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「窓は出入り口ではありませんよ?」
「俺だってそのくらいは知ってます。でも、開いていたので」
真顔でそう返してくる彼は、私の今会いたくないランキング一位に輝いている事に気付いているのだろうか。
「まぁもう良いですけど。何のご用でしょうか?」
そう言って仕方なしに掛け布団を纏ってベッドから出る。少しぶっきらぼうな返答になってしまったが、出来るだけ手短に終わらせたい。
「冷たいですね、少し悲しいです」
「そうですか、それでは早くご用件をお願いします」
あれだけの事を見せつけられたのに、目の前で機嫌良さそうに軽口を叩くイルは微塵も怖くない。同じ人物なのか疑わしいレベルで。
そう、この感覚が恐ろしいのだ。彼は魔族だというのに、簡単に私を殺す力を持っているというのに、気を許してしまいそうになるこの感覚が。
「リコリスに用件は二つ。まず一つ目、昼間の事を話しておきましょう」
その言葉で昼間の体験がフラッシュバックした。身体はとても素直で、小刻みに震え出した。
この魔族は、一瞬で私を亡き者に出来るのだ。
「話す事なんてありません」
身体の震えを必死に抑え、そう告げる。
ふと、空気が動き、イルが目の前に回り込んできた。びくりと肩が跳ねる。
「リコリスに危害を加えるつもりはないし、君は勘違いをしているよ」
緑色の瞳が真っ直ぐに私を見る。真剣なその目から逃げる事が出来なかった。
「俺がもし人族だったら、襲われた俺にそんな感情を向けるんですか?」
「えっ……」
「俺たちは襲われたんです。もし俺たちが弱かったら、あのまま死んでましたよ。そこに種族は関係ありますか?」
言われて気付く。
なぜ人族が彼らを倒そうとするのか、それは魔族だから。
彼らがなぜ怖いのか、それは魔族だから。
人族同士でも殺し合いはする。
通り魔に殺される事もあれば、今朝のように騎士から剣を振るわれる事もある。
奴隷にされる事もあるし、国と国が大きな戦争をすれば、それこそ沢山の人が死ぬ。
そう考えると“魔族だから”という理由で敵対するのは間違っているのかもしれない。
ヘリウス王国の長い歴史の中、良き隣人でいる事は出来なかったのだろうか。
今は先代魔王の恐怖が残っているが、思えば先々代の魔王とは不可侵という名の同盟を組んでいたようなものかもしれない。
そう絆されそうになったところで、アルミスの襲撃事件を思い出す。
「確かに、魔族だからと言う理由で一括りに出来ないかもしれませんし、長い歴史の中、色々な付き合い方があったのかもしれません。でも、今、この時代、あなたたち魔族がアルミスで人族の命を大量に奪ったという事実は変わりません」
「……ん?」
「彼らには家族もいましたし、幼い子どももいました。種族を関係なくしたとして、国と国の関係にしたとしても許されるはずはないですよ。もちろん、イルさんたちじゃないかもしれませんが、他の魔族がーー」
「待ってください。アルミスで襲撃? それは俺の持っている情報にありません」
開いていた口を閉じるタイミングを失う。魔族同士で連携が取れていないのだろうか。
「し、知らないとはいえ、急に人族を脅かす魔族を信じろと言う方が無理な話です。本当に知らないかも確かめようがないですし」
なんとかそう続けた私の言葉を聞いているのかいないのか、イルは顎に手を当てて眉間に皺を寄せていた。
「魔王様が……? いや、そんなはずは……」
「あ、あの〜」
ぶつぶつと独り言を続けるイルに痺れを切らして話しかける。すると困惑した顔をしながらイルが言った。
「人族には人族のルールがあるように、魔族にも魔族のルールがあります。例えば、位は強さで決まるし、認めた相手しか名前で呼びません」
そう言われてみると、確かにイルは人族を名前で呼んでいない。私を除いて。
「私は認められているんですか? 何もしていませんよ」
「リコリスは、そうだね。少し特殊なんです。他にも、魔族には特有の制約もある」
「制約?」
「さすがに説明はしませんが、今魔族は人族を殺すはずがないんです」
「……全く話が見えませんが」
つい、胡散臭そうなものを見る目で見てしまう。そんな都合の良い話があるわけがない。
「とりあえずその件は俺も確認してみます。まぁ、真実を確認した所で人族と折り合いがつかないかもしれませんけどね」
「折り合い、ですか」
手をひらひらとさせながら悲しそうに言うイルを見て、複雑な気持ちになった。
種族の枷が外れたとき、私は彼の事をどう思うのだろうか。
「とりあえず、魔族だから、という偏見で見ないで個人として俺を見てください。俺はリコリスに何かしましたか?」
「……私にはしてませんが、警備兵を縛り上げてルメスを占拠したじゃないですか」
「まぁ、それは、しましたね。でもああでもしないと人族は話を聞いてくれないでしょう。それに、あの時、誰か一人でも血を流しましたか? 僕たちは伝えた通りに人狼です。もし、ただ占拠するだけなら、あの場に持っていくのは死体でも良かったはずです」
捕らえられた警備兵たちは怪我をしていなかった。手練れの彼らを無傷のまま捕まえる方が、殺すよりも難しいはずだ。
考えれば考えるほど、イルの思惑に嵌っているような気もするし、私の意志でそう思いたいと思っているのかもしれない。
「リコリス、本質を見失わないでください。いつ牙を剥くか分からないのは、魔族も人族も変わりませんよ」
そう言われて、自然と疑問が湧く。
「なぜそこまでして私に理解を求めるんですか?」
思えば初めからそうだった。
騎士団員に斬りかかられたあの時、私を助ける必要は全く無かったはずで、案内役が私である必要も、こうやってわざわざ理解を求める必要もない。
「そう、それが二つ目の用件です」
イルがくるりと背を向けて続ける。
「最初は不思議でした。そんなはずあるわけないのに。でも、何度確かめても同じだったんですよね」
「何を勿体ぶってーー」
イルが少し離れた所でくるりと反転して、私を視界に収めた。
背後に月を従えたイルは、神秘的な雰囲気を醸し出す。或いは、これから彼が口にする呪文のような言葉の前触れか。
「リコリス、君は本当に人族ですか?」




