青谷サイド エピソード2
ショートスリーパーの朝は早い。
青谷は朝の五時頃になれば、自動的に目が覚めるように、昔から習慣づいていた。眠る時間は深夜の0時頃。人間は一日六時間以上寝ないと体に良くない、というデータがどこかで出ているようだが、短い時間でしか眠れない体質なのだから仕方がない。
朝ごはんをヨーグルトと菓子パンで済まし、寝間着の上にジャージを着て、ランニングシューズを履き、手首にスマートウオッチを巻いた後、二階建てのアパートから外へと出る。階段を降り、まだ薄暗い住宅街を走った。警察宮になったのと同時に、一人暮らしを始めて十年。早朝のランニングは一日も欠かしたことはなかった。
目標は5キロ。スマートウオッチで記録しているため、位置情報から5キロに到達すれば通知音が鳴るように設定してある。そしていつもこんなことをやっているため、決められた道順通りに進めば、アパートへ到着する頃にちょうど通知が鳴る。
無理しない程度のペースで、朝の冷たい空気を肌で感じながら走っていく。
この時間帯は人の姿はほとんどなく、車もほとんど走っていない。
ランニングするにはもってこいの時間帯だ。誰にも邪魔されず、黙々と自分自身の体を鍛えぬく。この時間が青谷にとっては至福であった。
そうして三十分以上かけて5キロを走り切り、部屋へ戻り、腕立て伏せと指立て伏せ、上体起こしといった簡単な筋トレを一通りこなした後、シャワーを軽く浴びた。身支度を整えたら時刻は六時を過ぎる。
社会人の朝は忙しい。が、青谷ぐらい早起きだと、なにかと余裕をもって動くことが出来る。ココア味のプロテインを溶かした牛乳を、シェイカーから直接飲みながらノートPCを立ち上げる。
「原初の魔法使い、アダム。か……」
茨木が掴んだ都市伝説だが、ネタはネタだ。事件と関係あるのかはさておき、青谷としても原初の魔法使い、というのは何者なのかは気になる所。
というのも、そのアダムという人物。もし実在するのならば、少しだけ親近感が湧く境遇の魔術師なのだ。
青谷は「第一世代」と呼ばれる魔術師。つまり、二十年前世界中に発生した「光の木」の出現と同時に目覚めた魔術師である。
当時はまだ、魔術師に目覚めた人間が希少であった。
なによりも、まだ社会が魔術という異能を受け入れられていない状態である。魔術連盟のような組織はまだなく、魔術師は「正体不明の力」として大々的に報道された。
当時、日本では魔術に対して、どこか楽観的な見方をする傾向が強かった。
その原因は人気お笑い芸人、動画投稿者らが目覚めた「魔術」だ。彼らは職業柄か、自身が目覚めた能力を「面白いネタ」として取り上げたのである。ソーサリー・タトゥーを見せては視聴者を驚かせ、魔術を使って刺激的に興奮させた。「これで嫌いなあいつをぶっ飛ばせるなぁ!」「おう、そういうこと言うなよ!」「よし、まずはお前からだ!」「いや、やめろって!」なんてブラックジョークを飛ばし、視聴者に新たな笑いを届けた。もちろん、異能を見せびらかす行為に批判的な声も上がっている。
また、魔術に対しての懸念の声はネット上で多く上がり、不穏な影はうっすらと差し込んでいた。
――魔術って、危険じゃないか?
