、左手に立った男が槌のほうを構えた。

 うねる水は、まず、女のほうに狙いをさだめた。

 高波のように頭上から襲いかかってくる水を前に、女は左足だけを引いて、落ちてくる水を切り裂いた。

 シャベルの刃で、ヰドから完全に切り離された部分の水は、ただの水だ。粘り気をなくして、女の全身に降りかかる。ただの水はなんの脅威でもない。ただし、粘り気を持った水が少しでも体内に入ると、たちまち生命力を奪われて死ぬ。

 ヰドの水は、なおも女を狙う。女は手慣れた様子で、水を防ぎ、軽やかに動いて、絶妙のタイミングで水を切り裂いていく。社の中は、すでに水浸しだ。

 男はというと、槌を構えたまま、まだ動かない。じりじりと、自分が動くべきときを探しながら、女の指示を待っている。

 それも長い時間はかからなかった。水の勢いがずいぶん弱まり、長靴の底がひたるほど床に水が溜まったころ、女が鋭く一声上げた。

「今よ、ユーレン!」

 ユーレンと呼ばれた男は、フードの中でにやりと笑った。

「よっし」

 そして、槌を振りかぶり、石造りのヰドに振り下ろした。

 ヰドが砕ける。うねる水はずいぶん嵩を減らしていたが、その標的を男に変えたらしかった。

 思いもよらない速さで襲いかかってきた水に、続けてヰドを破壊しようとしていたユーレンは、げっと声を上げた。

 女が床の水を蹴立てて、ユーレンのそばに駆け寄る。肩でユーレンを突き飛ばしながら、水をもう一度切り裂いた。

「ユーレン、急いで!」

 ユーレンは水の中から起き上がって、何ごとかぼやきながらも再び槌を構えた。

 ヰドを破壊しつくすと、水は完全に命を失う。ユーレンの最後の一撃でヰドが壊滅した瞬間、うねっていた残りの水も床に落ち、社の中は完全に静かになった。

 肩で息をする女に向かって、ユーレンは防水フードをはねのけながら文句を言った。

「キリ、ちょっと早まったろ、今回」

「……ごめんなさい」

 謝りながら、キリも暑苦しいフードをおろした。


 近い将来、雨ふらしの塔が原因で、水が枯渇する。

 そんな内容の論文を発表した学者が失踪した。論文発表から一週間のことだった。

 このあたりの土地では、雨が降らない。海もなければ、川も湖もない。古の人々がこの国を拓いたときに、水を濫用し、水を汚し、それでこのあたりの地霊を怒らせたのだそうだ。それで、その地霊の司る土地の水全てが地面の下に逃げ込んでしまった。

 だから古来、この国の人々は水を祀る。正しい手順で祀られた場の水だけが、地上に湧き出してくれるのだ。

 水を祀る場を「ヰド」と呼ぶ。雨ふらしの塔は巨大なヰドだ。数十年前に、数多くの名だたる学者と聖職者と建築家が、なんとかこの国の中枢に豊かな水をもたらそうと、十年ほど前、国の中央に作り上げたのがこの塔だ。

 十日に一度、それはおびただしい雨を一日中降らせる。雨ふらしの塔ができて、その利用方法が定着してからというもの、各町村ごとのヰドで国の水をまかなっていた頃より、安定して水を供給できるようになった。

 かわりに、勝手にヰドを造ることが禁止されるようになった。地の下の水は有限、雨ふらしの塔と各地のヰドが両方とも動いていれば、水はすぐに足りなくなるだろう、というのが、塔造りに関わった学者たちの見解だった。

 国の許可を得ていないヰドは、いまだ各地にある。それを壊すのが、キリやユーレンの仕事だった。

「おれ、壊し屋、やめようかと思ってるよ」

 ある日の仕事の帰り、立ち寄った酒場で、ユーレンが唐突に言った。キリは、盃を持つ手を止め、ユーレンの顔を凝視した。

「どうしたの、急に」

「あの論文の話……キリは、どう思った?」

「どうも。内容と失踪の因果関係が露骨すぎて、真面目に考える気になれないの」

「そういうもんか。実はこの国の水を吸いつくしてるのは雨ふらしの塔で、おれたちが壊しているヰドは、それでしか水の恩恵を受けられない人々のよりどころだって可能性、考えたら怖くならないか」

