赤崎サイド エピソード2
――いやー、本当ごめんなんだけど。ウチのバイトの子が急に来られなくなったから、放課後にどっちか店に来てくれる?
昼休みのチャイムが鳴り、さて食堂へ行こうかというタイミングで、れなからチャットアプリのメッセージを受信した。
「あー……マジか」
赤崎はさて困ったぞ、と顔をしかめる。
放課後は森咲との約束があるのだ。幸い、一人いれば大丈夫そうなので、るるわに頼むしかないだろう。
隣のクラスにいけばいるが、会いに行くのはなんとなく、嫌がられそうだ。といって、どっちが出勤するかは早めに決めた方がいいだろう。赤崎は迷った末、電話をかけることにした。呼び出し音の後、すぐに応答が来た。
「はい」
「ごめん、るるわ。ちょっといい?」
「お店のことですか?」
「ああ、うん。そのことなんだけど。ちょっと放課後用事があって、今回はいけそうにないんだ」
るるわが電話越しにため息をついた。
「またデートですか」
「だから何故に呆れるの⁉」
「否定しないってことは、当たっているんですね」
「……まあ、相手は女の子、だけど」
「つまり、「俺は女と遊ぶから、お前は働け」と。そういうことですね。ひどい兄です」
「言い方⁉ いや別に、嫌なら俺が行くぞ?」
「いえ、大丈夫です。私が行きます。今日は暇なので」
「あ、そうなの。なら、よかった」
「……どうせ私は世斗さんと違って、非リア充なので。しくしく」
「なに拗ねてるの⁉ そしてそんな悲しいこと言わないで!」
「だから思う存分、女遊びしてください」
「女遊びじゃないよ⁉ 誤解招く言い方しないで!」
「それと」
「それと?」
まだなにかいじりネタがあるのだろうか、と身構える。
「ごはん、作って待っていますので。今日はちゃんと、早く帰ってきてくださいね」
目の前にるるわがいないが、前髪をわしゃわしゃといじっているのが想像出来た。
「うん。約束だ」
電話を切る。
騒がしい昼休みの教室。
るるわは廊下側の一番後ろの席に座っていた。隣のクラスなのに会いに来なかったのは、本人なりに気を使っているのだろう、とわかった。クラスメイトの前で兄と話すのは、どうにも気恥ずかしいのだ。
「……はあ」
るるわは重い、重いため息をついた。
赤崎にガールフレンドが出来たことは、知っていた。隣のクラスの女の子と一緒にいたところを、何度か見たことがあるのだ。正直、最初の頃は驚いた。アイドルみたいに可愛い女の子であったのだ。知っている人ではないが、ぱっと見は明るそうで良い人そうでもあった。
(付き合ったり、とか。そういうこと、する……?)
