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「終わった方から退出していただいて結構です。それでは、試験を始めます」
そんな一言で始まった試験は、存外簡単な内容だった。算数と国語ができれば解ける内容である。
最も、識字率が低いこの国では問題を読んで答えを書くということ自体が難しいのかもしれない。
(お父様お母様、お二人にご尽力いただいたおかげでリコリスはまともな就職ができそうです……)
物覚えの悪い私に根気よく文字の読み書きを教えてくれた両親に、改めて感謝した。いい就職先を見つける事が両親への恩返しになるだろう。
(さて、見直しも終わったし外に出るか)
解答用紙を裏返して机に置き、席を立つ。
「メルクーリさん、どうされましたか?」
立った私に気付いた試験官が、書物から顔を上げて言った。鉛筆の擦れる音しか聞こえなかった空間で発せられたその声に、他の受験者からの視線も集めてしまう。
「えっと、終わったので退出しようかと……」
無言で向けられるたくさんの視線におどおどしてしまう。終わったら退出を許可したのは試験官なのに、なぜ問われるのだろうか。解答用紙は提出してからとか、手を挙げてからとか、そういうルールがあったなら先に言ってほしい。
「早いですね、それでは退出していただいて構いません」
「は、はい。では失礼します」
解せないが視線が痛くなってきたので、そそくさと逃げるように会場を後にした。
「ぷはぁ~、なによあれ。大富豪で急にローカルルール出されて都落ちした気分だわ」
大通りに出てから大きく息を吐く。もやもやするが、終わったことなので気持ちを切り替えよう。漂う美味しそうな匂いに釣られた訳ではない。
ちょうど昼食の時間なので、昨日回れなかった商店を見ることにした。
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「先輩の担当されてるメルクーリさん、すごく早く解答を終えたのに高得点でしたよ」
ギルド内の休憩室。サラが書類を見ながらお昼を食べていると、午前の試験を担当した後輩のギルド職員から声を掛けられた。
「お疲れ様。ちょっと落ち着きがない子だったけど、そう、要領良いのね」
おでこも顔も赤くしていたリコリスを思い出し、笑みがこぼれる。
「あまりに早く席を立ったものだから、トイレにでも行きたいのかと思いましたよ。僕、どうしました? って声かけちゃいましたもん」
通常、試験中は暗黙の了解で話さない事になっている。カンニング防止、そして受験者の気が散ってしまうからだ。にも拘わらず声をかけたということは、余程早く終えたのだろう。
「有能な人材はいつでも大歓迎よ。特に今は何処も彼処も人材の需要に供給が間に合っていないもの」
「そうですね……前国王政策で、役人の数も圧倒的に足りてませんし」
現在の国王であるダミアン・ヘーリウスの兄、前国王のレヴァン・ヘーリウスは、その政策で大きな改革を齎した。
例えば、北の開拓。
レヴァンが即位する数十年前にあった魔族との戦争で、人族は大きな傷を負った。その傷が癒えてきたタイミングでの新しい開拓は、お金を回し、雇用を増やし、人の移動を増やし、経済を回した。
そして貴族制度の廃止。
それまでは各々の領地を貴族が統治していた。表に出ない小さな小競り合いから領地同士の戦争まで、大なり小なり常に問題があった事は事実だ。貧富の差も激しく、目を背けたくなるような奴隷の扱いをしている領地もあった。
とはいえ、そこで貴族制度の廃止に踏み切る国王はまずいない。国内貴族からの反発が想像を絶する大きさになることが容易に予想できるからだ。
それでもレヴァンは政策を推し進めた。貴族制度を廃止し、国が直接各土地を収める制度へと。
反発して内紛を起こしたり、国を出ていく貴族がたくさんいた。だが――。
