第2話~幼馴染
「ふあ~あ……あ」
こんなにサッパリした青空の下なのになぜかあくびが止まらない。
通いなれた通路を標と歩きながら、そう俺は思うのだった。
「兄さんはいつも眠たそうですね」
隣を歩く標が半分あきれながら言う。
「どっかの誰かさんのおかげで安眠できなかったからな」
「まあ可哀想に。安心して寝れるように私が添い寝してあげます」
標が眼をギラつかせながら言う。
「遠慮しておく」
首をぶるぶるして全力で拒否する。というかやめてくれ、まじで。
太陽は日差しをシャワーのように浴びせ、街路樹の木々は色づき、風に乗った木の葉のにおいは胸の奥まで青くなりそうなほど清々しい。
そんな真夏日の歩道を、標と二人肩を並べ歩く、歩く。
俺たちの通っている秀明高校は、都内でもかなり偏差値の高い有名校だが、そんな難関校に頭の出来の悪い俺がなぜ入れたのかというと、標が俺の成績を入試の日まで毎日管理したからだ。立派に合格できたのは血の滲む努力のおかげだが、これからの勉強についていけるかハッキリ言って自信がない。
入学式の前にもそれを言ったのだが標に『私が毎日勉強みてあげます』と言われた時には冷や汗が止まらなかったものだ。
冗談みたいに言ってたけど、目が笑ってなかったもんな……目が。
それ以来優れた妹を持つのも考えものだ、と俺は思うのだった。
「なあ、標。今からでも――」
「ダメです」
転校できないか? と言おうとしたが標にさえぎられた。
「せっかく同じクラスに入れたのですから、一緒じゃなきゃイヤです」
「家でいつも会ってるじゃないか」
「私の見てない隙に浮気するかもしれませんので」
標は俺の顔をじっと見ながら言った。
「私はずっと兄さんのそばにいたいんです」
「そこをなんとか……」
「ねぇ兄さん?」
言い終わらないうちに、ヒクヒク顔を引きつらせながら標が言った。
「知ってますか兄さん? 晴れの日でも雨が降ることがあるんですって」
「そ、そうなのか……?」嫌な汗が止まらないが聞いてみる。
「そうです――――血の雨というね」
笑いながら言う標の顔は、夏の暑さも気にならないほどの冷たさだった。
「はは……い、急ごうか。早く行かないと遅刻するし」
「はいな♪」
今度こそ満面の笑顔で標が頷く。どうやら血の雨は降らずに済んだようだ。
胸を撫で下ろしながら俺たちは通学路をひたすら並んで歩く。
雲ひとつない青空は俺たちの足元に陽射しを差し込み、今も不条理にオゾン層が破壊されてるなんて信じられないくらいに、元気に光を投げかけていた。
「――今日も暑いな」
夏が暑いのは当たり前のことだが、誰かに投げ出さずにはいられない。
だが標は顔を紅潮させながら全く見当はずれな答えを返した。
「ですねえ。兄さんと一緒に歩いてると、嬉しくて溶けちゃいそうです」
「お前はアイスクリームか」
たまらず突っ込む。が、本人はどこ吹く風だ。
「ふふ。だとしたら食べてくださいますか?」
「バカ、違う意味に聞こえてくるだろうが」
いつもそうだ。幼い日も、そして今も。
標の思考回路は昔からたった一つ。『俺さえいればいい』
遠い昔からたくさんの思い出も、二人でいた記憶しかない。
俺は俺でたったひとりの妹が可愛くて仕方なかった。
標のことを一番に考え、泣き出した時はすっ飛んでいって助けてあげたものだ。
今思えばそれがいけなかったのかも。
実の兄に全裸で襲い掛かる変態女になってしまっていた。
出来ることなら小さい頃の俺に説教の一つでもかましてやりたいところだが、いくら悔やんでも過去へは戻れない。
……まあ、やり直したいほど今が気に入ってないわけではないが。
家と学校の中間辺り、交差点の前に立った時だった。
「あ、あの……」
流石兄妹。同じタイミングで振り向くと、そこには見慣れた顔が立っていた。
「おはようございます、標ちゃん。すーくん……」
「おう。おはようほのか。ん、どうした?」
「……あう」
俺が挨拶を返すと急に立ったまま動かなくなった。
じっと俺を見つめたまま、小動物のようにビクビク肩を震わせている。
こいつは宮路ほのか。俺らの幼馴染だ。
赤みがかったウェーブの茶髪は癖もなく肩のあたりでクルンと巻かれていて、大きな瞳にくるんとした睫毛がとても似合う。鼻梁は高く整っていて、どこぞのお嬢様だよと言いたくなるが、いつもオドオドしているのが玉に傷だ。
「あう、あう……」
何がそんなに不安なのか、俺の目を見て口をパクパクしている。
それを見て、標が凍りつくような冷たい視線を送る。
「ほのかちゃん、何兄さんに熱のこもった視線を浴びせてるんですか?」
「ひい!? あの、その……ごめんなさい!!」
標の迫力に百八十度背を折り曲げながら、ほのかが頭を下げる。
「いや、別に怒るようなことじゃないだろ……大丈夫か、ほのか?」
「ふえ? ああああああの」
ブルブルと顔を振りながらほのかが俺を見る。
逆効果だったか。なるべく刺激しないようにしたのだが。
俺は小動物のように怯えてるほのかに向けて言った。
「なあ、普通にしてろよ。笑った顔の方が可愛いんだから、お前は」
「か……可愛い?…………」
涙で滲んだ瞳を俺に向けてくる。
「そ。だから、自分に自信持てって」
俺はなるべく優しく手を差し伸べて言った。
「うん……ありがとう、すーくん」
「兄さん! なにほのかちゃんにデレデレしてるんですか!?」
「ひゃうー!」
俺の手をとろうとしたほのかが、標の落とした雷にビクついてしまい、膝を抱えたままうずくまってしまった。
ていうか、誰がデレデレしてんだよ、誰が。
「ごめんなさいすーくん、私がダメダメなばっかりに」
そう言ってまたペコペコと頭を下げだす。
「い、いや……そんなことないから、落ち着け、な?」
軽くほのかの頭をポンポンと叩きながら言う。
「……ふえ」
何故か嬉しそうにポッとするほのかを見て、標がきっと目を吊り上げる。
「兄さん! なんでほのかちゃんばっかり!!」
「キャー! ごめんなさい!!」
ほのかを慰める俺を標が顔を真っ赤にして怒鳴りたてる。
たく、三人集まるといつもこうだな。俺は心の中でため息をつく。
幼い頃から家が近所だったのだが、生まれつき臆病なばかりに、悪ガキ共からいつも苛めにあっていて、両親もガチガチの教育一家だったため、ほのかの居場所はどこにもなかった。そんなとき俺は親には内緒で部ほのかを家から連れ出したのだった。
連れ出すと言っても、公園の滑りから滑ったり、砂場で城を立てたりと子供のお遊び程度だったが、ほのかも凄く楽しそうに笑っていた。ドロだらけになって家に帰ってくる頃には、日も暮れかけていて、俺はお袋からこっぴどく怒られたのを今でもよく覚えてる。
その時から、ほのかと俺は幼馴染としてよく遊ぶようになった。
そこに標もやってきて、俺たちは三人でつるむことが多くなった。
丁度その時からか。標の嫉妬がきつくなったのは。
俺は今日何度目かのため息をついて思った。
たまには……静かに登校してみたい。
構想は何もないです。感想だけがエネルギー源です。よろしくお願いします!