そういう間柄なのかはわからないが、二人きりで帰る辺り、結構良い雰囲気であるように見える。もちろん、すぐそういう話に繋げてはいけないことは、わかっているが……。
どうしても、そういうことを意識せざるをえなかった。
(どうしても。嫌って、焼き餅する)
今でこそ、るるわは赤崎に対して敬語になり、少し距離を置いた接し方をするようになったが、昔はそうではなかった。いや、むしろそうなったのは最近のことなのだ。
きっかけは中学三年へ上がったばかりの時。四月の出来事であった。受験の二文字がちらつきはじめ、部活動も最後の年となる時期。
るるわと赤崎の二人は、付き合っていた。
恋人同士だったのだ。
もちろん、公表はしていなかった。血が半分繋がっている二人がそういう関係になることの異端さも、自覚していた。結婚も出来ないし、子供も作れない。世間に公表すれば、気持ち悪がられるだろう。
だけどそうだとわかっていても、二人は思いを止めることは出来なかった。そうして思いを確かめ合って、付き合っていく内に――たった三か月あまりで、限界を感じたのであった。
お互いを好きになればなるほど、血の繋がりが大きな壁となって立ち塞がったのだ。
二人の関係はどこまで行っても、堂々と公表することが許されない。それは大人になっても同じ。将来があまりにもないのだ。
だから二人はやがて「兄妹」に戻ることにした。
るるわが赤崎に対して敬語を使い、呼び捨てではなく「世斗さん」と呼ぶようになったのもそこからだ。二人はそうして意図的に距離を置くことで、かつての想いを振り切り、兄妹の関係に戻った。
また、二人はその過去をもちろん公表はしないものの、なかったことにはしたくない、とも考えていた。だから赤崎は付き合っていた人がいた、と口にしている。さすがに具体的に誰とは言わないが、そうすることによって、あの時のことを思い出として残しているのだ。しかも彼は森咲のような気になる女の子を前にしても「本気の恋だった」なんて言ってしまう。
彼は彼で、未練があるのは明らかである。
(むむむ。気にしたら、ダメ。世斗さんは、世斗さん)
るるわは己の頬をぱしぱし、と両手で軽く叩いた。
未練たらしく、彼の交友関係が気になってしょうがない。
もうとっくに、そんな権限がないというのに。
新規のオープン店、というだけあって店内は混み合っていた。受付まで十分ほど待ち、サイドメニューとドリンクを頼んだ赤崎と森咲は二階へと上がっていく。
「おおー。大盛況、大盛況。みんな新しい物好きだねー」
席がほとんど埋まっている二階を見て、森咲は声を上げる。
窓際の席がちょうど二つ空いていたので、二人はそこに座った。窓の外には一本道が見下ろせ、人々が行き交うのが見える。
「そういえば、俺が言ったドラマ見た?」
昨日森咲に勧めたドラマは、実は好きな小説が原作である。なので気に入ってくれれば嬉しいものであったが、残念ながら森咲は「んー」とコーラをストローで飲みながら首を傾げた。
「赤崎って、ああいうミステリーものが好きなの?」
「まあ、そうだね。小説はミステリーが多いよ」
「読書好きなんだ。初めて知った」
「今初めて言ったからね」
「もしかして、小説が原作なの?」
「そう、そう」
「んー。でも、わたしには合わなかったかな」
「それは残念」
合う合わないは当然あるため、こればかりは仕方がない。赤崎は頼んだオニオンリングを一つ口にした。上げたてで外はカリカリで、中は玉ねぎのシャキシャキ感がある。食べていてとても心地いい。味も美味しいし、止みつきになりそうだ。
「わたし、変なんだよね」
「え? どうした、いきなり」
森咲が頬杖をついて、憂鬱そうに窓の外を眺める。
「昔から、好奇心があるわりには、飽きっぽい性格だし。ドラマとか小説も、今回みたいに集中力が持たなくて、すぐリタイアしちゃうんだよね。だから作品が合わないっていうよりは、私の集中力の問題なのかも」