――こいつらだけ、人を殺せる武器を常備しているようなものじゃん。死ね。
――これ、政府がちゃんと管理して規制しないと、世の中が大変なことになるぞ。おい、お前ら。テレビとネットで見て、ヘラヘラしている場合じゃないよ。
――ウチの子も、似た力に目覚めています。危険な子だと、差別されないでしょうか? とても不安です。
――なんか、犯罪に利用されそうだな。
――戦争とかテロにも利用出来るんだよなあ。
そして残念ながら、それらの懸念の声は的中することになる。第一世代の誕生から間もなく、立て続けに様々な問題が発生した。
紛争地帯で魔術師が前線に立ったこと。
科学的な解明のため、魔術師の人体実験が行われたこと。
そして、魔術による殺人事件が発生したこと。
世界の話題は魔術の話題で持ちきりとなり、各国の政府は魔術師の対応に追われた。このように、魔術連盟の創立まで道のりは長かったのだ。
設立は十年前。
日本は国民性からか少ない傾向ではあったものの、魔術師に対して「危険だから」「よくわからないから」の一点張りで差別をする者は一定数いた。
当時学生であった青谷。魔術師の子供は学校でいじめられたり、他の子供の親から煙たがれる傾向がある。そういった被害に遭わないため、魔術の力はひた隠しにするのが定石であった。
現在は魔術連盟の創立により、世界的に魔術師との共存が呼びかけられている。差別は世界的に緩和傾向だ。
しかしそれすらなかった当時は、とても不安な気持ちでいっぱいだった。
魔術を隠す。
本当の自分を隠す。
誰かと接するときに、隠し事がある。
そんな欺瞞を続けて築き上げる人間関係と人生は、思った以上に苦しいものであった。彼らが魔術を使えることを知った途端、一体どれだけの人間が青谷を拒絶するのだろうか? ネガティブな思考回路に捉われるのは、もはや日課であった。
そんな過去があったからこそ、アダムに親近感を抱いたのだ。
あの光の木の現象が起きる前から、魔術があったら――一体、どんなひどい目に遭ってしまうというのだろうか。
(ま、そんな奴が実在するとは思えんが……)
しかし魔術の力がさらに昔に存在したとしても、おかしい話ではない。大々的に世間へ認知されたのが、たまたま「光の木」の一件以来だった、という話はありえなくはない。
青谷は好奇心と共感、そして万が一にも、事件の手掛かりになるという可能性から検索を始めたのであった。
同じ日の七時頃。如月は今回の異動をきっかけにアパートでの一人暮らしを始めている。習慣である朝一のシャワーを浴びながら、お気に入りの曲を鼻歌で歌う。
警察官になったことをきっかけに鍛えられた体は、しっかりと引き締まっていた。無駄な脂肪や贅肉がほとんど見受けられない、完璧に近いスタイル。しかしそれでいて女性らしい膨らみと丸みがあり、グラマラスなラインを描いている。如月も自身のスタイルには自信があった。だからこそ体を鍛えるモチベーションが保てたし、女の子として可愛く魅力的であれる武器として努力を惜しまなかった。
鼻歌が唐突に止む。浴場にある姿見に移る自身の顔。それがコンプレックであった。というのも、中学時代から成長が見受けられない童顔なのだ。幼さが抜けない、子供の顔。この黒い髪を伸ばせば、少しは大人っぽく見えるかと思い腰の辺りまで伸ばしたが、その印象はあまり変わらなかった。
十九歳。子供の頃思い描いていた大人とは、なんだか違う。仕事もまだまだ成長が足りないし、色気のある顔にいつまで経ってもならない。
「はあ……」
覚悟していたとはいえ、昨日のことはショックであった。
初日の挨拶。実は、如月と青谷は知り合いであったのだ。青谷が如月のことを思い出してくれるかとも期待したが、それは見事に裏切られる形となった。
だが、それも無理はないと如月は思った。
当時、如月はまだ六歳であった。青谷は中学生で、野球少年であった。家がお隣さん同士で、青谷が毎朝素振りの練習を庭でしていたのを見ていた。当時、その姿に強く惹かれた。やがて如月は外へ出て「おにいさん、がんばってー」と声をかけ、青谷はそれに対していつも「うん。ありがとう」と返事をしてくれた。
いつもひたむきに、ストイックに己を鍛える青谷に、いつしか恋をした。初恋であった。だけど如月の家はやがて引っ越し、青谷とは離れ離れになってしまった。
(青谷さん、すごく、すごく、かっこいい大人になっていたなあ)
細身ながらもがっちりとした体形。精悍そうな顔立ち。しかも若手であるにも関わらず、警部補へなったという出世頭。
仕事が出来て、見た目も良い。なんて理想的な。
(青谷さん、わたしのこと、思い出してくれないかな……)
そんな乙女チックな思考を巡らせると、やがてデリカシーも欠片もない、丹治の言葉が思い返される。
今日にでもホテルへ連れていかれるんじゃねーの? と、言っていた。
その言葉から、如月はつい妄想を繰り広げてしまった。青谷が情熱的な視線を自分へ向け、ホテルの部屋へ連れ込む。強引な手で如月の服を脱がせ、自身の衣服も脱ぎ、鍛えられた体を惜しげもなく見せてくれて、あろうことか行為に至って……。
そこまで考えてしまうと、体の奥が熱くなった。切なくなって、右手を自身の敏感な所へと伸ばす。
「あ、ん。いい……青谷、さん……触って……」
思わず、声が漏れる。気持ちいい。妄想しながらその部分を撫でると、まるで青谷が如月を優しく抱いてくれるような、そんな気がして――。
(でも、青谷さんも男の人だから。もっと激しく動かすのかな……?)