子どもたちの笑い声が窓の外から聞こえて、顔を向ける。
正直なところ、その制度が上手くいくか分からない。でも、物乞いや裏路地で生活を送る者、奴隷や飢餓で苦しむ子どもたちが減った事は目に見えて分かる成果だ。
元々冒険者であったサラは、そういった人たちを救いたくて転職したのだった。
転機が訪れたのは、魔物の討伐依頼を行っていた時のこと。
サラは弓使いで、大剣、片手剣、魔術の使い手とパーティーを組んでいた。バランスの取れた組み合わせだったため、森の深くまで潜ることができ、大量の魔物を屠っていた。
そんな中、人の悲鳴が聞こえて駆けつけると、三人の老人と、十人の子どもが魔物に囲まれていた。老人は一人、地に伏せている。
「無事か!?」
リーダーが走りながら大剣を振るい、その薙ぎで二体の魔物を葬る。片手剣の男も前線へ向かい、リーダーと二人で魔物を討伐していく。サラはその援護射撃をしていた。
道ができたところで魔術師が怪我人を確認する。
「残念だが、このご老人は、もう……」
倒れていた老人は、既にこの世を去っていた。あともう少し早ければ間に合っていたかもしれない。サラは下唇を噛んで俯いた。周りの魔物を蹴散らし終えた二人が駆け寄ってくる。
「冒険者さんですかや、お助けいただきまして、ありがとうごぜぇますだ」
涙を流してはいたものの、一人の老人が前に進み出て言った。
「いえ、もう少し早く着けていれば……」
リーダーが顔を曇らせて視線を逸らす。後ろの子どもたちが不安そうな顔をしたり、泣いたりしているのを、もう一人の老人が宥めていた。
魔術師がリーダーの肩に手を置いて前に出る。
「どうしてこんな森の奥まで? 失礼ですが、ご老人と子どもたちでは到底抜けられますまい」
サラは改めて老人と子どもたちを見る。薄汚れた服を着て、体もやせ細っており、獲物もない。どう頑張っても森は抜けられそうに見えなかった。
「はあ、それは重々承知おりますだ。ですが、ここを抜けるしか隣の領地には行けんのです」
「隣の領地? 馬車や荷馬車、移動方法はいくらでもあるではないですか」
すると、老人は悲しそうに目を伏せた。
「わしらは奴隷としても使えず、食い扶持を減らす為に身一つで放り出されたのですじゃ。元の領地に居ては殺されるのを待つのみ。せめて子どもたちだけでもと、守りながら進んでおったところで」
“守りながら”?
どう見ても老人たちに戦う術はない。
顔を強張らせていると老人が続けた。
「最初に森に入った時にゃ、年寄りの数は十を超えておった。一人、また一人と、魔物の餌になることでここまで進んでこれたのですじゃ。守りきれず、子どもたちからも犠牲を出してしまいましたがや」
「そ、そんな……」
戦う術を持たない弱者である老人は、己の命という盾で子たちを守っていたのだった。自然と、涙が滲む。悲しいのか、悔しいのか、それとも怒りなのか。強く拳を握ることで、意識を戻す。
「私たちが隣の領地までお送りします」
しっかりと老人を見つめて言う。リーダーも頷き、他のメンバーも同意してくれた。
老人は涙を浮かべて拝むように手を合わせ、何度も何度も感謝を述べた。
「ありがとうごぜぇますだ、みなの命が報われます。ありがとうごぜぇますだ」
亡くなったご老人を手厚く葬り、無事に目的地へと送り届けた。
その領地に人を迎え入れる余裕があるかは分からない。だが、藁を掴む気持ちで最後の希望に縋っていたのだ。報われてほしい。
助けたいが余裕があるわけではない冒険者業に加え、明日生きられるか分からない人たちは巨万といる。全てを助けられるわけではないのだ。
そん経験を経て、新しい政策を聞いたサラは役人になると決めた。
国の為に働き、少しでも人々が幸せに暮らせるように――。
「少しは役に立ててるのかしらね」
窓の外を見ながら、そう呟いた。