「ああ、そうなんだ」
「うん。それとね、他の女の子となーんかズレを感じるの」
「なに、それ。どういうこと?」
赤崎は首を傾げる。
むしろ森咲は典型的な普通の女の子、といったように見える。特に浮世離れしたこともないし、変わった趣味や嗜好もない。常人が思い浮かぶ女子高校生、といった具合である。それなのに「他の女の子と違う」とはどういうことなのか。
「自分が特別とか、そういう意味じゃなくて。普通の人なら当たり前にすることが、わたしには出来ないの」
「そうは見えないけど。普通の明るい女の子に見えるぞ」
「明るい女の子、かあ。えへへ。ありがとー」
「で、例えば、どんなことが出来ないんだ?」
「恋」
「え?」
「恋が出来ないの、わたし。多分」
「なんだよ、多分って」
「ほら、この間好きな人がいないのかって聞いたでしょ? わたしね、本当にいないの。まともな恋をしたことがないの」
「それって、初恋とか、憧れの有名人とか。そういうのもないってこと?」
「初恋……気になる男の子って奴でしょ? 小学生の頃、それはあったよ。でもね、そこまでだった。それ以降は一つも、恋をしなくなったの」
「ふーん……まあ、でも、そういう人もいるんじゃない?」
皆が皆、当たり前のように恋をするわけではない。
大人になってからする者だって、大勢いる。
だけど森咲は、首を横に振った。
「なんでだろ? って考えるとね。一応、心当たりみたいなのがあって」
「……それって?」
「小学校の頃、変質者に遭ったことがあってね」
「マジか」
思ったよりも重い話になりそうで、赤崎はオニオンリングへ向けて伸ばした右手を一旦止めた。それに気になっている女の子が、真剣に自分の過去の話をしているのだ。一語一句漏らさず聞いて、受け止めたいと思った。
「あ」
と、森咲が窓の外へ突然、視線をやった。
「なに?」
「外、結構強い風吹いて、あの子のパンツ見えそう」
「うん。いきなり話逸れたね」
「あ、ピンク色。可愛い」
「どうでもいいから! 男子か、お前は!」
たしかに変わっている奴かもしれない、と赤崎は呆れたように肩を落とした。身構えて話を聞こうとしたこっちがバカみたいだ。
「ええー。違うよ。同じ女子として、気になったってことだけど?」
「それを言ったら森咲もスカート短いから、気をつけてね。今日風強いし」
「ふふん。とか言いながら、期待しているでしょー?」
「してないって。俺はパンチラ程度ではしゃがないよ」
「それでね、さっきの話の続きなんだけど」
「うん。パンツの話から変質者の話へいきなり戻るね」
話題が飛び飛びなのは、森咲の特徴だ。というか基本的に、彼女はよく喋る。それも自分からやたらと話をしたがるタイプなので、どちらかというと相手は聞き上手であることが求められる。赤崎はどちらかというと聞き上手というか、相手が喋ってくれると気が楽なタイプだ。
「まだ小学四年生の頃、朝の通学路でね。学校の近くだったんだけど。知らないおじさんが突然、チャックを降ろしてわたしを追いかけてきたの。もうね、丸出しだったよ、丸出し。最初、芋虫がズボンの間からぶら下がっているのかと思った」
「……マジか」
「マジだよ。走って逃げて、校門の近くになったら、おじさんはいなくなったんだけどね」
「怖すぎるね」
「うん。先生が最近学校の付近で不審者が現れているから気をつけるように、ってしばらく集団下校になったんだけど。でね、そこからだったの。わたしっていう人間が百八十度変わっちゃったのって」
「男が嫌いになった、とか?」
「嫌いってわけでもないし、怖いっていうのもないんだけど。でもね、それ以降、気になる男の子とか、誰かをかっこいいとか、そういう胸キュンみたいなのが無くなっていってね。それまでは人並みにそういうのはあったんだけど、もう今はさっぱり。友達がイケメンの話とかしても、うーん、って感じなの。話は合わせるけどね。
