恐れながら、人違いかと
鏡にうつるのは銀髪の可愛らしい少女。
貴族令嬢として手入れされた髪と肌。
大きな青い瞳は不思議な魅力を宿した宝石のよう。
身にまとうのは仕立ての良い清楚なドレス。
前世の記憶が戻ったシルヴェスト男爵家の令嬢ルナリアは、自分が前世でお気に入りだった乙女ゲームの世界に転生した事を知って歓喜した。
(やった! やったわ!『巡銀』の世界に転生した!)
かつて日本人女性であったルナリアが、のめり込むように夢中になっていたファンタジー乙女ゲーム。
タイトルは『巡り咲く銀月花 ~前世の絆が運命を引き寄せる~』
その名の通り、主人公のヒロインには前世で死に別れた想い人がおり、その相手と貴族向けの魔法学園で巡り合い結ばれるというシナリオの乙女ゲームである。
そんな世界に生まれ変わったのだから、ルナリアの望みはただひとつだ。
(絶対に、推しのヴォルグ様と結婚するわ!)
『巡銀』のヒーローは、上は王国の王子から、下は最年少竜殺しで騎士爵を賜った孤児の冒険者まで。
普通に考えれば『リアルだと身分差があって厳しくない?』となる所だが、この『巡銀』の世界に関してだけは、ルナリアはその心配はしていなかった。
舞台となるメルヘン風味のファンタジー世界では、生まれ変わりの記憶を持つのがそう珍しい事ではない。
そのため、『前世の恋人や夫婦が生まれ変わって再会できたなら、周囲は一緒になる事を祝福するべし』という風潮があるのだ。
現に、ルナリアが生まれ育った王国では、『かつて王女様と平民の男が前世の縁で恋仲となり、男が王女のために戦功を立てて結婚した』といった実話が今もなお語り継がれていたりする。
そんな世界観なので、いわゆる悪役令嬢的な相手もヒロインが覚悟を見せれば潔く身を引くし、相手によっては友人にだってなる。
ヒロインとヒーローはどんな身分差があろうとも、その差を埋める努力冴えすれば祝福されて結ばれる事が出来る。そんな物語なのだ。
(大丈夫、ヴォルグ様ルートの設定もちゃんと覚えてる!)
前世の絆という運命に引き寄せられるという設定なので、ヒロインはルートによって思い出す前世の記憶が変わる。
序盤で各ヒーローと出会い、そして一人に絞ってゲームを進め選択肢を選ぶとルートが確定。
そのルートが確定してから、ヒロインは前世の記憶を……ルートのお相手と生きた前の人生を鮮明に思い出していく事になる。
『巡銀』の主人公は、ルートによって前世の名前すら変わるヒロインなのだ。
それはつまり、ゲームで全てのルートを知っているルナリアは既に全ての記憶が戻っているようなものなのだから、ヒーローを選び放題だし、ハッピーエンドは約束されているも同然なのである。
(待っててね、私のヴォルグ様ー!)
間近に迫った魔法学園への入学、すなわちゲーム開始。
ルナリアは、自分の完全勝利をこれっぽっちも疑っていなかった。
* * *
そして始まった『巡銀』の物語。
花の咲き乱れる優雅な貴族学校に入学し、順にヒーロー達との出会いイベントを踏んでいたルナリアは……たったひとつの、しかし最大の問題に直面していた。
(ヴォルグ様にだけ会えない!?)
