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「はぁ、はぁ、はぁ、こ、これは、なかなかに、きつ、い!」
「既視感ありますね、その台詞」
呆れたイルに見守られながら、私は山を登っていた。魔王に会う為だ。
ルークとカイト、そして他の人狼たちは町に残ってもらっている。
アグーラの動向を監視してもらったり、町に避難民を迎え入れる準備など、やる事は山ほどあるのだ。
そんな中、どうしても魔王に会いたくて我儘を聞いてもらった。ルークやカイトからは危険だと止められたが、これだけは譲れない。
「リコリス、分かってるとは思いますが、今回は時間がありません」
「じゅ、重々承知してるんですけど、ね。何分、か、体が言う事を聞きませんで……」
私たちは東の山を越えてタナスへ入る予定だが、険しい獣道なのでなかなか思うように進めていない。
直線距離で徒歩で八日程度。山道なので、倍はかかるかもしれない。
「仕方ありませんね」
そう言ってため息を吐き、イルがふわりと私を抱き上げた。
「わっ! あわわわっ」
「しっかり掴まってください」
「ちょっと、あの、これは恥ずかしいというか」
完全なお姫様抱っこである。うぶな乙女にこの仕打ちは如何なものか。
「我儘言わないでくださいよ。重心の関係でこれが一番楽なんですから」
そう言うと、前屈みになって凄い速度で走り始めた。振り落とされないよう、慌ててイルの首に腕を回す。
やはり人狼は人と構造が違うのだろうか。平坦な道を走っているかの如く、体がしなやかに動いている。車に乗っているような気分だ。
「あ、これは楽ちん」
「………」
ぽつりと呟くとイルが物凄く嫌そうな顔をした。聞こえたらしい。
そういえば、この態勢は結構顔が近い。この距離で見ても、人族か人狼かの区別はつきそうになかった。
じーっと眺めていると、イルが不機嫌そうな表情を浮かべて口を開いた。
「あんま見ないでもらえます? 落としますよ」
「やめて見ないからやめて」
あ、牙がある。と思ったが口に出すのは控えた。この速度で落とされたら、落馬どころか高速を走ってる車から放り出されるようなものだ。死んでしまう。
「このペースで行っても、やはり四日はかかりますよ。ルメスは大丈夫ですかね?」
「大丈夫ですよ。みんながいます。それに、出発しそうに見えてなかなか出発しないのが大所帯の不便なところです。南下するのに五日くらいかかるでしょうし、川の一番浅い場所に着いて、こちら側に渡ってくるのに一日、そこからタナスに入るまでに最低二週間はかかるかと」
そう言うと、イルが軽く目を見開いて私を見た。
「意外と考えてたんですね」
「意外とは余計です。そして余所見危ない前向いて!」
「はいはい」
それにしても、四日で着けるとは。やはり魔族の身体能力は凄まじい。敵に回して勝てる気がしなかった。
「ところで、魔王様に会ってどうするんですか?」
「うーん、なんとか協力できないかなと」
魔王は人族に好意的だ。なんとか協力して被害を極力抑えたい。
モブキャラな私がする事でもないが、イルと魔王はかなり親しげだったし、そのイルと私もそこそこ仲が良いと思う。友だちの友だちは友だち理論で、出来る事を出来る人がすべきだ。
「いくら魔王様が温厚でも、そろそろ怒りそうな気がしますけどね。あ、いくら俺でも魔王様には勝てないので、怒らせないでくださいね」
「……は、はい」
なんとかなると思っていたが、そういえば魔王は魔王だった。本当に会いに行って大丈夫なんだろうか。今更引き返せないが。
「さて、そろそろ日が暮れますし、この辺で野宿しますか」
イルが足を止めたのは、比較的平地で何とか転がれそうな場所だった。
「そうですね。お腹も空きましたし」
数時間ぶりに地面に足を着く。自重に足がよろめいた。
イルが支えてくれて転ばずに済んだが、私はこんなに重かっただろうか。
「リコリスは本当に食べる事が好きですね」
「食べる為に生きてます! あれ、そう考えると、なんで私こんな事してるんだっけ」
食べる為に生きてるはずが、社畜から捕虜になり、今魔王に会いに行こうとしている自分に疑問を持つ。
「成り行きですよ、成り行き。でも、リコリスみたいな人族に会えて結構楽しいですよ」
そう言って笑うイルに釣られて笑みが溢れる。これが異文化交流か。
「さて、本日の献立は……。うーん、あんまり食べ物持って来れなかったから、とりあえずスープに干し肉とパンかな。ひもじい」
「ギリギリの分しか持って来ませんでしたからね。調達しつつ行きましょう」
火を起こし、スープを煮込みながら気づく。イルと二人っきりで長い時間を過ごすのは初めてだ。若干気まずい。
チラリとイルを盗み見ると、空を仰いでいた。釣られて空を見上げると、私の瞳にキラキラとした満天の星空が映る。
(すごい……!)
こんなにも綺麗な星空を見るのは、いつぶりだろうか。思えば、ゆっくりと夜空を見上げる事なんてなかったかもしれない。
感動を言葉にしようと口を開いてイルを見ると、その瞳には満点の星空は映っていなかった。空虚を見る暗いその瞳は、私の知らない顔で。
一度口を噤む。
その時感じたのは、悲しさなのか、恐怖なのか、疎外感なのか。
「あの、タナスってどんな所なんですか?」
口をついて出たのは、感情とは違って場を繋ぐだけの言葉だった。
「えっ、と。そうですね」
イルは私を見て、首を傾げる。
先程までの距離感を感じさせない、いつもの表情に戻っていた。
騒つく心を押し殺して気持ちを切り替える。
「これから行く場所なので、少し知っておきたいかなと」
勢いで出た言葉だが、知りたいというのは嘘ではない。
タナスは人族が足を踏み入れない場所なので、情報は無いに等しい。
魔族の住む土地と言うと、人を襲いそうにしな垂れた変な形の木々に囲われた、暗い森の中にあるイメージである。
「いろんな種類の魔族が生活しているので、その土地によってかなり文化が違います。俺も隅から隅まで行ってるわけじゃないですけど」
「文化?」
だんだんと鍋から良い匂いがしてきた。香草を入れてかき混ぜる。そろそろ出来上がりそうだ。
「はい。そもそも、住む場所も違いますからね。海中に住んでる者もいれば、木の上から降りて来ない者もいる。夜しか活動できない者もいるし、違って当然なんですけど」
「なるほど」
せっかく作った話題を上手く繋げる事ができず、出来上がったスープを器に取り分けてイルに渡す。
「ありがとうございます」
「さ、ちゃっちゃと食べて寝て、明日に備えましょうか!」
そう言って笑うと、イルも苦笑しながら頷いた。
その夜は、名前が分からない感情のせいで、あまり眠れなかった。