飽きっぽい性格になったのも、そこからだった。水泳とピアノの二つの習い事をずっと続けられていたんだけど、その出来事以来、習い事が面倒になっちゃってね。結局、どっちも辞めちゃった。
なんだかあの日以来、それまでのわたしっていう人格が死んで、生まれ変わらされたような。そんな気がするの」
「……」
なんて言ったらいいのかわからず、赤崎は口を開けなくなった。
飽きっぽい性格も、恋が出来ないことも、なにもおかしいことではないし、変わっていることではない。
そんな人は世の中にいくらでもいるし、どちらも悪いことではないだろう。
だけど、それが過去の怖い出来事――それも、子供の頃に体験したトラウマが原因だというのならば、話は変わってくる。
それではまるで、森咲が過去を乗り越えられていないような、そんな気がしてしまうからだ。その時に植え付けられた恐怖が、今も心の中に渦巻いている。きっと本人は、そう錯覚してしまうのだ。
「ねえねえ、オニオンリング美味しい?」
森咲が赤崎の手元にあるオニオンリングに目を向ける。
人の食べている物に、なにかと目を光らせるのも、彼女の特徴だ。
「森咲のフライドポテトと交換ね」
「えー、まだちょうだいって言ってないよ?」
「じゃあ、いらないの?」
「食べたいー」
「それなら、やっぱり交換だね」
赤崎はそう言って、森咲のフライドポテト一つつまんで口に運んだ。ホクホクのポテトが心地よい食感と味を広げてくれる。
「あ、でも」
森咲が赤崎の横顔を見ながら、思い出したようにこう告げた。
「赤崎と一緒にいるのは、飽きないよ?」
「なっ⁉ ぶ、ごほっ、ごほっ⁉」
「わ、大丈夫?」
唐突な言葉と森咲の愛らしい笑顔に、赤崎は思わずむせてしまった。
気になっているクラスメイトの女の子からそんなこと言われた、嬉しいし、恥ずかしいに決まっているのだから。
夕方の五時過ぎ。帰りの駅のホームで電車を待っていると、電話が鳴った。
「あれ、れなさんか」
携帯に表示された名前を見て、思わず独り言を漏らす。
なにかあったのだろうか、と思い電話に応答した。
「はい」
「もしもしー。今、どこにいる?」
「えっと、駅のホームだけど」
「そっか。まあ、今話さないといけないわけじゃないんだけど、ちょっと家じゃ話しづらいことでさ」
「それで電話を?」
「そういうことだねえ」
結構深刻な話なのだろうか、と赤崎は考えた。
こんなこと、そうあることではない。
「るるわに聞かれたくないってことなの?」
「ま、端的に言えばそうなるねえ」
「なんかあったの?」
ケンカしたとか、そういうのだろうかと想像を巡らせる。昨日はなんともなかったように思えるが、実際はそうではないのかもしれない。
「いや、そうじゃないんんだけど。なんていうか、るるわの様子がおかしい気がするっていうか」
「え。そ、そうなの?」
「んー。まあ、母親の勘なんだけどねー」
「具体的にはなにが変なの?」
「よくわかんない」
「いい加減な⁉」
随分とざっくばらんな「様子がおかしい」である。母親の勘ならば、もっと具体的に言ってほしいものなのだが。
「もう思春期だからかねえ。ちょっとあの子のこと、わからなくなってきたかも」
「本当に、なにがあったの?」
「なにがあったわけではないんだけど、なんて言えばいいんだろうねえ……なにか言いたいことがあるのに、切り出せないような。そんなものを、あの子はなにか抱えているような気がするの」
「はあ……そうなの」
話が抽象的すぎて、どうすればいいのかさっぱりわからない。
「まあ、だから。なんだ。るるわのこと、少し、気にしてやってくれない?」
「元から、気にしているよ。大切な妹だから」
「お、言うねえ。それじゃあ、頼んだよ」
「うん。よくわからないけど、わかった。じゃあね」
「おう。じゃあねー」
そう言って、二人は電話を切った。
「……今更だけど。れなさんって、俺達のこと、気づいてなかったのかな」