そんな思考に至り、指を強めに、早く動かした。
「あ、あ、あ」
たまらなくなり、その場で崩れ落ちた。指は中に入り、左手で胸を揉む。胸の大きさには自信がある。青谷にも気に入られるだろう。きっとこんな風に感触を楽しむように揉み、果ては乳首を舐められたりする。そんな妄想を繰り広げながら左手で揉むと、体はさらなる快感を求めて動いた。
「す、す、すごい。気持ちいい。あ、青谷さん、わたし、もう、い、イキそうっ……!」
指と手の動きがフィニッシュへ向かう。
ふと、我に返った。
(わわわわわ、わたし、朝から一体なにを考えて、なにをしているの⁉)
右手を離した。あどけない顔立ちは、赤くなっていた。
(ダメダメ、仕事のこと考えないと。え、エッチなことは、ダメ……!)
今日は青谷と一緒にした捜査結果を、会議で読み上げるように命じられていた。これも良い経験だから、という青谷からの命令である。
(仕事がんばったら、きっと認められる。そうしたら、そうしたら……)
また思考回路がやましい方向へ向かいそうになり、ぶるぶる! と頭を振る。シャワーを止め、浴室を出る。現在捜査しているのは、凶悪な殺人事件だ。恋する乙女になっている場合じゃない。青谷も言っていた。しっかりしないと、男に舐められると。如月だって男に負けたくなんてなかった。早く一人前になって、見返してやりたいと思った。
が、いつもより入念に長い髪を溶かし、身支度を整える行動は明らかに青谷を意識しており、彼に可愛く見られたい、女の子として見てほしい、扱ってほしい、という願望がどんどん出てしまっていた。
仕事と恋愛の両立は難しい、ということを学ぶことになりそうだ。
朝の十時前。調査の報告のため、中村 哲太殺人事件の捜査メンバーは再び会議室に集まっていた。二回目となる今回は、聞き込みの成果を中心に情報共有することになるだろう。
「なんだか、緊張しますね……」
隣の席に座る如月が、A4サイズのプリントと睨めっこしながら嘆いた。青谷班の成果は彼女の口から報告させることにしたのだ。何事も経験。何事も慣れ、というものだ。
とはいっても、そんな大それたことではない。
喋ることは全て青谷がプリントに書き込んだので、彼女はその通りに喋ればいいだけなのだ。暗記しなければいけない代物でもないし、そう身構えることでもないだろう。
「ま、聞こえる声で喋ってくれればなにも問題はない。こんなこと、学校の発表会みたいなものだぜ」
「は、はい。が、頑張りますっ……⁉」
如月が意気込みを口にする。
やる気があることはいいことだろう。性格も素直だし、正直、若い女の子が班に入ると聞いた時はどうなるものかと思ったが、セクハラ問題以外は特に心配することはなさそうだ。
「「……」」
開始時間である十時まで、まだあと十分ある。捜査メンバーは全員集まっていない。
そのせいで、二人の間に会話が無くなった。
新人と上司。どちらがリードして会話を振らなければいけないのか、というのは明白だ。彼女が今後仕事しやすいように、コミュニケーションをとるのも立派な仕事の一つだろう。
(さて。なにか話題はないか)
青谷は苦しげに逡巡した。
仕事柄、長らくむさくるしい野郎とばかり一緒にいたせいか、なにも思い浮かばなかった。若い女の子と会話なんて、いつ以来だろうか。
如月が好きそうな話題。
若い女の子の興味といえば、なんだろうか?
