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「お前の味方は俺だけでいい」と彼は会議室で言った

作者: 夢見叶
掲載日:2026/01/17

「この企画書、私が書いたんです」


 桐生麻衣先輩の声が、オフィスに響いた。


 私は自分のデスクで、その言葉を聞いていた。聞き間違いかと思った。でも、桐生先輩は部長の前で、はっきりと言った。


「三ヶ月前から温めていた企画なんです。瀬尾さんには相談していたので、内容を知っていたとは思いますが……」


 嘘だ。


 あの企画は、私が書いた。三ヶ月、毎晩遅くまで残って、資料を集めて、構成を練って、何度も書き直した。桐生先輩には一度も相談していない。


「瀬尾」


 部長の堂島さんが、私の名前を呼んだ。


「桐生の言う通りか?」


「違います」


 声が震えた。


「あの企画は、私が書きました」


 部長の目が細くなった。桐生先輩が、困ったように眉を寄せる。


「瀬尾さん、私は責めてるわけじゃないの。ただ、事実を確認したくて……」


「事実は、私が書いたということです」


「でも、証拠は?」


 桐生先輩の言葉に、私は言葉を失った。


 証拠。


 企画書のファイルは、共有フォルダに入っている。作成者の名前は、私になっている。でも、桐生先輩は「瀬尾さんに頼んで代わりに保存してもらった」と言うだろう。実際、そう言い始めている。