ふと、赤崎はそんなことを思ったのであった。
部屋に戻ると、食欲をそそる良い香りが鼻腔を刺激した。自室に荷物を置き、手洗いうがいを済ました後、リビングへと向かう。縦長のテーブルの上には夕食がすでに並べられていた。肉じゃが、ほうれん草のおひたし、わかめスープ、白いごはんだ。ちょうど終わったところなのか、るるわがエプロンを外していた。
「バイトも夕食作りもこなしました。偉いでしょ」
唐突にるるわがそう自慢をしてきたので、赤崎は「ありがとうございます」と大げさに頭を下げて労った。
るるわは「えっへん」などと可愛らしく言って、腰に両手を当てる。
「……明日は夕方以降にシフトがあるから、憂鬱です」
るるわはため息をつく。
「そうなのか?」
「元々入れていた分です」
「明日は俺も学校終わりに行かないといけないしね。お店、どうだった? 忙しい?」
「結構、忙しいです。お母さん、今日は帰り遅くなるって」
「そうなんだ」
れなのお店は中々に繁盛している。顔見知りの常連もいるくらいで、近所との繋がりも深い。れな曰く閉店しようと思うくらいダメだった時があったそうなのだが、その時は常連さんに助けられたらしい。
「まあでも、忙しいのはいいことだよね。お店、もう少し手伝ってみるかな」
赤崎がそんなことを言うと、るるわがふっと笑みを浮かべた。
「それでは、鬼のようにシフト増やすよう言っておきます」
「それは嫌だよ⁉ 勘弁して!」
「週に七回くらいって伝えておきます」
「全部じゃん⁉ そんな学生いないよ!」
「でも、高校時代だけで百万以上稼ぐ人もいるらしいですよ?」
「……それはシンプルにすごいね」
「親孝行のために、たくさん寄付してあげてくださいね」
「事実上無給料になるよ⁉ たしかにお世話にはなっているけど!」
そんなやり取りを交わした後、二人は席についた。いつも通りの日常、いつも通りの光景だ。なにも変わりがない。
「「いただきます」」
二人は同時に夕食をとりはじめる。ふとれなの話を思い出したが、やはりるるわに変わった様子は見られない。
(まあ、気のせいだよね)
なにかあったとしても、悩みがない人間なんていないのだから、ある程度は仕方のないことだ。解決できない問題でないのなら、そんなに心配をすることはないような気がした。
(それに昔から、るるわは強い女の子だったよ)
思い起こされるのは、十年以上前の話だ。
赤崎は嘘や建前といった、自身を誤魔化すような行動は昔から大の苦手であった。
良く言えば裏表のない性質。
悪く言えば、正直者という名の愚者でもあった。
嘘はバレるもの。嘘は良くないもの。
正論はこうだろう。しかしだからといって、何事も正直に話せばいいというわけではない。隠さなくてはいけないものは、隠さなくてはいけない。それが人間という生き物であるし、賢く生きるとはそういうことなのだ。
それらは個人差あれ、誰でも当たり前にやっていることである。故にこういったことが苦手な人間は大抵、手酷い目に遭う。
幼い頃からすぐに魔法が使えるようになった赤崎は、れなから「魔法のことは隠すように」言われていた。当時は今と違い、まだ魔法が現れたばかりで、差別的な思想の人間も多くいた。だけど当時の赤崎は、自分の力を隠すことに強い抵抗を感じた。幼稚園に入った最初の一年は言う通りにしたが、それもそこまでだった。だから魔力を込めて、あえてソーサリー・タトゥーを人に見せた。
そうして赤崎が魔法使いであることが知れ渡った結果……彼は、避けられるようになった。園児達もそうだが、幼稚園の教員までもが、彼を得たいのしれない生き物であるかのように、遠ざけるようになったのだ。
むしろどちらかというと、過剰に反応したのは大人であった。園児達も親に言い聞かされて、赤崎を避ける――そういったところだ。
それだけなら、まだよかった。
問題なのは、その対象がるるわにまで及んだことであった。