「それを考えたところで……わたしには、他にできる仕事がないから」

 キリはそう言って、酒をひと口飲んだ。

 ユーレンと組むようになって、三年はたつ。壊し屋の界隈でも、最高の成果を上げているのがキリとユーレンの二人だった。

 キリが命を持った水をたたき、水が防御行動をとれないほど力を失ったのを見計らって、ユーレンがヰドを破壊する。

 ヰドを壊すだけなら、難しくない。問題は祀られて命を持った水だ。人が生身で生きた水を浴び、ほんの少しでも体内にそれを入りこませてしまうと、たちまち、体内を侵されて死ぬ。安易に挑んで命を落とす者は少なくないから、壊し屋たちはキリとユーレンのように、二人以上で役割分担をして、ヰドに挑むのだ。

 ユーレンが抜けるなら、新しい相方を探さなければならないな……キリがそう考えたとき、ユーレンが再び口を開いた。

「他の仕事、なんだけどさ。あてがあるんだよ。キリも一緒にどうかな」

「どんな仕事?」

「それは……絶対一緒に来てくれると誓ってくれたら、詳しく教える」

「話にならないわ。怪しすぎる」

 だよな、とユーレンは肩を落とした。

「おまえは、あいまいな儲け話には決して食いつかないタイプだ」

「どうしてわかってて言ったの」

「……ダメ元」

 そう言って、ユーレンは寂しげに笑った。


 町の中心で、雨ふらしの塔が振動した。そのへんを歩いていた住人たちは慣れたもので、手にしていた傘を広げはじめた。

 ユーレンとの待ち合わせの場所に向かって町を歩いていたキリは、傘を持つ必要がない。壊し屋の装備に守られて、キリの身が濡れることはない。

 塔の先端からむくむくと雲が広がり、空を覆っていく。町がどんどん暗くなっていく。

 雲が、町を含むあたりの土地一帯の空を覆いつくして、まもなく、雨が降りはじめた。誰もが待ち望む、十日に一度の雨の日だ。

 雨ふらしの塔に近ければ近いほど、土地の値段が上がる。塔を擁するこの町は、それなりに豊かでなければ暮らせない。たいして趣味もなく、金が貯まるいっぽうだったキリは、最近この町に越してきた。地方では壊し屋として恨みを買っているから、できるだけ雨ふらしの塔の近くに暮らしたほうが安全だという理由もある。

 ヰドの壊し屋として生きることに、疑問を抱いてはこなかった。壊し屋には誰でもなれる。キリは幼いときに天涯孤独の身の上になったから、自分で身を立てなければならなかった。そもそも、許可されていないヰドを壊して、それに対して国が報酬を支払うようになる以前から、壊し屋という仕事は存在した。 壊し屋のそもそもの存在意義は、利用されなくなったヰドを安全に土に還すことだったからだ。

 壊し屋という仕事自体が、誰かにとって悪いものだと思ったことはない。そのことが覆される可能性を、考えもしなかった。

 今日舞いこんできた仕事も、ある地区のヰドの移転のための仕事だった。ずいぶん少なくなった案件だが、許可されているヰドも残ってはいるから、ぽつぽつと舞いこんでくることもある。

 そして今日、一か月ぶりにユーレンと組む。酒場でやりとりした日から、ユーレンは、許可されていないヰドを壊す仕事に手を出したがらなくなっていた。

 町の出口で、案内看板の脇に立っていたユーレンは、近づいてきたキリに気づいて片手を上げた。

「お待たせ、ユーレン」

「いや、今来たばかりだ。久しぶりだから緊張して、早く来ちまった」

「腕、鈍ってない?」

「心配すんなって」

 ユーレンは片頬に笑みを浮かべると、愛用のシャベルを小さくかかげてみせた。

 目的の地は、雨ふらしの塔の町から、馬車で行くには近すぎ、歩いて行くにはやや遠いといった距離にある。

 その小さな町の門が見えてきたころ、ユーレンが突然足を止めた。

「どうしたの?」

 一歩先で振り返ったキリが首をかしげると、ユーレンは、いや、と言って、シャベルを持ったまま伸びをした。

「ちょっと、準備体操を……」

「そんなの、家を出る前に済ませてきて」

 そう言ってキリは再び前を向き、さっさと歩きはじめた。

 直後、キリの後頭部のあたりを、衝撃が襲った。

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