第32話~開放
「どういう、こと……」
彼女は、そう呟いた。
「見てのとおりだ」
「だから、どういうこと?」
「哀華は、死んだんだよ」
俺は彼女の顔をじっと見据えた。その表情は暗く沈み込んでいた。
「哀華は、学校の屋上から飛び降りて死んだ。だから、柊哀華なんて人間はもうこの世にいないんだ」
「私が、もういない……?」
「そうだ」
俺はキッパリと言い切った。
「その日、俺は本当の哀華と偶然出会ってるんだ。雨の降る日でな。あいつは公園のベンチで雨宿りをしていた。たまたまだった。たまたま隣に座っただけで、顔も知っちゃいなかった。話しかけるつもりもなかったけど、その時の哀華の表情が気になってな。あいつは黙って空を見上げてたよ。俺が隣に座っても何の反応もしなかった。だから何となく世間話のつもりで、『何考えてたんだ』って尋ねた。すると、『どのくらの高さで飛び降りたら死ねるのかなって、考えてた』なんて言うんだ。
『鬱なこと考えてんじゃねえよ。家族が悲しむだろうが』って叱りつけたんだけど、『私が死んでも悲しむ人なんていないし』って俯くだけだった。
それからはさ、雨が止むまで、どうして自殺をしてはいけないのかって議論をしてたんだ。残される人が悲しむとか、生きていてはいけない人間なんていないとか。俺は分かってくれてると思った。哀華は錯乱してるわけでもなく冷静だったし。
『じゃあ私が死んだら、あなたは悲しんでくれる?』ってあいつは聞いてきた。
『もちろんだ。ていうか、死ぬなんて言うな』って言うと、『大丈夫。あなたが本当に悲しんでくれるなら、死なない』って答えた。それを聞いて、俺は少し浮かれちまったんだ。その後で俺のことをあれこれ聞かれちまったからさ。まだ兄貴離れが出来ない義理の妹がいること、泣き虫でドジっ子の幼馴染がいること、色々と話したんだ。最初は哀華も楽しそうに俺の話を聞いてたんだけど、だんだんと陰鬱な表情に戻ってきたんだ。それを見て、俺の話がつまんなかったのかなって思ったんだ。
でも、本当は違ってた。あの時なら、まだ止められたんだ。俺の周りには沢山の女の子がいるって分かったから。俺がそんなことを話したから、あいつやっぱり自分は孤独だと思ったんだ。でもその時の俺はなんにも気づかなくて……。またどこかで会おうぜ。その時まで死ぬなよって。そう言って、別れたんだ…………」
俺は下を向いた。
「だから俺、親父さんの話を聞くまでこのことは忘れてたんだ。あいつはあの時立ち直ったはずだし、大丈夫だろうって。でも、あんなことになってしまった……」
「やめて……」
顔を上げると、彼女は眼に涙をためていた。
「もう、やめて! お願いだから!」
髪を振り乱しながら、彼女は叫んだ。
「私は……私は哀華! 死んでなんかいない!」
「お前……」
突然の彼女のうろたえように、ひるみながらも俺は、
「……全部、嘘なんだよ」
「……え?」
俺の言葉に、彼女は驚きの声を上げる。
「ゼンブ、ウソ……?」
彼女は虚ろな眼で聞いてきた。
痛い。
胸が張り裂けそうだ。
心が押しつぶされそうだ。
彼女は彼女なりに、妹のことを思ってここまで哀華になり切ってきたのに。今俺がしようとしてることは、全てをぶち壊しにしてしまうことだ。
馬鹿だ。最低だ。愚劣だ。
でも、ここまで来たら引き返すわけにはいかない。
彼女を、救うために。
俺は言った。
「お前は、柊哀華じゃない。柊恋華だ」
その言葉を発した瞬間、何かが壊れる音が聞こえた。
恋華は、何も答えなかった。でもその瞳には、ハッキリと恐怖の色が映っていた。
俺は続けた。
「だから、そんな風に慌ててるんだろ。親父さんの話では、お前は哀華と子供の頃から仲がよかった。だから、お前は哀華の死に責任を感じてしまった。自分さえしっかりしていれば、妹は死なずに済んだ、とな。お前はそれ以来、ずっと自分は哀華だと思い込んで生きてきた。なぜか。それは哀華の死を受け入れられなかったから。そして、哀華の死を認めたくなかったから……そうだよな?」
俺はそこで話を切った。
恋華はしばらく何も言わなかったが……やがて口を開いた。
「……わた、しが」
「え?」
「……私が、死ぬべきだったのよ。哀華が学校で苛められてたことも、お父様から厳しく躾けられていたことも、ぜんぶ、ぜんぶ知っていた。でも私、見て見ぬふりをしていた……。下手にかばって、飛び火してくるのが怖かったから。私、自分のことしか考えてなかった……」
