#05
#05
煮込み中
私の記憶はブチブチ寸断されている。そのことに疑問を持ったのはつい数年前のこと。それまでは、別段、気にもしていなかった。
例えば、写真を見ながら昔話に花を咲かせている従姉妹や叔母たち。確かに私も写真の中にいるのだが全く記憶にない、なんてことが数えきれないほどある。
小さい頃に限らず、これまでの人生の半分以上が記憶喪失のようだ。
前日の記憶が完全に抜け落ちていたり。朝目覚めると名前すら知らない男が横に寝ていたり。誰かと映画に行ったことも、誰かとドライブしたことも、誰かと食事をしたことも、誰かとバーで飲んだことも、何もかも忘れてしまう。大人になってからの記憶喪失は、酒のせいにしていた。まわりも、私自身も。
何にも思い付かず行き詰まってた仕事が、なぜか朝には出来上がっていたこともある。そんな時の仕上がりは、いつも私が創るモノとは全く違うテイスト。これ、誰が作ったんだろ、と考えざるを得なかったりした。
人によって、場所によって、私に対する印象がまるで違うということが多々ある。
私は、小さい頃から人の顔色を伺って生きてきた。その人が求める姿を作って生き長らえてきた。それは私にとって、生きる術であり、当たり前のことだと思っていた。
しっかりもののお姉さん
わがままでおバカな末っ子
生真面目で賢い子
自立した子
甘えん坊
高飛車なきつい女
都合のいいつくす女
ドライで冷たい女
頼りになる姉御
仕事ができる先輩
やんちゃなかわいい後輩
酒飲みのおとこ女
気のきいた世話好きの大人な女子
子供みたいなやつ
独りが耐えられない寂しがり屋
独りが好き
ハデ
地味
嫌われないように、捨てられないように。
愛してもらえるように。
いくつもの顔をミックスしながら使い分けていたつもりだったのだが、いつのまにかどれが本当の自分かわからなくなってしまっていた。すべてが私であり、私ではない。
不思議なことに、記憶がないのと印象が違うのはクロスしていた。クロスよりクローズかな。
病気だとわかってからは不思議でもなんでもないんだけど。
この続きはまた後程...。
過去に戻ることにする。
1週間いなかった母親がでっかい赤ちゃんを抱いて帰ってきた。
「妹よ」
母親は私の腕に赤ちゃんを渡した。私にとって、赤ちゃんを抱くのも面倒をみるのも3人目だけど、小さい弟たちには珍しかったようだ。撫でたりつついたりしているうちに泣き出した。母親は私の腕の中で泣いている赤ちゃんをとりあげ、おっぱいを飲ませはじめる。弟たちは興味を失ったようで、それぞれに遊びだす。私は晩ごはんの準備を始めることにした。母親がお産でいない間、食事の支度をするのは私だと決まっていた。初めて流しに立った時、届かないので椅子に乗って包丁を握った。5才でカレーライスを作った。7才でハンバーグが作れた。9才。唐揚げを作る。
下準備が出来たら、弟たちを連れてお風呂屋さんに行く。
「この子も連れて行って」
9才の私は背中に妹、両手に弟でお風呂屋さんに通うことになった。まず妹をベビーベッドに寝かす。弟たちを洗う。妹を洗う。妹をキレイにふきあげ、オムツをしてベビー服を着せる。弟たちを拭き、着替えさせる。ジュースを飲ませてる間に自分を洗う。
世話をするのは当たり前のこと。ただの役割。義務。楽しいなんて思ったこともなかった。
10才目前で既に子供の心が消え失せていた。
虐待、義務。虐待、義務。 の、繰り返し。
崩れる。跡形もなく。
欲しかった。暖かいぬくもり。抱きしめてくれる人。撫でてくれる人。
叶わない夢は幻だとわかっていた。
自分が誰で、どこで何をしているのか。
なぜ、ここにいるのか。
逃げ出したい。逃げなければ溶けてなくなってしまう。それもひとつの選択肢。
いっそ業火に焼きつくされて、なくなってしまえばいい。痛くない。もう苦しくない。
かなり煮つまってしまった。煮崩れするほどに。