第二話
がんがんがんがん。
ノックというより、ドアを殴りつけるような音で、シュウは目を覚ました。
『学者』には研究室が一つずつ与えられている。『機関』には寮があるが、『学者』の中には研究室で仮眠をとる生活をする者もいる。シュウもそのクチだが、昨日は珍しく寮で寝た。眠りが浅かったせいか、妙に頭が重い。シュウは普段、どんな場所でも熟睡できるのに。
がんがんがんがん。
ノックの音にいいかげん苛ついてきたシュウは
「聞こえてる」
と不機嫌に怒鳴った。
「入るぞー」
シュウの機嫌なんて全く気にしていないかのように。いつも通りへらへら笑いながら入ってきたのは、ニシナだった。
「なー、シュウ。昨日のことだけどよー」
この台詞で、シュウは昨日なかなか眠りにつけなかった理由を思い出した。ポロニア国が飛行艦隊に攻撃され、国連軍が組織されたのだったか。頭のなかにあの赤々とした街がへばりついて離れない。
「あの艦隊さ、どっから来たか知ってるか?」
ニシナの問いに、シュウは思い出そうと頭の中を探った。
「……知らねえ。未確認、つってたよな?」
「おー。んで、さ。」
ニシナは急に声をひそめた。
「あれ、異世界から来たんだとよ」
「…は?」
シュウはニシナの顔を見返したが、いたって真剣な顔をしている。いつもへらへら笑っているニシナがこの顔をしているときふざけることはありえない。
「どういうことだ?ソースはどこだ?」
だから、シュウは細かく突っ込んだりはしなかった。ニシナも、それを分かっているのか、シュウの質問にただ淡々と答える。
「とりあえず、順をおって説明するぞ。今日の明け方、国連のお偉いさんから連絡があったんだよ。国連軍が組織されて、未明にポロニアに出兵したことは知ってるよな?」
シュウはうなずいた。そこまではニュースで見て知っている。
「ぶっちゃけた話、こっちが劣勢だ。どうも奴ら、俺らが見たことねー武器を使ってるらしくてな。でも、そんな戦況でも捕虜はでる」
「捕虜が、自分は異世界人だとでも言ったのか?」
もちろん皮肉だ。
「いんや。言葉が通じねーんだ。こっちが知ってる限りのどんな言語で話しかけても無反応らしいぜー。……あと、な。ここだけの話だけど。武器ってのは、割と世界のどこでも、フォルムに共通点があるもんだ。なのに、まあ、早い話がみょうちくりんな形なんだな」
顔かたちなんかはけっこうこの世界と似てるみてーだけど。
ニシナの話は後半、耳に入っていなかった。
それよりもシュウが気になったのは、「ここだけの話」というところだ。まともに会話をする相手がニシナしかいないシュウと違って、ニシナは知り合いが多い。なのに「ここだけの話」だと?
ざっ、と血の気が引いた。
そういえばコイツ、「お偉いさんから連絡があった」とか言ってなかったか?
寝起きでうまく回っていなかったシュウの頭は、やっかいなことに巻き込まれたことを、遅まきながらやっと理解した。
「なあ、シュウ。お前、以前、言語を数学的観点から研究した論文、出してたよな?」
「……出したけど。けど、あれは宇宙人との対話用で、しかもほとんど遊びで書いたやつだ。異世界人用じゃない。ボディランゲージのほうがまだ通じるだろ」
妙に饒舌なシュウは、逃げようとしていることが明らかだ。
「ボディランゲージは通じない。…それとな、今現在『機関』のなかで、今回役に立ちそうな研究したことあんの、お前しかいねーんだよ」
ニシナは笑って言った。いつものへらへら笑いじゃなくて、にやり、と形容されるような、いやーな笑みだった。
「シュウ、『機関』のお偉いさんが、お前に終戦調停のお役目を任じるって、さ」
「……断れないのか」
「どうかな。断っても殺されはしねーだろうけど、『機関』からの追放ぐらいはあるんじゃねー?お前が断ると、全世界が火の海になるっての、リアルであり得るからな。『機関』には殺されなくても、一般市民がリンチしたりは……」
「分かった」
シュウは返事で遮った。
「受ける」
ニシナは、最初からそう言えばいいのに、とでも言いたげに肩をすくめた。
シュウは、ニシナに対する認識を改めた。コイツは、嫌なやつだ。そして、なぜそういった情報がニシナから回ってきたかについても、一抹の興味を持った。シュウは人嫌いだが、研究を邪魔されないために知っておくべきことがあることも分かっていた。
「スーツとか、だりい」
シュウの文句にも、ニシナは
「カビてなくて良かったな」
と返すだけだった。なんとなくいらっとした。
「あのな、俺が異世界人とコミュニケーション取れるかどうかなんて確実じゃねえし、調停なんてもっと不確実だし」
「できなかったときの言い訳なんて聞きたくねー」
ニシナは相変わらずへらへら笑っているし、口調だけなら、まるで冗談でも言っているかのようだ。
しかし、シュウはぞっとした。ただ、ここで黙るのは嫌だった。何にかは分からないが、負けたような気がして。
「……ボディランゲージが通じないってのは、どういうことだ?」
「知らねー」
ニシナは、シュウが『機関』に入るときしか入室したことのない部屋――機関長官室のドアの前で立ち止まった。
「詳しいことは、お偉いさんに聞いてくれ」
コンコン。
「入ります」
ニシナが声をかけ、まるでシュウをエスコートするかのように中に誘った。