「如月は、彼氏とかいるのか?」
「え、え?」
如月は顔を赤くして、プリントで顔の半分を隠した。
その反応を見て、変なことを聞いただろうか? と、青谷は首を傾げた。
脳裏に浮かんだのは、ドラマや映画のCMであった。イケメン俳優が出演している女性向けの作品は、恋愛ストーリーが主流であるため、女性の関心事は恋愛だとばかり思っていたのだ。
「……気になるんですか?」
何故か不安げに、如月はそう問いかけた。
「まあ、そうだな」
聞いておいて興味がない、と答えるのはおかしいと思い、そう答えた。
「そう、ですか……いない、ですよ。えへへ」
如月は耳の辺りまで赤くしながら、嬉しそうにそう言った。
そのリアクションを見た青谷は、やっぱり女の子は恋の話が好きなんだな、と考えた。
「――なんでえ、青谷班長もあまり人のこと言えないじゃないかあ。変態、変態」
と、ここで真後ろの席に座っていた茨木がそんなことを言った。
「……なんつーか、天然ッスね。青春ラブコメかなんかッスか?」
中條が若干呆れたような表情を浮かべている。
ちなみに青谷班で独り身なのは、青谷と如月の二人だけとなっている。中條は彼女持ちだ。二個上の事務仕事をしている一般女性で、友人の紹介で一年前に知り合い、結婚も視野に入れているとのこと。茨木に関しては、あんな性格であるにも関わらず既婚者。そして二人の子供を育てている。あんなのを旦那にする女性がいるなんて、世の中はわからないものだ。
「二人共、なにを言っている?」
イマイチ言いたいことがわからない、と青谷が首を傾げる。如月はいまだにプリントで顔半分を隠したままだ。
「――全員、よく聞け! 重要な発表がある!」
と、ここで副署長が慌ただしい様子で会議室に入り、大きな声を上げた。
辺りが静まり返る。
「事件の捜査は、中止だ! 捜査本部は解散とする! 繰り返す、捜査本部は解散だ!」
言うだけ言って、副署長はさっさと会議室を出てしまった。瞬間、会議室がざわついたのは言うまでもないだろう。事件が解決していないのに、捜査から撤退。つまり、犯人を野放しにするということだ。
「な、に……?」
あまりにイレギュラーな事態に、青谷は茫然とした。
「困ったな。何度も言わせないでほしい。捜査は中止。捜査本部は解散。わかったらお引き取り願いたい。私にも自分の仕事がある。君たちのために、いつまでも時間を割くわけにはいかないのだ」
本部の署長室へ押しかけた青谷と丹治はそれでも納得がいかず、厳しい表情を浮かべ、その場に佇んだ。
面会には応じてくれた署長であったが、その圧力は尋常ではなかった。
この件には触れるな。
もう終わった話だ。
眼差しと声音がそう語っている。それでも、二人は退かない。二人は刑事だ。綺麗事かもしれないが、悪を許さない正義の味方なのだ。
人が一人死んでいる。むごい殺され方をしている。
それなのに事件が未可決のまま、捜査本部が解散?
そんなバカな話が、あるはずがない。ありえない。
丹治が重苦しい雰囲気の中、なんとか口を開く。
「署長。せめて、理由を聞かせてください。何故、この事件から引かなければいけないんですか? また、この事件はこれから先、どうなるんですか? まさか、犯人を野放しにするわけじゃないですよね?」
立て続けの質問。しかし署長は口を開かない。次は青谷の番であった。
「我々も命令には従います。ですが、理由も聞かされず、また事件の顛末も知らずに身を引くことは出来ないです。よほどの理由があることはわかります。ですが、そこをなんとかお願いしたいです。ご立場も理解出来ますが、どうか、ご慈悲を」
青谷がそう説得をするも、署長は腕を組み黙りこむばかり。すると丹治は我慢が出来なくなったのか、苛立ちの滲む声で問いかけた。
「もう一つ、疑問があるんですよねえ。昨晩、外務省所属の政治家、泉 聡が首を吊って死んだという話。それについても、調査の介入に制限がかけられている、と聞いております。今回の事件と、なにか関係があるのでしょうかね? 不思議なものですねえ。どうしてそっちの調査にも制限がかかるんですかねえ?」
その言葉に青谷は息を飲んだ。
――いきなりなにを言い出すんだ、丹治警部?