最推しでありルート対象と決めているヒーロー。
その当人との出会いイベントだけが、発生しないのである。
(ヴォルグ様は……前世では、身内の裏切りによって全てを失った。だから今世では誰にも心を許していない。だから、いつも一人で過ごしているはずなのに……)
ヴォルグ・シュヴァルツ。伯爵家の長男。
前世の名前は『シェード』
『巡銀』における、いわゆる一匹狼キャラである。
黒髪に銀の瞳。鋭い釣り目のクール系。
前世の記憶からくる疑心暗鬼が根深く、家族にも、家が決めた婚約者にも壁を作り近寄らせない。
凍り付いてしまった心に温もりを取り戻せるのは、前世の絆を持つヒロインだけなのだ。
そんなヴォルグは、人が少なく静かな裏庭で一人過ごしている事が多い。
ゲーム序盤ならば、どのタイミングでも裏庭にさえ行けば出会いのイベントが始まるはずなのである。
なのに、会えない。
(どういうこと? バグ? ……それとも、まさか私の他にも転生者がいるの?)
悩んでいる間に出会いの季節は終わりかけ。
いてもたってもいられなくなったルナリアは、クラスの情報通の女子生徒……ゲーム的にはお助けキャラにヴォルグの情報を求めた。
それによれば……なんとヴォルグは、婚約者の女子生徒と日々仲睦まじく過ごしていると言うではないか!
(ウソでしょ!?)
周囲に冷たいヴォルグには婚約者がなかなか見つからず、最終的には金銭援助と引き換えに伯爵令嬢との婚約が結ばれていたはずだ。
つまりは、政略結婚。
悪く言えば、金目当て。
前世でヴォルグを陥れたのも金と地位が目当ての兄弟だったので、余計にヴォルグは心を開かないはずだ。
それなのに……仲睦まじい?
(絶対にその婚約者は転生者だ……!)
きっと婚約者とやらも『巡銀』をプレイしていた元日本人女性なのだろう。
だからヴォルグルートにおけるヒロインの前世『ディアナ』っぽい言動をして近付いたに違いない。
(そうは、させない……っ!)
ヒロインはルナリアなのだ。
そんな卑怯な手段で推しを奪うなんて許せない。
だからルナリアは自ら動いた。
出会って仲良くなりつつあるヒーロー達に、悩みを打ち明けたのである。
「実は……私、前世の記憶があるんです」
ルナリアは語った。
かつて自分は、『ディアナ』であったと。
そして恋人のお家騒動に巻き込まれ、命を落としたのだと。
その前世の恋人『シェード』に、どうしても会いたいのだ、と。
その前世の恋人は……ヴォルグ・シュヴァルツだと思われるから、一度でいい、しっかり話をしたいのだ、と。
それぞれがルナリアの事を『もしかしたら、自分の前世の恋人なのでは?』と考え始めていたヒーロー達は、その話に出てきた名前が自分の前世の記憶と異なったので僅かに落胆したが……それはそれ。
ルナリアの悩みは、奇しくも自分たちの抱える事情と似たものであるのだから……親しい学友として、手を貸す事にしたのである。
* * *
かくして、場は整えられた。
なんといってもヒーロー達には、高位貴族に加えて、この国の王子までいるのである。
鶴の一声。
ヴォルグ・シュヴァルツとその婚約者の令嬢は、人払いをしたサロンへと呼び出された。
「お呼びと伺い参上いたしました。シュヴァルツ伯爵家が長男、ヴォルグです」
「婚約者のカロリーヌ・アッシュヴァイスと申します」
ようやく見られた推しの姿。
ルナリアは表情には出さずに歓喜していた。
黒髪に銀の瞳。鋭い釣り目のクール系……表情がちょっと……いや、かなり優しい雰囲気のような気がするけれど、それはきっとルナリアがヒロインだからだろう。向こうも前世からの運命を感じて、無意識に気が緩んでいるに違いない。
二人の自己紹介を受けて、王子は「うむ」と頷く。
「今日来てもらったのは他でもない。こちらのシルヴェスト男爵令嬢が、君達と一度会って話をしたいと熱望していてね」
「お初にお目にかかります。ルナリア・シルヴェストと申します。実は──」
そしてルナリアは語った。
前世の事。
想い人の事。
壮絶な最期を迎えたその人生を。
周囲のヒーロー達や、ライバルであるヴォルグの婚約者のカロリーヌまでもが思わず涙した語り口であった。
「……そして、シュヴァルツ伯爵令息のお名前を耳にした時、何か心に訴える物を感じたのです。……貴方こそが、今際の際に再会を誓った『シェード』なのでは……と」
(さぁ、これでどう!?)
