第17話~覚悟
翌朝、俺は眼を覚ますとすぐ一階のリビングに下りた。昨日標とあんないざこざを起こしちまって顔を合わせづらいが、一晩置いたから冷静に話ができるんじゃないかって期待もあったからだ。
パタパタとスリッパを履いた足音が聞こえたのでリビングへと向かう。ちょうどお袋が出ようとしてるところだった。
「あら、おはよう進。今朝は早いのね」
「ああ――標は?」
「わからない。私が起きたときにはもう部屋からいなくなってたわ。先に出かけたのかもね」
「そっか」
俺は自分で分かるほどテンションを落として言った。
昨日、俺があいつを拒絶したりしなければ。そう思うと罪悪感が沸いてくる。
お袋はそんな俺を見ると頭を小突いた。
「いて」
「あんた、また自分が全部悪いとか、馬鹿なこと考えてるでしょ」
お袋は言った。
「人間関係なんて、そんな簡単なものじゃないのよ。一朝一夕で築きあげものじゃないの。標ちゃんには標ちゃんの考えがあるようにね」
「なんだよ、急に正論言いやがってよ」
「あんたが情けない顔してるからでしょ。こっちまで気が滅入ってくるわ。あんただけじゃなくて標ちゃんもね」
「あいつは俺と違ってしっかりしてる。大丈夫だよ」
「ならなぜ、昨日はあんなに取り乱したの?」
お袋の質問に、胸がちくちくするのを感じながら答えた。
「それはやっぱり……俺のせいだろうな」
「そう。進のことが好きすぎて、周りのことが見えずに暴走してしまう。だけど、人の気持ちだけは自分の力ではどうしようもない問題なのよ」
「色々と難しいな」
「それがわかればもう大人よ。じゃあ私、先に行くから」
お袋は語りかけるような口調で家を出ていった。
「もう大人、か。だといいんだけどな……ん?」
そのとき、インターホンが鳴る音が聞こえ俺は玄関へと向かった。
待っていたのは哀華だった。
暗い瞳が俺を見つけると、灯りを点した様に輝く。
「哀華……」
「どうしたの? お化けでも見たような顔して」
「あ、いや。急に来るからさ。どうしたんだ?」
「私たち恋人同士なんだから、家に行くぐらい当然じゃない。おかしな進」
哀華は初日よりいくらか砕けた口調をしていた。これが彼女本来の性格なら受け入れられたかもしれない。だが彼女は哀華ではない。恋華なんだ。
「それより、昨日部屋で待ってるって言ったのに私を置いて帰ったわね?」
「あ」
そういえばそうだった。どうしよ、なんか言い訳しないと。
「いや、それはだから、そう、用事を思い出しちゃってさ! 悪い!」
「――本当に悪いと思ってる?」
「あ、ああ」
射抜くような視線に耐えながら俺は答えた。
「じゃあ許すわ」
哀華は短く言った。
「その代わり、これからはずっと一緒にいるのよ?」
「う……」
「愛してる、進」
「お、おい」
哀華は俺の胸元に顔を押し付けてきた。花のように甘い香りが鼻腔をくすぐる。悪い気はしないが、家の中でこういうことをされるのは流石に照れるぞ。
「進の心臓、どくどく言ってる」
抱擁を続けながら哀華はつぶやく。
「あたたかい……とても、安心する……」
うっとりした表情で哀華は言う。聞く人が聞いたら誤解されることを言うな。
だけどなぜだ。なぜこんなに違和感が絶えないんだ。女に抱きつかれてるのに標の焼きもちがないことか。死んだ妹になり切ってる哀華が不気味に感じるからか。それとも、そんな生活を半ば受け入れかけている俺が既に不自然なのか。
わかった。きっとどれも当たりなんだ。俺はそうやって育ってきたんだから。
標と一緒に。
「そ、そろそろ行くか。遅刻しちゃまずいし」
俺は照れ隠しに哀華を引き離しながら言った。
「そうね」
哀華は短く返事する。
その動作の全てが偽りであることも気づかずに。
俺たちは肩を並べて一年A組の教室に入った。
いつもと変わらない空間、だがそこに標の姿はなかった。
鞄もない。机の中を覗いてみたが、教科書の類も入ってなかった。
「おかしいな。この時間ならとっくに来てるはずなのに」
「――妹さんのこと? 年頃の女の子なら欠席なんてよくあることよ」
俺の呟きに哀華が反応を示す。
「あいつが無断欠席なんて、笑点が打ち切りになるより有り得ねーよ」
意味合いは少し違うと思うが、普段から真面目な標がさぼるなんて今までなかった。俺と一緒にいられる時間は少しでも無駄にしたくないって言って、熱があろうが学校に来る奴だ。
「標嬢は来てないみたいだよ」
声のした方を向くと、そこには照明が立っていた。
「照明……標が来てないってどういうことだ?」
「家族である君に分からないのに僕が知るわけないだろう? でもさっき先生に聞いたけど、何も言ってないみたいだね」
俺はケータイを取り出し標の番号をプッシュした。しかし電源が入ってないというアナウンスしか聞こえてこない。俺は小さくため息をついた。