しかし丹治は自信満々に、さらに畳みかけるように言葉を発する。
「中村研究員が殺された、この事件。泉 聡の自殺。一見すると無関係に思える、この二つの出来事は、実は深く関係している――つまり、中村研究員殺人事件の背後には、国が絡んでいるんじゃないですかあ? 政府に圧力をかけられたのか、それとも迂遠な交渉が裏で行われたのか――」
瞬間、署長は拳を力の限り机の上に叩き付けた。
「黙れ! 荒唐無稽な話をするな! 二つの事件はまったく無関係だっ!」
「では、二つの事件が同じタイミングで制限されたのは、全くの偶然だと?」
「当たり前だ! お前らには理解出来ない、深い事情があるんだ。黙って命令に従え、このノンキャリアども!」
あからさまな罵倒。
丹治はわざとらしく肩をすくめた。
もはや万策は尽きた。どれほど揺さぶろうが、意固地になろうが、捜査中止の理由すら二人には告げられない。
真実は、深淵なる闇の中へと葬られるのだ。
「……失礼します」
青谷は頭を下げ、退室する。
「……」
丹治はなにも言わず、無言で退室した。
重苦しい空気のまま、二人は廊下を歩く。無言のまま、エレベーターへ乗りこむ。中には誰もいなかった。
「おい。このまま終わりってこたあ、ねえよな? 出世頭様よお?」
丹治が問う。
「さぞ優秀ならしい、お前のことだ。なにもわかっていないわけじゃねえだろ」
「……ああ。だけど、ここで話せることじゃない。場所を変えよう」
そんな会話を交わし、二人は外へと出た。丹治が「オレの車で話すぞ」と言い、青谷はそれに従った。丹治はこういったことにあまり頓着しないのか、中古で売っていそうなボロい軽自動車に乗っている。運転席に丹治が座り、青谷は助手席に座った。
「特別サービスだ。こっちの情報をお前に渡してやる。その代わり、てめえも包み隠さず知っていることを話すことだな」
丹治は憎まれ口を叩きながらも、協力的に自身の持つ情報を話し出した。
「泉 聡に目をつけた理由はちゃんとある。あの二人には接点があったんだ。大学院時代、中村はとある女教授と仲が良く、気に入られていたそうだ。ほかの生徒から見ても、教師から見てもそれは明らかだったそうだ。そしてその女教授は他でもない、泉 聡の妻であることがわかった。
正直、聞き込みでわかった時はそのことをたいして重要な情報、だとは思わなかったさ。せいぜいが、実はこの二人が不倫関係なんじゃないかって、疑ったりしたくらいだ。実は旦那が殺した犯人なんじゃねえか、っていう可能性な。
だが、どうも自体はそう単純な話じゃないようでな。泉 聡が自殺したという話を聞いた瞬間、その印象は一変した。こいつは偶然がすぎるってな。ちなみに心中じゃねえ。泉 聡の妻は生きていて、ひどく錯乱した様子だった。そこで改めて、泉 聡と中村について問いだした。あるいは、二人になにか接点はなかったのか、ってな。そうしたら彼女はある、って答えた。最初聞き込みされた時は、政治家の旦那に関係することだから、余計なことを喋っちゃいけないと思って伏せたらしい。が、自殺の手掛かりになるかもしれない、ということで話す気になったそうだ。
奥さんは泉 聡に気に入った生徒の話をするのが、日課だったらしい。まあ、妻が旦那にペラペラと無駄な世間話をさえずるのはよくある話だな。それでその話の中に、当然中村が出てきたようでな。
ある日、中村に会ってみたい、と泉 聡が言い出したらしい。妙な話だろう? 当時、中村は大学院を出て研究所に勤めていたが、連絡先を知っていた彼女はその話をきっかけに連絡をとったそうだ。だが、中村と泉 聡が会ってなにを話したのかは知らないらしい。聞いても答えてくれず、適当にはぐらかされたそうだ。どうだ、どうにも胡散臭い話だろう?」
時期的にも同僚の乾が「宗教にハマっていたのでは?」と疑われている時期と合致している。その時期に中村の身になにかあったのは、もはや間違いないだろう。
「中村と泉 聡は、なにかを隠している」
「そういうこった。そしてそれは、この国が隠していることでもある可能性が高い。しかも、だ。決定的なことに、泉 聡はその後他の優秀な研究員に対しても、奥さんを通して面会を頼んだらしい。さあ、いよいよ怪しいぞ、これは」
「つまり……大学院を出た、若くて優秀な研究員を集めていた?」
「なにをしようとしたかは知らねえが、そういうことだろうよ。警察に圧力だが、交渉だが知らないが、捜査本部を解体させたり、捜査を制限したりする辺り、そうとうきな臭いぞ」
「映画みたいな、ファンタジックな話だぜ」