彼女は魔法を使えないが、義理とはいえ兄妹というだけで、避けられるようになったのだ。
だから赤崎は誤った。るるわは泣きながら、首を横に振った。
「大丈夫。おにいちゃんは、間違ってないから」
まだおにいちゃんと呼んでくれていた時の彼女は、そう言って、赤崎のやったことを肯定してくれたのだ。
義理の兄のせいで、理不尽な目に遭ったというのに、彼女は彼を少しも責めなかったのだ。彼女はそういう強さと、優しさをもっている女の子である。
れなは幼稚園にいづらくなった二人を見て、退園させた。
小学校も当時の園児がいない所を選んでくれた。
それらの出来事が、二人にどれだけの迷惑をかけたのか。幼いながらも、赤崎はそのことを極めて強く痛感した。
だから彼は、嘘や建前が必要なことを学んだ。
今でも、そういうことが苦手だ。彼は良い意味でも悪い意味でも、裏表を作るのが嫌なタイプなのだ。
だけど必要なことは、見極めないといけない。
そんな当たり前のことを、この時に学んだのである。
夜の十一時。お風呂上りで寝間着に着替えた森咲は、自室のベットの上で寝転がりながら、携帯でダラダラと動画を視聴していた。
検証動画、実験動画、ドッキリ動画、カップル動画、ルーティン動画など、内容は手当たり次第だった。どれも趣向をこらした作品ばかりであったが、森咲の心を強く動かすものではない。ただなんとなく、惰性的に時間を潰しているだけである。
「んー。暇だよお」
だからつい、そんな独り言をこぼしてしまう。
我ながら非生産的なことをしている、という自覚はある。人生には限りがあり、いつまでも若い十代ではいられない。いつかは年を取るものだ。そして学生でいられるのは、とても短い間だけと決まっている。それなのに、自分はなにをしているのだろうか? こんなことでいいのだろうか?
クラスメイトの友達の中には、将来の夢や目標に向けて頑張っている人がいる。バイトや部活を頑張る、といった身近なものから、モデルや声優になりたい、なんて大きな目標まで十人十色だ。
それに対して、森咲という人間にはなにも目標や夢、やりたいことが見つからなかった。何者にもなれない、無色透明。虚無な感受性を持った人形。彼女はそんな自身に嫌気がさしていた。
趣味もなにもなく、ドラマやゲームにはすぐ飽きてしまう。彼女にとって二十四時間とは、退屈の塊であった。
「赤崎、引いてなかったかな……?」
自分の過去話を彼は真摯に聞いてくれていた。露出狂に遭った話をしたのは、彼が初めてである。
赤崎 世斗。
最初見た時から、何故か、気になってしょうがない男の子であった。
ちょっと変わった境遇の家庭事情。見た目は普通の男子。背丈は平均的、顔も平均的と言えるだろう。性格も人並みに明るく、スポーツも平均的にこなせる。まさに一般人、と呼ぶにふさわしい子だ。
それなのに、どうしても気になる。
どういうわけか、森咲には、彼が凄まじく深い「何か」を持っているような、そんな気がしていたのだ。
外見が普通なのに、中身に特別さを隠しているような、そんな気がした。
根拠なんてない。
彼女がより彼に惹かれたのは、とある不思議な出来事からであった。
それは高校へ上がってから、一週間の時である。その時期はまだ入学したてということもあって、まだクラス内でコミュニティが出来上がっていなかった。名前と顔が一致していないこともある。
放課後の帰り道。学校から最寄りの駅へと向かう途中だ。ちょうど前の方を赤崎が歩いていた。
奇怪なことは、その時に起きた。
彼の背中に、まるで背後霊のように女性が浮いていたのである。
それはほんの一瞬であった。瞬きの間に女性の姿は消える。森咲は当然驚いたが、それよりも彼への興味が一層強くなったことの方に、感動を覚えた。目の錯覚だったかもしれない。自分がおかしいだけなのかもしれない。そうだとしても、森咲はこの瞬間に、赤崎へ惹かれていったのだ。
「ねえ! 同じクラスの赤崎くんだよね!」
