滅びの序章に一欠片の日常を
よろしくおねがいします。
その朝、起きると同時に自分が泣いている事に気付いた。何故だか胸が苦しくなって涙が流れ止まらなかった。
窓とも呼べない穴が一つ空いただけのような空洞から未だ日が昇らない夜空が見え、ぽっかりと三日月が浮かんでいる。
かすかに東の空から白んでいるが、街は昼の騒がしさなど忘れたように眠っている。実際には街の動力中枢が動き続けており、電力を送り続けているわけであるがジノゼラら労働者が寝泊まりする小屋には防音加工がほどこしてあり、聞こえにくくなっている。それでも唯一空いた窓や錆びついたドアからは冷気と漏れ出た騒音が流れ出るのだ。
キィキィ遠くからなる音を気にせず、ジノゼラはもう一度少しだけ睡眠を取ろうとするが、眠れない。
騒音のせいではなく、ざわざわと高鳴る胸が自重で潰れていくかのように自らを締め付けた。それはきっと今見た夢に関係あるのだろうが、どうしてか内容が思い出せない。
「どんな夢だったっけ」
悲しい夢だったような気もするし、楽しい夢だったような気もする。過去の記憶を幻想的に脚色したようなそれは、うつつに戻ってもなお心臓を掴み取って離さなかった。
「大いなる力には責任が求められるもの」
誰かの声がした気がして、急ぎ体を起こして周りを見渡すが、誰もいない。幻聴なのだろうか。
顔を洗い、目をしゃきっと覚ました後、寄宿舎とも呼べないような宿から出ると、毎朝の朝礼を行う為に集会所へと向かう。そこにはまだ朝礼が始まらないのにもかかわらず数人の整備士たちが既にいた。
その中の一人、髭もじゃで背の高い男がこちらに向かって歩いてくる。
「よう、ピーキー。今日は遅いな?いつも1番に集会所に来るのに」
「今日は変な夢を見たせいで寝起きが悪かったんだわ。まだ頭がいてえ」
顔を顰めながらそういうと髭もじゃの男は笑った。
「夢を見るのは幸せに生きてる証拠さ、ピーキー。俺みてえな不幸せ者は夢を見ない」
「ほざけよ、ベルベット。俺が幸せ者ならこの世のどんな犯罪被害者だって幸せ者にできちまう。あと不良品ってあだ名はやめろって何回も言ってんだろ?」
不良品ってのは自分のあだ名だ。現場では高回転すぎて逆に操作性の低いエンジンの事を指してそういうのだが、一言で言っちまえば努力家だが不器用ってことだ。
「何言ってんだ、ピーキーってのは褒め言葉さ。ふん、何よりお前にぴったりだろ?」
ベルベットは髭を触り目を細めながらにやける。俺はこの男とは数年の付き合いになるが、苦手でもない代わりに別段仲が良い訳でもない。いつもこうやって弄るのを楽しむ男なのだが、俺はそれを何故だか不愉快に感じないのだ。誰に対してもこの男がこんな感じだからかもしれない。
俺がそうして少し冗談混じりでベルベットと話していると管理部の少女が集会所の門を開けて入ってきた。管理部なんてこの時間には集会所に来ないため周囲の視線がそちらに集まる。
少女は俺を見つけるとぱあっと顔を綻ばせてとてとてと走ってくる。
「ジノっち!おやっさんどっかで見てない?いっつもこの時間には集会所に来てるって聞いたんだけど」
「……何で俺に尋ねる。他にもたくさん人いんだろーがよ」
「そうそう、俺とか俺とか!」
ベルベットが茶々を入れてくるので軽く脇腹をこずく。
「あんたはいつも適当な事しか言わないでしょうが!いっつも寝坊して来るのに今日に限って起きて来るなんてタイミング悪いわほんと」
少女は頭を痛そうに抑えて長い睫毛をこちらに向けた。
「まぁとにかく。おやっさんをここに探しに来たのよ。半月後くらいに国のお偉いさん方がこちらに視察に来るでしょ?その段取りを説明書に纏めて今日中に確認して貰いたかったんだけどね」
居なかったからまた後で届けに行くわ!そう言って深いため息を吐いた。
「じゃあおやっさん居ないみたいだし、行くわね」
「あ、ちょっと待って、ノア」
俺は懐から青銅色の鍵をノアという少女に向けて放った。ノアは目をまん丸くして驚きながらそれを受け取る。
「なに、これ」
「おやっさんの家の鍵。寝てるかもしれないから起こしてきたら?」
「なんであんたが持ってるの?」
「いや、おやっさんが何かあった時使えって言うから」
ノアは半笑いしながら視線を鍵からこちらに向けた。
「いや、なんで半笑いしてんの」思わず尋ねる。
「えっ?や、あのね、おやっさんあぁ見えて結構用心深い人なのにあんたに対しては信頼おいてるんだなと思って」
「ん、そうなのか?」
気恥ずかしい。知らず知らずのうちに頭をかいてしまっていた。
「ちょっとおやっさんの家に行ってくるわね!居なかったらまた戻って来るから!」
「鍵はちゃんと返せよー!あと部屋の中漁るなよ!」
そういうとノアは振り向きながら、漁らないわよ!と叫んで走っていった。身長が低いので移動速度を補うようにいつも走っている。
「おい、ピーキー、あいつにいつ告白するんだ?」
ベルベットがふざけて今日一にやけた顔でこう聞いてくるので、真顔で返してやる。
「告白なんてしないさ。この街で暮らしてんだ。いつ魔高炉の中に落ちるとも、浮浪者に刺されるともわかんねえ。そんな中で恋愛なんぞに興じる余裕は無いな」
「それでも向こうは待ってると思うぜ?女を待たせんのは男してどうかってもんよ」
ベルベットは真性の女たらしのヤリチンなので恋愛関係に関しては信頼できるところがあるが、こればかりは譲れない。
「無理だよ、俺は今で手一杯さ」
生きるので手一杯だ。働くので手一杯だ。死なないので手一杯だ。不器用な俺には、持たざる者には、ここにいるだけで精一杯だ。
英雄になれたらいいなって小さい頃には思っていた。しかし、他人のことはおろか、自分のことでさえ自分自身ではままならなかった。現在18歳、現実を悟り世界を知ったこの身は自分よりも凄い人物や英雄と呼ばれずとも尊敬できる人物をごまんと見てきた。その中で自分の凡庸さを思い知らされる。平均以下を思いしらされる。
きっと、どれだけ頑張っても俺は英雄にはなれない。
だって、俺は俺だから。
ずっと黙っていたので、ベルベットも離れて別のやつに話しかけに行ってしまった。
そして、その日、おやっさんは集会所に現れなかった。
忘れられない一日が、始まる。