「ああ。まさか、リアルで起こるとはな。で、お前の方はなにを知っている?」
「より映画みたいな話になるが、いいか?」
「ま、今更どんな話が出ても驚きはしねえよ。そもそも、魔術なんて異能がある世界だ。ぶっとんだ話の一つや二つ、あってもおかしくはねえよ」
「……ゴット・ファミリー計画」
「あ???」
いきなり謎な単語を放つ青谷に、丹治は首を傾げる。
「魔術痕を魔法連盟日本支部の連盟長に見せたところ、「原初の魔法使い」または「アダム」と呼ばれる男の物ではないか、という話を聞いた。いわゆる眉唾物の都市伝説だ。まさかと思って、アングラサイトを見てみた。そうしたら、そこには興味深い書き込みがあった」
「ほう?」
「それが「ゴット・ファミリー計画」だ。正直、書き込みは断片的な情報しか書いていないし、内容がイマイチまとまっていない。「我々はこの計画で神を作る」だとか「魔術はこの世界を変える」だとか、そういう感じの書き込みだった。そもそも、匿名のアングラサイトでの書き込みなんて信憑性が薄いが……ここで繋がってくるのが中村の友人、乾の話だ。彼は昔酔った勢いで「この世界には神がいる」「神の家族を作る」という趣旨の話をしたそうなんだ」
「つまり、中村がその計画に加担していると?」
「ああ。推測の域は外れないが、大分この話の筋が見えてきた」
ゴット・ファミリー計画。
アダム。
原初の魔法使い。
被害者――遺伝子の研究者、中村。
外務省所属の政治家、泉 聡の自殺。
そして一連の事件からの、警察の撤退。
丹治は大きく舌打ちをした。
「つまり、だ。まとめると、ゴット・ファミリー計画は国が立案した、魔法使いに関連した計画ってとこかあ? で、アダムってのは、その被験者か重要人物だった。そしてその研究者、あるいはその内の一人が中村だった。泉 聡は中村と接触した辺り、彼を計画に誘った人物のってところか。殺害した犯人は状況から考えると、被験者、つまりはアダムが怪しいな。動機は、実験による恨みってところが妥当だろう。泉 聡の自殺の原因はやましいことが露呈することを恐れたのか、アダムからの報復を恐れて死んでいったのか。まあ、どっちかは今の段階ではわからんな」
青谷はこくりと頷いた。丹治は貧乏ゆすりをした。かなり機嫌が悪そうだ。
「クソがよ。書き込みと都市伝説が当たっているかはともかく、つまり、日本が魔術師を人体実験していただと? 国際問題になるじゃねえか。アメリカが黙ってねえぞ」
「だから、この事件を警察から撤退させたんだろう」
「日本政府はこのことを隠したいんだろうな。はっ、なにが魔法連盟だ。魔法使いが幸せに暮らせる世界だ。口だけは立派なことを言いやがって」
「……なあ。泉 聡ってどういう政治家なんだ?」
「ああ? 知らねえのかよ。少しは世間の動きを勉強しろ、バカが」
「名前ぐらいは聞いたことあるんだが」
「外務省所属の政治家で、魔法連盟の加入や魔術関連の法案の立案、改正を積極的に唱え、活動してきた人物だ。日本が魔法使いの保護にここまで積極的、かつ整備が行き届いているのは、こいつによる功績が大きいと言われている。アメリカ政府からの評価も高く、ゼータ・クラーク元・大統領からも絶賛されていたそうだ。ま、表向きは立派な奴というか、ちょっとした英雄だな。だが、規制でもかけられているのか、自殺してもあまり報道されてねえ。一体どうなってやがる、この国は。狂っているのか!」
「魔術師の人体実験は海外では確認されている。日本でも行われていなかった、なんてことは言いきれない」
「そしてその背後に国の陰謀が隠れていると? はっ、マジもんの映画じゃねえか」
「オレだって信じられない。だけど、そうじゃないとこの状況の説明がつかない」
「だが、解せねえな。書き込みが残っているのは、まあ無尽蔵なネットの世界だから難を流れた、ってことかもしれねえが。なんだって、わざわざそんなところへ国の重要な計画の名前を書くんだ?」
「わからない。だけど、オレにはあれが荒唐無稽な書き込みだとは、どうしても思えない。遡ってログの日付を見た。驚くぞ。最初の書き込みは、二十一年前の書き込みだった。そしてその書き込みは「魔術師はこの世界にいる」だった」
「……なに?」
魔術師がこの世界に現れたのは、二十年前だ。
つまり、一年ほどのズレがある。
「そのアングラサイトは、魔術師が世間に認知される前に作られたものってことか」
「ああ」
「それなのに、その時点で魔術があるかのような書き込みをし、そして都市伝説「アダム」の名前が出ている?」
「そういうことになる。あとでログ見せるけど、ただのアングラサイトだとは考えづらい。なにか意味がありそうなんだ」