だからこの時、大きな声を上げて彼を呼び止めた。
大して面識もないのに、いきなり声をかけられて赤崎はびっくりした。森咲は彼にちょっと変な女の子と思われていたんじゃないか、と不安に苛まれたが、結果として二人はこの出来事をきっかけに仲良くなっていった。
「これが恋……なんて、わけないよねえ」
赤崎に抱く感情の名前に、恋という言葉はしっくりと来ない。だけど、じゃあなんなのか、と問われると答えに窮した。
「メッセージ送ってみよ」
ちょっと夜遅いが、「今日は変な話聞かせちゃって、ごめんね」と送ってみた。すると赤崎も時間が空いていたのか、返事はすぐに来た。「変じゃないよ。何故に謝る?」と送られている。
「んー、なんとなく。楽しい話でもないし」
「でも、別に嫌じゃなかったよ」
「そっか。なら、よかった」
なんて、やり取りをした。
やはり彼だけは、どこか特別である。
こんなにも自分から話しかけにいったことはない。
「やっぱり、恋だったりして」
独り言をこぼしつつ、再び動画サイトを開く。
恋愛についての動画とかあるかな、なんて、柄にもないことを思ったのであった。
深夜の一時。なんとなく寝付けなくて、赤崎はリビングにある冷蔵庫へと向かった。するとテーブルには一人で晩酌をするれなの姿があった。テレビを点け、スーツ姿のままだ。テーブルの上には二つのビール缶が置いてあり、内一個が開けられている。
「珍しいですね。こんな時間に一人で飲んでいるのなんて」
あまり見たことがない光景に、赤崎は素直な感想を口にする。れなは酒に強いらしいが、自宅ではあまり飲まないタイプだ。
「ま、たまには良いかなーって」
「疲れているのかな?」
「別に、そういうわけでもないってーの。気分だよ、気分」
「なら、良かったよ。よくやけ酒とか言うしね」
「飲んでみる?」
「え?」
「ビール。そろそろ興味出る年頃でしょ?」
れながもう一つの缶を開けて、差し出してくる。
「い、良いの? 未成年だけど」
「相変わらず真面目ねえ」
「いや、これに関しては一般論なんだけど……」
「別に、こいつを丸々飲み干せって言っているわけじゃなんだからさ。一口だよ、一口。少しくらいなら、構わないでしょ?」
典型的ともいえるダメな誘い方の気もしたが、赤崎だって男の子だ。こういう誘いを受けると、つい好奇心を刺激されてしまう。
「じゃ、じゃあ一口だけ……」
「おうおう、いったれいったれ」
「あなた俺の保護者だよね?」
「多少のルール違反も、青春の一つだよ。色男」
緊張した面持ちでビール缶を手に取り、恐る恐る一口含む。瞬間、感じたのは違和感であった。独特の苦みが舌を刺激し、あれ? 思っていたのと違くね? というのが、率直な感想であった。
「どうよ?」
「……あんまり、美味しくない」
「あはは。まだ子供だね~」
「ぐぐ。なんか、悔しい」
赤崎はもう一口飲んでみたが、やはり印象は変わらない。美味しくない。ただ苦いだけの液体、というのが正直な感想であった。
「ちなみにそれ、ノンアルコールだから」
「あ、あれ? そうなの?」
改めて缶を見る。たしかにそこには「ノンアルコール」の記述があった。なんだかガッカリである。
「なんだよ、それじゃあお酒じゃないじゃん……」
「あはは。でも、良い予行練習になったでしょ?」
「う、うーん……まあ、そうかな。ていうか、なんでノンアルコール飲んでいたの?」
「あのね。明日も仕事なんだから、下手にアルコールいれられないでしょ」
「あ、そっか」
「気分だけ味わっていたの、気分だけね。まあ、明日仕事でもお酒飲む人なんて、ザラだけどねー」
れなさんはそう言って、缶ビールを飲んでいく。赤崎は手元のビールをテーブルの上に置いた。元々水を飲みに来たし、良い水分補給にはなった。
「れなさん、おやすみ」
「ん。おやすみ~」
挨拶を交わして、赤崎は自室へと戻る。
いつも通りの一日が、こうして終わっていった。