「標……」
「どうかしたの? すーくん」
ただならぬ雰囲気を感じたのか、ほのかが駆け寄ってきた。
「なんでもない」
かろうじてそれだけ腹から振り絞った。
「……すーくん?」
しかしほのかは心配そうに俺の顔を覗き込んだ。
「何かあったんでしょ? 標ちゃんが来てないことと関係あるの?」
「あなたには関係ないことよ。それと、進にそれ以上近づかないで」
哀華が俺とほのかの間に割って入ってきた。
「宮路さんって言ったわよね? ただの幼馴染のくせに馴れ馴れしいわよ」
「な、馴れ馴れしいって……。それにただの幼馴染じゃないよ……。すーくんや標ちゃんは私の大切なお友達だもん」
「そうやって無理やり押し付ける女の友情って、男の子は煙たがるものよ」
「だ、だから押し付けてないよ。私は」
「自覚がないのが一番質悪いのよね。進も可哀想。こんなのに付きまとわれて」
「わ、私は……」
「――逐一彼女ぶる女も男に嫌われるものだよ? 柊君」
ほのかに詰め寄る哀華に口を挟んだのは、照明だった。
「あなたは確か……進の友人A」
「ピンポーン。正解した褒美に僕のサイン付きブロマイドを差し上げよう」
「いらない。進のなら盗撮してでもほしいけど」
人のプライバシーを平気で踏みにじろうとする哀華を無視して、照明は俺に向き直った。
「……昨日忠告したのに柊君と付き合うことにしたようだね? 進」
「いや、それは……」
「え? え? それ本当なの? すーくん」
ほのかは驚きながら俺を見た。元々隠しておけることじゃないと分かっていたけど、こうなったら仕方がない。
「本当だ。俺は哀華と付き合うことにしたんだ」
「そんな、ことって……」
ほのかは貧血を起こしたように机にもたれかかった。
「お、おい」
俺は慌てて抱きかかえる。
「大丈夫かほのか? 保健室行くか?」
「い、いいよ。ひとりで行くから」
重い足取りでほのかは教室を出て行った。フラフラとよろけていて、本当に大丈夫かと心配したくなるが、
「進」
冷水を浴びせたような照明の声に、俺は動くことは出来なかった。
「君は何をしてる?」
いつもの照明とは違う。軽蔑したような眼で俺を見ていた。
「大事な妹君を放って、君はこんなところで何をしているんだ」
「お、俺は……」
答えにならなかった。標に会って、俺は今何をしてやれるのか。
あいつの心を砕いたのは、俺だというのに――。
「お前ら、立ち話はそれぐらいにしておけー。ホームルーム始めるぞー」
いつの間にか教壇についていた担任がぱんぱんと手を叩きながら言った。
今まで騒いでいた生徒達も一斉に席につく。
「お前らもうすぐ夏休みだからって気がたるんでるぞ。もう少し気を引き締めていけよ」
ありきたりな説教から担任は行事について話し始めた。
それを受け流しながら俺は標に何をしてしまったのか考えてみた。俺はあいつの思いを知っていた。なのにその思いに応えようともしなかった。だからなのか。だから標は学校に来る気を無くしたんだろうか。
昨日ドアをぶち破ってでも標ときちんと話をするべきだったんじゃないか。
担任が教室を出る間も、俺は標のことばかり考えていた。
それからも授業は進んでいた。教師の言葉は耳に入らず、代わりに激しい後悔の波が打ち寄せていた。俺はぼんやり窓の外を見つめた。
夏の暑さはいくらか涼やかだが、それでも木にへばりつく虫やグラウンドを照らす日差しを見ると、体の内側にわずかな熱量を感じた。
三時限目になっても標は現れなかった。着信履歴もない。
そもそも昨日標を突き飛ばしたのは俺だから無理もないが。
だけど。
いつもなら朝起きたら標がベッドにもぐりこんで来て、俺のYシャツの匂いを嗅ぐという変態プレイから始まる。俺がびっくりして嗜めると、これだけは一日一度の楽しみなのでと言って譲ろうとしない。そしてそんな俺たちを見てお袋は呆れたように笑う。それが、当たり前のように続いていた日常だった。
兄妹だから付き合えないと言ったのは俺だ。あいつは俺と違って顔も要領もいいから彼氏なんていくらでも作れたから。だけどあいつは最後まで俺を求め続けた。そんな精一杯の思いに、俺は耳を傾けようともしなかったのだ。
「……やっぱ駄目だな。俺は。兄貴失格だ」
そう言うと、俺は席を立った。
「進? どうしたの?」
隣の席の哀華が俺に問いかけてきた。
「わりい。ちょっとさぼるわ」
「え……? どういうこと?」
哀華に返事もせずに、俺は走って教室を飛び出した。
ガヤガヤと教室からざわめく音が聞こえる。だが関係ない。少なくとも学校の成績なんかより標のことのほうが何十倍も大切だから。
「……いくか」
俺はそのまま学校を出た。今日はもう戻らない覚悟で。