「ま、いずれにしても国がなにかやっているのは間違いねえ。この事件、魔法使いの人体実験が背景にある確率は極めて高いだろうよ」
もちろん、ただの中二病なサイトの可能性もゼロじゃない。しかしそのサイトの最初の方の書き込みは、いくらなんでも電波すぎる内容であった。「魔術師はこの世界にいる」「ゴット・ファミリー計画」「新たなアダムは、この世界に降りた」。何者かが書きなぐりしているような、そんな文体である。
そして途中から人が賑わい、いつしか様々な魔術師の噂話が流れて行った。
あの日本支部の連盟長が見たのは、そこからだろう。そして原初の魔法使い、アダムの話だけは噂として流れていったのだ。
「これが正式な調査なら、アングラサイトの管理人と書き込みした人間の特定が出来るんだけど……非正式じゃ、個人情報の開示が出来ない」
青谷はそう嘆いて、顔をしかめた。
「いや、充分だろ。ここまでわかりゃ上出来だ。たまには役に立つものだな、出世頭様。だが、もう用済みだ。車から降りな」
「協力するんじゃないのか?」
「誰がてめえなんかと協力するか。おい、勘違いするなよ。今てめえの話を聞き出したのは、他でもなく自分自身のためだ。そしてそのために、こっちの情報も渡してやった。それだけの話だ」
「そうか。わかった」
特に反論するつもりもない。青谷はあっさりと車を降りた。
もはやこの一件、非公式の調査だから手柄の取り合いはない。が、結局、二人は仲間になることはないのだ。あとは二人が自分で納得するところまで、この件に首を突っ込むだけ。その顛末がどうなるのか、今は想像がつかないが、青谷はとにかくこの一件の真実が知りたい。正義がどこにあるのか、問いただしたい。ただ、それだけであった。
青谷が自分の車の所へと向かう。すると車の前には見知った女性が一人佇んでいた。
「青谷班長!」
如月であった。とっくに捜査本部の方へ戻っているかと思ったが、わざわざ待っていたようである。
「どうした?」
「え、えっと……その、丹治警部にここへ来るように言われたんです!」
「なに?」
妙な話であった。中條でも茨木でもなく、丹治が如月をここへ呼び出した?
「なんでだ?」
「青谷警部補が単独で調査を開始するだろうから、協力するように、とのことです」
「……」
余計なことを、と内心で毒づく。協力しないとか言っておきながら、戦力として数えてはいるのだ。しかしよりにもよって、何故如月を選ぶのか。気を利かせたというよりは、半分は嫌がらせのような気がした。
しかし人手があるに越したことがないのは事実。せっかく来てもらったのだから、ついでに彼女も巻き込むことにした。
もちろん、捜査の内容が内容だけに、どこかで手を引かせるつもりだ。
「わかった。車に乗ってくれ」
「はいっ!」
ドアの鍵を開けてやると、如月が助手席へと座る。運転席へは青谷が座った。
「一つ、聞きたいことがある」
青谷が車を走らせる前に、如月へそう問いかけた。
「なんでしょう?」
「昨日、異能が使えると言っていたな。上が評価したのは、そっちの能力だとも。具体的にはどういう能力なんだ?」
「……」
言いづらいのか、如月が少し困った表情を浮かべた。
「話したくないのなら、話さなくてもいい」
「いえ。話します。それにちゃんと調べれば、どうせわかってしまうことなので。私の能力は――嘘を見破ることです」
「……なに?」
青谷がぎょっとした。というか、思わぬ産物だ。
なんて凡庸性のある良い能力なのだろうか。
「中学へ上がるくらいに、突然この能力に目覚めまして……背中に小さなソーサリー・タトゥーがあって、それが常に小さく光っているんです。なので、私は常に嘘を見破れちゃう、とても面倒な体質なんです」
「常に発動しているのか」
「はい。なので、その……とても、生活がしづらくなりました。人ってこんなにも、嘘つきばかりなんだと。失望しちゃいました」
如月が寂しげな笑みを浮かべる。たしかにそれは青谷自身にも覚えがあった。さすがに人に迷惑をかけるような、ましてや犯罪の類ではないにしても、人は誰でもある程度の嘘はつく。それをはっきりと視認出来てしまったら、かなりのストレスになるというものだろう。
「だけど、この能力があるということは、私は警察に向いているんじゃないかなって考えるようになったんです。真実を明かす仕事だったら、辛いことばかりのこの能力も、役に立つんじゃないかって」
なるほど、と青谷が頷いた。たしかにかなり色々なことに使えそうな能力である。警察官になる、というのもその内の一つだったのだろう。
