第18話~お嫁さん
標の兄になったのは五歳の頃だった。
当時妹が欲しかった俺は手を叩いて喜んだものだったが、そうなる経緯は複雑だった。標は実の親から酷い「虐待」を受けてたのだから。
優しい両親の元で育った俺にとって、人間全てが幸せじゃないという事実に大きなショックを受けたものだった。
標の親は収入もないくせに遊び人のクズで、まともな食事も与えられず、標は些細なことで暴行を受けていたそうだ。母親は旦那の行為を止めようともせず陰で泣いていた標に「泣き声がうるさい」だの「部屋が汚れてる」だのねちねち叱り付けていたらしい。
勿論そんな最低の野郎共にまともな仕事先なんてあるわけもなく、仕事が見つかっても二、三日でクビになっていた。親父が働いていた会社にも来たらしい。そのことが縁で標を引き取ろうと親父は申し出たのだった。だが仕事がない鬱憤を暴力で発散させられていた標は、我が家に引き取られる時全身痣だらけだったのをよく覚えてる。
なぜ標が家に来ることになったか。それは実の親を殺したからだ。
これから生きていても一生親に虐げられる毎日だから。そしてそれ以上に、実の親に愛されていないという事実が、標の心を蝕んでいた。
標にとって親とはもはや憎しみのターゲットでしかなかった。
標は学校で使う水銀をこっそり持ち出し、父親の飲む酒に入れて毒殺した。そして異常を感じ駆け寄る母を後ろからバットで撲殺。何度も何度も。
使えなくなったボロ布を裂くように。血が出なくなるまでズタズタに。
それが……標の両親の最期だった。
幼い子供の凶行、普段から虐待を受けていた事情もあって、標は不起訴処分となった。そのことをニュースで知った親父は、うちで引き取ると宣言した。
それが全ての始まりだった。
俺と標が血のつながらない「兄妹」になったのは。
「今日からうちの家族になる標ちゃんだ」
親父は小さな女の子を向いて言った。そして俺に自己紹介をするように促す。
「はじめまして。標といいます。今日からお世話になります。よろしくおねがいします」
ペコリと礼儀正しく頭を下げる標の眼は、暗く淀んで見えた。
「おう、よろしくな! これから一緒にくらすんだから、遠慮は抜きだぜ」
「でも、わたし居候ですし」
「いそうろうだかイソジンだかしんねえけど、妹は兄貴に遠慮なんかしねえもんだ」
我ながら空気の読めない挨拶だったと思うが、親をあんな形で失くした相手に、なんて言ってやればいいのかなんてわからない。だけど少しでも励ましてやりたかった。魂の抜け殻のようだった標に。これから過ごす妹に。
家にいるときの標はずっと家事の手伝いをしていた。そして一瞬たりとも笑わなかった。幼い自分にはまるで笑い方を忘れたように見えた。
「おい、標。ちょっといいか?」
標がリビングの拭き掃除をしてるところに声をかける。
「はい」
やはり頬の筋肉一つ動かさず標は答える。笑顔どころか、感情さえも失ってしまったのではないか。だとしたら自分が何とかしてやらねば、と俺は決意した。
「おまえさ、ぜんぜん笑ったりしないのな」
「わらう?」
「そう、こういうの!」
俺はニンマリと笑って見せた。人が笑ってるのを見れば、こいつも同じように笑ってくれるだろうと。
「できないです」
フルフルと首を振りながら標は言った。
「わたし……パパやママを殺しちゃったんですから」
「おまえ、ばかか」
「はい、パパやママにもよくいわれました」
どうしてそんな考え方になるのか理解できなかった。こいつは全然悪くないのに。そんな親は死んで当然だしこいつはこれから幸せになる権利が十分ある。なのにどうしてこいつは若くして人生悟ったように諦めているんだろう、と。
「よしわかった。おれに考えがある」
「かんがえ?」
「とりあえずそのウジウジした性格をなおしてやる。こい」
俺は標を近くの公園に連れていってやった。やはり子供が子供らしく遊ぶには公園だ。ここなら大人に遠慮しないで遊べる。
「よし、とりあえず砂の城でもつくるか」
俺は小さな囲いで出来た砂場に入ると、パンパンと城の構築に入った。
それを標は「?」て顔で見てたので、俺は「一緒にやろう!」と誘った。
「一緒にやるんだよ。俺たちくらいの子供はみんなこうやって遊んでるぜ」
「わたしやったことないです」
