第9話~まどろみ
「――兄さん? 起きてますかー?」
柔らかな声がドア越しに聞こえてくる。しかし、朝のまどろみの空気の中返事をする気にはなれなかった。
「……返事がないってことは、入っていいってことですよね」
かなり不穏な声が聞こえた。小さめにコンコンとノックをしたあと、こっそりとドアを開く音がする。
「失礼しますよー。ちゃんとノックもしましたからねー」
妹よ。お前の作戦は分かっている。呼んでも起きないことをいいことに、俺を好き放題しようという腹積もりだろうが、そうは問屋は下ろさんぞ。
俺はシーツにくるまりながら牽制をかけた。
「起きてるぞー、標ー」
「聞こえません、聞こえませんねー」
そう言ってガバッとベッドの上にのしかかってくる。いや、俺ちゃんと起きてるって言ったよね? しかし、そんな疑問も標には通じないらしく、吐息がかかる位置まで顔を寄せると、
「私のキスで起こしてあげますね、兄さん」
そのまま唇をぐっと近づけ――、てちょっと待て!
「待て待て! 起きてる! 起きてるっつーの!」
「あ、やっぱり無理でした?」
迫る標を突き放すと、当人はあっけらかんとした口調で言った。
「お前なあ。高校に入学してからは一人で起きるって言ったよな? あれほど言ったよな?」
「私は了承するとは言ってません。それに兄を起こすのは妹の責務です」
……そんな責任感、持たなくていい……。
「うーん、頭痛くなってきた……」
「それは大変です。寝なおしてくださって結構ですよ。私が優しく起こしてさしあげますから」
「余計疲れるから、やめとくよ」
俺の妹は今日も相も変らずだ。
「はあ……じゃあ、いいよ。着替えるから、出てってくれ」
「いえ、私もお手伝いします。兄さんの艶かしいお姿をこの目に焼き付けておきたいですし」
「出ていかんと、すっとばすぞ」
「ああん、そんな。でしたら、この胸にお願いします。いくらでもすっとばしてくださって結構ですからね」
口で勝負しようとした俺が馬鹿だった。今日の所は大人しくしてくださいすんませんと頭を下げてようやく標を追い出し、着替えを済ましリビングに下りた。
「お、おはよう。すーくん」
ドアを開けると、何故かキッチンの前に立っているほのかがいた。
「あれ、ほのか? どうしたんだ?」
別にお隣だし、これまでも何度か遊びにきたことぐらいはあるが、朝から来てることはほとんどなかった。家庭環境が極端に厳しいらしい。
「き、今日はね、朝ごはん作ったの」
ほのかは手をモジモジさせながら言った。見るとテーブルには、白飯と味噌汁、さんまの塩焼きにナスのおひたし、カットフルーツと、見るからに美味しそうな朝食が並べられていた。
「これ全部ほのかが作ったのか? 凄いな」
「そんな……そんなこと、ないよぅ」
「兄さん! 私だって色々手伝いました!」
標がほのかの前に出て、険しく訴え出る。
「なっ……、標、お前が?」
こう見えても標は大の料理下手である。いや、見た目は完璧に作れるのだが、味が壊滅的に“甘じょっぱい”のだ。おいしく食べさせるために手を加えた結果らしいが、逆効果になってるような気がしてならない。
「まあ、私が手伝ったのは、下準備くらいですけど。悔しいですが、ほのかちゃんの腕には遠く及ばないですし」
「ううん……! 勝手に調理場借りてごめんね、標ちゃん、すーくん」
ほのかは手をブンブン振って否定した。こいつは昔から色んなことが出来るくせに、謙遜しすぎる悪い癖がある。
「そんなことねえよ。ありがとな、ほのか」
俺はほのかの頭に手をぽんと乗せて言った。
「……あう♪」
ほのかが嬉しそうに声を上げる。どうやら喜んでくれてるみたいだ。
「に~い~さ~ん? 私だって手伝いましたのに~?」
標が非難の目を向けてくる。
「さあナデナデしてください。さあさあ兄さん!」
「わ、わかった。わかったから頭引っ込めろ」
「はいな☆」
そう言って素早く突き出していた頭を下げる。
俺はしばらくご褒美と称して二人に頭をナデナデさせられ続け、こう思うのだった。
たまには……こんな朝も悪くないな。