前世で『巡銀』は設定資料集からスタッフインタビューまで読み込んだルナリアは、誰よりも詳しい自信があった。
そんじょそこらのにわかプレイヤーには決して不可能なレベルで『ディアナ』の思い出を語って見せたのだ。それこそシナリオライターでもない限り、これを超える事はできないだろう。
だから、たとえカロリーヌが『ディアナ』のフリをしていようとも、これで偽物だとわかるはず。
そして、もしも何らかの理由で記憶がまだ戻っていないのならば、これで記憶が戻ってルナリアこそが運命の相手だと理解するだろう。
どちらであっても、ルナリアの勝利は揺るがない──はずだった。
ルナリアからの熱く潤んだ視線と、他のヒーロー達からの答えを求める視線に晒されながら……ヴォルグは、一度婚約者と顔を見合わせて頷き合ってから、口を開いた。
「……恐れながら、人違いかと」
……えっ?
今、なんて言った?
ヒトチガイ?
……えっ、人違い???
ルナリアの思考はフリーズした。
人違い。
この状況で、出てくるはずのない言葉であった。
だって、ヴォルグ・シュヴァルツ、その人である。
前世の乙女ゲーのヒーローの一人なのである。
間違えてなんかいない。
その姿、その声、その名前。
ルナリアの前世の推しなのである。
衝撃で言葉が出てこないルナリアに代わり、王子がヴォルグに問いかけた。
「ふむ……それは『何も思い出せない』という事か? それならば、まだ記憶が戻っていない、という可能性もあるが……?」
ルナリアの話が真であるという前提で王子が問うが、ヴォルグはその問いにも首を横に振った。
「いえ、違うのです王子殿下。……実は、確かに私も前世の記憶は持っていまして」
「では」
「ただ、名前や歩んだ生涯が違うのです」
ヴォルグはどこか心苦しそうな……ルナリアの知るヴォルグ・シュヴァルツならば絶対にしないであろう気遣わしげな表情で、言った。
「私の前世は『ジュンペイ・ササキ』。前世ではシェフをしておりました」
ルナリアの思考はさらに凍り付いた。
ジュンペイ・ササキ……ジュンペイ・ササキ……???
明らかに日本人の名前なのだが、既にキャパシティをオーバーしてしまったルナリアの脳はそれを理解する事を拒絶した。
だが現実はさらに容赦がない。
「そして婚約者のカロリーヌには、前世で私の妻であった記憶があります」
「なんと」
「私の前世の名前は『ナオコ・ササキ』と申します」
「おお、では二人は前世の絆に引き寄せられた運命なのだな」
「どうやらそのようで……」
にへら、と照れ笑いをしながら惚気るヴォルグに、ルナリアは心の中で悲鳴を上げた。
誰よあんた──!!
誰なのかと言えば『ジュンペイ・ササキ』なのである。
前世が『シェード』ではないのである。
推しのヴォルグはクール系一匹狼。
たとえ天地がひっくり返っても惚気たりしないし、ルナリア以外の婚約者と腕を組んで幸せそうに笑ったりしない。
それはそうだろう、何故なら前世が別人なのだから。
「ですので、人違いかと」
「うむ、確かに人違いだな」
違う! 違うのー!!
もはやルナリアは呻き声のようなものを上げながらガックリと膝をつく事しかできなかった。
人違いではないのだ。
推しはヴォルグ・シュヴァルツ。
断じて間違ってはいない。
だが中身が違ったのだ。
前世が『シェード』ではないのならば、推しのヴォルグ・シュヴァルツではない。
間違いなく人違いなのである。
崩れ落ちたルナリアにおろおろとヒーロー達が声をかける。
大丈夫か、ショックだよね、ハンカチ使う?