「ちょうどいい。これから頼む捜査にも、その能力は使えるかもしれない」
「えっと。なにをすればいいんですか?」
「俺と一緒に聞き込みだ。魔術師を片っ端から当たる。まずは赤い魔力を持つ魔術師と、近隣の魔術師からだ」
如月が少しだけ考え込み、口を開いた。
「手分けしてやりませんか? 私、免許は持っているので、レンタカー借りて聞き込みします」
「一人で出来るか?」
「ううっ……や、やります! 手分けした方が、効率が良いのでっ!」
「たしかに。でも、聞き込みがしやすそうなのをそっちに手渡す。学生とか女性にしよう」
「わかりました。頑張ります!」
「それで。聞き込みの内容なんだが……聞いて驚くなよ?」
「はい」
「ゴット・ファミリー計画。これに聞き覚えがあるかどうか、聞いてほしい」
「はい! ……はい?」
突如出てきた不思議な単語に、如月は首を傾げた。
聞き込みは困難を極めた。近隣の赤い魔術師。それが終わったら別の魔術師から当たっていっているのだが、計画について知っていそうな人間は一人としていなかった。ちなみに日本支部連盟長、武田 勝にも当たってみたが、書き込みで見たような気がするが、詳細まではわからない、とのことであった。立場によっては知っていたとしてもバカ正直に話さないこともあろうが、その辺りは上手く見定めるなりして、なんとか手掛かりに繋げるしかない。如月に関しては嘘を見破れるので、より確実だろう。
日が落ち始め、夕方になる。もうこのくらいで切り上げよう、と青谷は近くのコンビニで車を止め、如月へ電話をかけようと携帯を取り出した。こんな実りのない捜査に協力してくれたのだ。なにか飯でもおごってやろうかと思ったが、丹治の言葉が横切る。二人で飯を食べに行くなど、ナンパと言われても仕方がない。
(やれやれ。恋人、か)
警察官としての多忙な日々、そして成長のために必要な鍛錬、勉強。恋愛をする時間なんて、全くといっていいほどない。
もちろん、二十代後半という年齢が年齢だけに、そういったことが脳裏に全く横切らないということはない。
野球部の後輩や同年齢の者は彼女がいるどころか、結婚して子供もいる者がいるし、街を歩けば自分と同じくらいか、年下の男の子がとても可愛い女の子を連れて歩いている。そういうのを見かけると「このままでいいのか?」という不安に駆られないこともない。しかしそんなことを考えている間にも、毎日山積みの仕事があり、空いた時間があったとしても、読書やランニングをしてしまうストイックな――悪い言い方をするとつまらない男、なのかもしれない――性分なので、いつまで経っても恋愛とは無縁な人生であった。
「オレが変な奴なのは、自分でわかっているが……」
この年齢で童貞というのは、世間一般的に変わり者として扱われていることはわかっていた。
ちなみに彼、初恋もまだである。ゲイというわけでも、特殊な性癖があるわけでもない。男なのでセックスにもちゃんと興味はあるし、性欲だってある。ただ単純に、昔から恋愛を後回しにしてしまうという、そういった性分なのだ。学生時代は野球少年で、己の時間の全てを練習や体の鍛錬に費やす――なんていう、珍しいタイプの男の子であった。そしてそれが今でも続いてしまっている。野球が仕事にすり替わっただけだ。
「如月はああいう見た目だし、性格も素直でよさそうだし、俺より進んでいるだろうな……はあ。やれやれ、だ」
青谷はがっくりと肩を落とした。
これだから、この手の話は嫌なのだ。
やっぱり、こういうことを考えるのは止めよう――と、侘しいことを考えていると、携帯電話が鳴った。噂をすれば影、如月である。
「おう。今、ちょうどかけようと思って――」
「あああ、青谷さん! わかりました、一人見つけましたよ!」
「そうか。とりあえず、落ち着け」
「は、はいっ!」
「まずは深呼吸だ、深呼吸」
「すー、はー……そそそ、それでですね⁉」
「変わってないぜ」
なにか確信を掴めて興奮するのはわかるが、そういう時だからこそ冷静になるべきである。
しかしそんな願いは届かず、如月はまくしたてるように成果を口にした。
「リストの中に、一人だけ嘘をついた人がいるんです! 「ゴット・ファミリー計画」について、なにか知っていそうな人間がいます!」
青谷の予想では、時系列的に四十代以上の人間だと考えている。彼女へ渡したリストの中にも、その年代の者がいた。
だが、彼女が口にしたのはそれとはまったく違う、若い年齢の者であった。
「嘘をついたのは、十七歳の少年魔術師――赤崎 世斗です!」