標は当たり前といった口調で答えた。だが俺は構わず続けた。
「だったらこれから覚えりゃいいじゃん。お前さてはほんとにバカだな」
「あたし頭悪くはないです。幼稚園では先生にいっぱいほめられました」
「そういうことじゃねえの。なんていうか、人生て楽しんだもの勝ちじゃん。お前見てると、わざと暗い考え方してるように見えるぞ」
「わたしは……ひとごろしだから……」
最後の言葉は尻すぼみになっていてよく聞こえなかった。
俺は半分ほど出来た城の細部を制作しながら言った。
「ひとごろしってさ。悪いやつのことじゃん。いたいけな子供に暴力ふるうおとなをこらしめるのが、どこがいけないわけ? 俺はそうは思わないね。だからお前も気にすることないぞ」
「さつじんはんが妹になるの、いやじゃないんですか?」
「言っただろ。気にしねえって。それより、砂の城作るの手伝ってくれ」
「は、はい」
とことこ駆け寄りながら、標は俺にならって砂をぺたぺた触り始めた。
「わたし、悪い子なんです」
「良い子悪い子で言ったら、おれだって悪い子だよ。お前ほんとは泣きたいくらい悲しかったんだろ。でも泣かなかった。家に来てからずっと。おまえはえらいよ」
「そんなこと、ないです」
標は首を横に振った。だが俺は構わず続けた。
「だいたい自分の子供をいじめる親が悪いんだよ。そうしなきゃお前が死んでたかもしれないんだし、お前のしたことはまちがいじゃねえよ」
「そんなことないっ!」
「うおっ」
標は手を止めて叫んだ。俺はビックリして標を見た。
「ど、どうしたんだよいきなり」
「わたしはあの親がうっとうしいから殺したの! わたしがもっと良い子にしてれば、パパもママもわたしのこと大事にしてくれた! そうすれば、わたしだってあんなことしなかった……」
「お、おい。おちつけよ」
「わたしなんて生まれてこなければよかった! そうすればパパもママも死ななかった! 誰も不幸にならなかった! あなたの親にも、迷惑かけなかったのに!」
顔も服もくしゃくしゃにしながら、標は泣きじゃくっていた。
「わたしなんか。わたしなんか……」
「しるべ」
俺はそっと標に声をかけた。
そして完成した砂の城を見せる。ちくしょう、焦って作ったから自分でも呆れるほどお粗末な作品だ。
「それ、なに……?」
どう答えればいいかわからないという風に標は声を漏らした。
「砂のお城。今はこんなちっぽけだけど、いつか本物みたいなお屋敷をおれが作ってやる。そしたらおまえを」
「わたしを……?」
「おまえを、おれのお嫁さんにしてやる」
「およめ、さん……?」
小さく呟く標の声に「ああ」と頷く。
「知ってるか? 女の子にとって、世界でいっちばん幸せなイベントなんだ」
そういう俺の声も震えていた。そのまま涙声で続ける。
「辛かったら俺を頼れ。苦しくなったら俺のところにこい。楽しいことはいっぱいあるし、悲しいことは半分にしよう。よぼよぼになるまでそばにいてやる。だから」
「おにい、ちゃ」
「だから泣くな。泣いてばっかじゃ、お嫁にもらってやんないぞ」
「がまんしたら、お嫁さんにしてくれるの?」
「ああ」
「ずっとずっと、いっしょにいてくれるの?」
「ああ」
「わたしのこと好きになってくれるの?」
「もちろんだ」
「じゃあ、泣かない……!」
そういうと標はこわばった顔でえくぼを寄せた。ずっと曇りだった空にうっすら太陽が射したような、そんな笑みだった。
「いい笑顔じゃん」
俺は標の頭を撫でてあげた。これでいいんだ。これで。確かに実の親を殺してしまったことはずっしりとのしかかるに違いない。だとしたらそれ以上に楽しいことで塗り替えればいい。そういう思い出を、自分が作ってやればいい。
俺の腕の中で、必死で標は涙をこらえようとしていた。そうすることで、自分を保つことが出来ると信じるように。その日から標は俺の妹として、少しずつだが家族として溶け込むことが出来たのだった。
そうだった。あの日から俺は標を守ると心に決めたんだった。そして標は俺が約束を果たすのを待っている。あんな小さなガキの頃の約束を守り続けるなんて、律儀にもほどがある。だが、あのときの誓いは嘘ではない。
俺は街中を汗だくで走り続けた。とりあえず今は標を見つけよう。
そのときなんて言うかは、そのとき次第だ。
あの時のように。