そう言って恋華は、哀華の墓を抱きしめた。
「進の言うとおり。私は、恋華。哀華じゃない」
墓石をいたわるように撫でながら恋華は言った。
その眼からは、涙が溢れ出ていた。
「哀華になりきったって、あの子はもうこの世にいない……。わかってた。わかってたのに。生きてるうちに、もっとあの子の気持ちに気づいてさえいれば……」
そして恋華は、えんえんと泣き続けた。
「ごめんね……ごめんね……!」
まるでそうすることが謝罪であるかのように。
ずっと、“哀華”を抱きしめていた。
俺はしばらく待って、彼女が落ち着いた頃を見計らって話しかけた。
「これから……お前はどうするんだ?」
「……恋華として生きていく。哀華のふりしたってあの子は喜ばないし……」
恋華は泣きじゃくりながら答えた。
「そうか。それじゃあ、一つ頼みがあるんだけど」
俺は懐から一通の手紙を取り出した。
「これ、哀華の遺書なんだけどさ。親父さんから預かってたんだ。本当なら、姉のお前に返すべきなんだろうけど……俺がもらってもいいか? 俺も哀華の死に責任があるし、この気持ちを忘れていたくないんだ。もう同じ過ちを……繰り返したくないんだ。だから、いいか?」
俺は胸を痛めながらも聞いた。あの日、哀華は死を決意していたのだ。学校では苛めに合い、家に帰れば厳格な親からの指導が待っている。姉には相談できない。だから……。
「いいけど。どうして進は、私達のことをそこまで?」
恋華の問いに、俺は指で鼻をすすりながら、
「お前達って、俺と標の関係に似てるからな。標も、お前と同じで危なっかしい奴なんだよ。まあそんなわけで、付き合うのはとりあえず無しにしようぜ? お前の意思じゃないからな。俺も自分の気持ちが整理つくまで、誰とも付き合わないって決めたんだ。浮ついた気持ちで選んだりすると……また誰かさんに刺されちまうからな」
俺はそう言い残すと、恋華を残してその場を立ち去った。
積もる話もあるだろうし。姉妹二人きりにさせてやりたかった。
俺は、バス停のベンチで次の停車を待っていた。古ぼけたベンチには、他に誰一人座っていない。
さっきからずっと考えていた。哀華は、救われたんだろうかと。
もしかしたらそう思うことで、俺達は逃げたんじゃないだろうか。
しかしそんなことを考えても……永遠に答えは出ないだろう。
それでも……恋華の何かを変えることは出来たのか。
それは偽善?
あるいは思い込み?
それとも独りよがり?
そうかもしれない。俺のした事は、ただの自己満足だ。
だとしても、ケジメだけはつけれたと信じたい。
何だか無性に標の顔が見たくなってきた。
今日は家を出ることも、ここに来ることも言ってない。
だからここにいるはずはないんだが……。
その時、隣に女が腰掛けてきた。
若い女だ。俺が慌てて間隔を空けようとしたら、その人物も俺に合わせて、横にピッタリと水平移動してきた。
うぜえな。人が考え事をしてるってのに。俺はその女を睨んだ。
その女性は麦わら帽子を眼深く被っていて、白地のTシャツにグレーのスキニーパンツを履いていた。顔は見えないが中々良い女のようだ。彼女は俺の視線に気づいたのか帽子をとった。
「……兄さん。ケジメはつきましたか?」
「なっ……」
標だった。
「お前……ついてきたのか?」
俺が驚きながら問いかけると、
「はい」
申し訳なさそうに標は答えた。
「すみません。どうしても気になったので」
標は深く頭を下げた。そんなつもりはなかったのだが、どうやら叱責したように映ったらしい。
「ご迷惑……でしたか?」
標は悪戯が見つかった子供のように上目遣いで俺を見上げた。
俺は無言でぽん、と頭を撫でてやる。
すると標は「むう」と頬をふくらませた。
「兄さん。子供扱いしないでください」
「アホ。普段もっとガキくさいことしてるくせに。大人ぶってんじゃねえよ」
そう言いながら、俺は絹糸のような標の髪を撫でおろした。
「はううぅ……。兄さんたら、テクニシャンですうう」
「バカ、変な声出すな」
「……やめたら、大声で泣きますからね?」
「やらなきゃよかったな」
「ふふっ。私は甘えん坊ですから。兄さんには甘やかされた分だけ甘えるようにしてます。それが私の信条」
そう言うと、標は俺の肩にしなだれかかってきた。
「嫌な信条だな、おい」
その時、一台のバスが走ってくるのが見えた。
「うふふ。さあ、一緒に帰りましょうか。兄さん」