だが一番慰めて欲しい相手は困った顔をして動かない。
「……すみませんが、そういうわけなのでお応えできかねます」
ぺこりと会釈するヴォルグに、ルナリアは思わず手を伸ばす。
「っ、違わなっ……だって……あ、あなたなのにっ!」
「落ち着くんだ。シュヴァルツ伯爵令息は違ったんだよ。彼はきちんと前世の想い人と巡り合い、幸せになっているんだ」
「~~~~っ!」
聞き分けの無い子供に言い聞かせるような王子の言葉に、ルナリアはそれ以上を言い募る事が出来なくなった。
前世の絆を尊ぶ世界だが、当然のようにそれを利用した詐欺だってある。
それゆえに、この世界の人々は前世関係で騙すような卑劣な行為には凄まじい拒絶を見せるのだ。
祝福されるのは、互いに記憶があり、互いに相手がそうだと確かめ合える間柄。
もしも前世の恋人を騙って婚約に割り込もうものなら、どれほどの高位貴族であろうとも厳罰に処され、社会的な死が待っているのである。
ここへ来て、ルナリアは察してしまった。
自分はそれに該当してしまう事を。
だってルナリアの前世は日本人女性なのだ。
この世界の事は乙女ゲームで知っているだけなのだ。
『シェード』と恋仲だった『ディアナ』として生きた事はないのである。
ヒロインだから絶対に推しと結ばれるし、それが運命なのだから問題ないとはもう思えない。
だからルナリアは、これ以上ボロが出ないように口を閉じるしかなかった。
そして同時に、もうひとつ気が付いてしまった。
ルナリアは、自分の前世が『シェード』と恋仲だった『ディアナ』だとヒーロー達に告げてしまった。
つまり、ルートをヴォルグに固定してしまったのである。
あの時は、絶対にヴォルグと結ばれる自信があったから、それでもよかった。
だが、まさかの人違い案件により、それはさらなる絶望となった。
早い内にルートが固定される『巡銀』は、他のヒーローに乗り換える事が出来ないのだ。
もうルナリアは
王子の愛する『セレネ』にも
宰相の息子が愛する『リオラ』にも
近衛騎士候補が愛する『ノクターン』にも
豪商予定が愛する『クレセス』にも
未来の英雄が愛する『アウレリア』にも
なる事は出来ない。
乙女ゲームの恋愛を楽しむ事は、もう出来ないのだ。
そして、きっと彼らはルナリアの味方でいるだろう。
前世の想い人に会えない苦しみをよく知るからこそ、心から励まし、応援して、良いように計らってくれるだろう。
なんなら生家のシルヴェスト男爵家に働きかけて、ルナリアが望まぬ政略結婚など担わずとも済むようにしてくれるかもしれない。
ずっとずっと、何年かかろうとも、ヴォルグの枠が埋まった事で存在するかどうかも分からなくなった『シェード』を探し続けられるようにしてくれるかもしれない。
それが、ルナリアとなった彼女にとって、別の恋を探すことすら出来なくなる逃げ場を塞ぐようなものだとしても。
(まずい……まずい……)
そして、もしも『シェード』の生まれ変わりが見つかったとしても、その容姿が好ましいものとは限らない。乙女ゲームのヒーロー枠ではない誰かの容姿が整っている保証などどこにもないのだ。
そんな『シェード』の生まれ変わりを彼女は愛することが出来るのか。
(まずい……!)
挙句に、もしも奇跡が起きて巡り合えたとしても、ルナリアの方は本物の『ディアナ』ではないのだ。
(……つ、詰んだー!?)
乙女ゲームの世界だからと慢心し、相手の事情や気持ちを何も考えなかった彼女が幸せになれたかどうかは……既にシナリオの外なのであった。




