第五話
東の空が、うっすらと明るくなってきた。
目視できる距離ではないが、ポロニアの廃墟と化した街も、同じ朝日を浴びているのだろうか。いや、向こうの時間だとそろそろ朝食の時間か。
ベッドの中でシュウは、もぞりと身じろぎした。昨日は護送のあとすぐ帰り、ベッドにもぐりこんだ。慣れないことをしたせいか、疲れていた体はあっという間に眠りに引き込まれた。夢も見なかった。夢を見ずにすんで、シュウは少しほっとしていた。
だが、目が覚めてしまった以上、考えないわけにはいかない。
「……とりあえず、俺に言語解析はできん」
シュウは自分の領分をわきまえていた。専門といってもいい。そして、今回のこれは専門外だ。
「だれか適当な奴に押し付けよう……」
ふらふらと起き上がり、食堂に向かう。そういえば昨日は何も食べていなかった気がする。俄然お腹が減ってきたシュウは、部屋着にスリッパのまま廊下を歩いた。どうせここでは誰も他人の格好なんか気にしやしない。
明け方という、朝食には早い時間だが、食堂にはちらほら人影が見えた。
カウンターにころがっていたシリアルの袋を皿に開け、牛乳をどばどばそそぐ。それを持って席に着こうとしたシュウは、見知った顔を見つけた。
「ラージャ。隣、いいか」
「シュウ!久しぶりっ」
これでもかというほどきらきらした笑顔を向ける女・ラージャ。コイツは確か言語関係の研究をしていたはずだ。フィールドワークに出ていなかったとは、運がいい。
そして、はたと気づいた。ラージャとニシナは、犬猿の仲だということに。
ニシナの奴、ラージャに頼むのが嫌だったから俺を使ったってわけだ。
近頃のシュウはどうやらニシナにこき使われる星回りらしい。
ため息を押し殺し、シュウはラージャに向かって
「……頼みがある」
と切り出した。
「ええっ。シュウが私に頼みごとなんて!いいよ、わたし、なんでも言うこときいちゃう!」
ますます顔を輝かせるラージャ。シュウはやわらかくなったシリアルの最後の一かけを飲み込んでから、立ち上がった。
「ここじゃなんだから、」
「わたしの部屋へ行こう!」
シュウの言葉を遮り、ラージャは椅子を蹴倒す勢いで立ち上がった。
ラージャは、一言で言えば天真爛漫だ。あちこちに出かけているせいか、髪は艶を失い痛んでいる。ココア色の肌に、よく動く黒い目を持つ、快活な女だ。一年を通して組織の屋内にこもって、青白い肌をし、陰気なシュウとは反対なのだが、どういうわけかラージャはシュウのことを好いているようだった。
シュウは、一昨日ポロニアに異世界人が現れたこと、戦争状態になったこと、停戦のために言語解析が必要なことを手短に説明した。
しかし、ラージャの反応は、意外なものだった。
「そんなことあったの?」
シュウは一昨日、街頭テレビでそのニュースを見た。それ以降はテレビも新聞も目にしていないが、知らないなんてことはあり得るのだろうか。
ニュースを見ていないのかとも思ったが、世界中に知己を持つラージャは、たとえ自分が見ていなくとも、そのニュースを見て、教えてくれる友人など、やまほどいるはずだ。あれほど大きい事件なのだから。
「おかしいなぁ……」
ラージャは電子パッドを取り出し、メールを確かめ始めた。
嫌な予感がしたシュウは、ニュースと、国連のページと、あといくつかのサイトをチェックした。シュウの予想はどうやら当たっているらしい。
「ねえ、シュウ、やっぱり届いてないよ?ニュースも一応見たけど、ほら」
電子パッドをつきだして見せるラージャ。それを無視し、シュウはラージャに問いかけた。
「ラージャ、ポロニアに知り合いはいるか。ディケンズ市かその周りに住んでるやつだともっといいんだが」
「え?うーん、ポロニア人に友達はいるけど、私、南のほうに行くことが多いからなぁ。あんまりいないや。ディケンズって、軍事都市でしょ?誰かいたかな……」
ポロニア国は北にある。確かに、ラージャにはあまり縁のない土地だろう。
「うーん、でもその人からもメールとか来てないよ。おかしいね、もしそんなことあったんなら、機関に問い合わせてくる人が多いのに。機関に知ってる人がいるならなおさら」
「そいつに、今、連絡は取れるか」
「電話してみる」
しばらく電話をかけたが、その電話は受け取られないようだった。
「コールセンターみたいなとこにつながる。今、電波が届きにくいから、って」
試しにメールも送ってみたが、やはり電波の影響で、という言い訳つきで戻ってきた。しかし、ポロニア以外の土地になら届くようだった。
「国連の奴ら、異世界人のことを隠したのか……」
それはむしろ驚きだった。電信危機の発達した今、とうてい隠しおおせるものではないだろうに。
もちろん、少数のサイトには異世界人侵攻がニュースになっていた。しかし、それらのサイトは信憑性が低いものばかりだったし、論調も真面目なものではなかった。
「……こりゃ、面倒なことになってきたな」
早くもげっそりしてきたシュウに、ラージャは、
「大丈夫?」
と心配そうに見上げてきた。
「…………」
そうだ、今からコイツとニシナを会わせなければならなかったのだ……。
そう思い出すと、シュウはますますげっそりするのだった。しかし、
「ラージャ、ちょっときてくれ」
ラージャの手をつかむと、シュウはあの異世界人のいる実験室へと向かうのだった。
「え、えっと、どこへ?」
ラージャは顔を赤くしながら、手を握るようにつなぎ直した。
「実験室。お前の力が必要なんだ」
「うん!いいよ、私がんばるよ!」
ニコニコと、事情をまるで知らないラージャをだますように実験室へ向かうことに罪悪感を覚えながらも、シュウは足を止めなかった。
いくつかのゲートを通り、実験室の扉をカード認証で通りぬけ、部屋に入ると、そこにはニシナがいた。
異星人の女はベッドに縛り付けられ、彼女に取り付けられたいくつもの電極パッドがモニターへと延びている。
ニシナはモニターから目線をあげ、
「おう、おはよう、シュウ。と、『解語の花』」
「その呼び方を即刻やめて」
ラージャの目が物騒な輝きを帯びた。
「……ニシナ、ラージャをからかうのはやめてやってくれ。それから、事情を説明してくれ」
シュウにも、おおかたの予想はついている。
ポロニア国は捨てられたのだ。
そして、それが分かった以上、シュウはもうぼやぼやしていられなかった。