「とりあえず、今日のプレゼンは予定通り行う」


 部長が言った。


「桐生、瀬尾、両方の企画を聞く。判断はその後だ」


 桐生先輩が頷いた。私も頷くしかなかった。


 時計を見る。14時30分。プレゼンは15時から。


 30分しかない。


 デスクに戻ると、周囲の視線が冷たかった。


「瀬尾さん、大丈夫?」


 声をかけてきたのは、隣の席の後輩だった。でも、その目は「大丈夫」を心配しているのではなく、「本当に盗んだの?」と聞いている。


「大丈夫」


 私は答えた。大丈夫なわけがない。


「神代に取り入って企画を盗んだ」


 誰かがそう言っているのが聞こえた。


 神代晃。企画部の同期。入社以来、社内で一番モテている男。誰にでも愛想がよくて、軽薄で、私が一番苦手なタイプ。


 神代とは、仕事で何度か話したことがある。でも、取り入ったことなんてない。そもそも、神代と私の企画に何の関係があるのか分からない。


「瀬尾」


 声がした。


 振り返ると、神代がいた。


「ちょっと来い」


「……何?」


「いいから」


 神代は、私の腕を掴んで歩き出した。


「ちょっと、離して」


「うるさい。黙ってついてこい」


 神代は、私を会議室の裏の廊下に連れて行った。人気のない場所。


「何なの」


「ログを取れ」


「……は?」


「企画書の作成ログ。タイムスタンプ付きで取れ。システム部の宇佐美に頼め」


 私は、神代の顔を見た。


「なんで、あなたが……」


「俺は最初から知ってた」


 神代の目が、いつもと違った。軽薄な笑みがない。


「お前が毎晩遅くまで残って、あの企画を書いてたのを見てた。桐生が横取りしようとしてるのも、三日前から知ってた」


「……なんで、言ってくれなかったの」


「証拠がなかった。でも、今ならある」


 神代は、私の目を見た。


「ログを取れ。俺が出す」


「出すって……」


「会議で、俺がログを出す。お前は何もしなくていい」


「なんで、あなたが」


「うるさい」


 神代は、私の手を握った。


「お前は、俺の味方だけしてればいい」


 システム部に行くと、宇佐美さんがいた。


「ログ? 企画書の?」


「はい。作成日時と、編集履歴が分かるものを」


 宇佐美さんは、少し考えてから頷いた。


「出せるよ。ちょっと待って」


 宇佐美さんがパソコンを操作している間、私は時計を見た。14時40分。あと20分。


「はい、これ」


 宇佐美さんが、USBメモリを渡してくれた。


「作成日時、編集履歴、全部入ってる。改竄履歴も残るから、誰かがいじってたらすぐ分かるよ」


「ありがとうございます」


「……瀬尾さん、大丈夫?」


 宇佐美さんの目は、後輩とは違った。本当に心配している目だった。


「大丈夫です。これがあれば」


「うん。頑張って」


 廊下を歩いていると、桐生先輩がいた。


「瀬尾さん」


 先輩は、私の前に立ちはだかった。


「何をしてたの?」


「……別に」


「システム部に行ってたでしょ」


 先輩の目が、鋭くなった。


「ログなんて取っても無駄よ。改竄なんていくらでもできるんだから」


「できません」


「え?」


「改竄履歴も残るんです。誰かがいじったら、すぐ分かります」


 先輩の顔が、一瞬だけ強張った。


「……そう」


 先輩は、笑った。


「でも、誰が信じてくれるかしらね。あなたより私の方が、社歴が長いんだから」


「証拠があれば、信じてくれます」


「証拠ね」


 先輩は、私の横を通り過ぎた。


「30分後に、どっちが正しいか分かるわ」


 会議室の前で、神代が待っていた。


「取れたか」


「うん」


 私はUSBメモリを渡した。神代は、それをポケットに入れた。


「あと15分。お前は何もしなくていい」


「でも……」


「俺を信じろ」


 神代の目が、私を見た。


「俺は、お前の味方だ」


 その言葉が、胸に刺さった。


 神代は、いつも軽薄だと思っていた。誰にでも優しくて、誰にでも笑顔で、誰のことも本気で考えていないと思っていた。


 でも、今の神代は違う。


「……なんで、私なの」


「は?」


「なんで、私の味方をするの。私、あなたに何もしてない」


 神代は、少し黙った。


「お前は、俺の前で泣かなかった」


「……え?」


「三ヶ月前、お前の企画が最初にボツになった時。お前は泣かなかった。悔しそうな顔して、でも泣かないで、次の日からまた書き直してた」


 神代は、私の顔を見た。


「俺は、そういう奴が好きだ」


「……」


「だから、お前の味方をする。文句あるか」


「……ない」


「よし」


 神代は、私の頭をぽんと叩いた。


「行くぞ」


 会議室に入ると、部長と桐生先輩、そして数人の社員がいた。


 桐生先輩は、すでに資料を配り終えていた。私の席にも、先輩の名前が入った企画書が置いてある。


「では、始めよう」


 部長が言った。


「まず、桐生から」


 桐生先輩が立ち上がった。


「はい。では、私の企画について説明します」


 先輩のプレゼンが始まった。内容は、私が書いたものとほぼ同じだった。構成も、データも、結論も。


 当然だ。私が書いたものを、そのまま使っているのだから。


「——以上です」


 先輩がプレゼンを終えた。部長が頷いた。


「よくまとまっている。次、瀬尾」


 私は立ち上がろうとした。


「待ってください」


 神代の声がした。


「神代? なんだ」


「瀬尾の前に、確認したいことがあります」


 神代は、立ち上がった。


「この企画書の作成ログを、見ていただけますか」


「ログ?」


「はい」


 神代は、USBメモリを取り出した。


「システム部から取得した、正式な記録です。作成日時、編集履歴、全て残っています」


 部長の目が、細くなった。


「……見せてみろ」


 神代は、会議室のプロジェクターにUSBを繋いだ。


 画面に、ログが映し出された。


「これを見てください」


 神代が指差した。


「この企画書の最初の作成日時は、三ヶ月前の4月15日、22時34分。作成者は『瀬尾千紗』。以降の編集履歴も、全て瀬尾のIDで記録されています」


 会議室が、静まり返った。


「桐生さんのIDは、一度も記録されていません」


 神代は、桐生先輩を見た。


「この企画書は、瀬尾のものです。異論はありますか」


 桐生先輩の顔が、青ざめていた。


「そ、それは……瀬尾さんに頼んで、代わりに……」


「代わりに保存してもらった?」


 神代の声が、冷たくなった。


「三ヶ月間、一度も自分で編集せずに? 一度もIDを残さずに?」


「それは……」


「無理がありますね」


 神代は、部長を見た。


「堂島部長。この企画は、瀬尾千紗のものです。証拠は揃っています」


 部長は、ログを見ていた。


「……桐生」


「は、はい」


「お前、後で話がある」


 桐生先輩の顔が、さらに青くなった。


「ち、違うんです。私は……」


「言い訳は後で聞く」


 部長は、私を見た。


「瀬尾。お前の企画だったんだな」


「……はい」


「すまなかった。疑って」


 部長が、頭を下げた。


 周囲の視線が、変わった。さっきまで冷たかった目が、今は申し訳なさそうに私を見ている。


「瀬尾さん、ごめんね。私、桐生先輩の言葉を信じちゃって……」


「瀬尾、悪かった。俺も疑ってた」


 手のひらを返すように、謝罪の言葉が飛んできた。


 でも、私はそれを聞いていなかった。


 神代を、見ていた。


 会議が終わった後、神代は会議室の外で待っていた。


「神代」


「ん?」


「……ありがとう」


 神代は、笑った。


「礼なんていらない」


「でも、あなたがいなかったら……」


「俺がいなくても、お前は自分で証明しただろ」


「……分からない」


「俺は分かる」


 神代は、私の前に立った。


「お前は、強い。俺は最初から知ってた」


「……」


「でも、一つだけ言っとく」


 神代の手が、私の頬に触れた。


「お前の味方は、俺だけでいい」


「……え?」


「他の奴に頼るな。泣きつくな。助けを求めるな」


 神代の目が、真剣だった。


「全部、俺にしろ」


「それって……」


「分かってるだろ」


 神代は、私の手を取った。


「俺は、お前が好きだ」


「……」


「三ヶ月前から、ずっと見てた。お前が頑張ってるの、全部見てた。だから、今日も味方した」


「……なんで、言ってくれなかったの」


「言う機会がなかった。お前、俺のこと避けてただろ」


「……避けてない」


「嘘つけ」


 神代は、笑った。


「お前、俺のこと『軽薄』って思ってただろ」


「……思ってた」


「だろうな」


 神代は、私の手を握った。


「でも、俺は本気だ。お前のことは、ずっと本気だった」


「……」


「だから、もう逃げるな」


 神代の顔が、近づいた。


「俺から、逃げるな」


「……逃げない」


 私は、神代の目を見た。


「もう、逃げない」


 神代が、笑った。


「よし」


 そして、神代は私を抱きしめた。


「お前の味方は、俺だけでいい。覚えとけ」


「……うん」


 私は、神代の胸に顔を埋めた。


 三ヶ月間、一人で頑張ってきた。誰にも頼らず、誰にも助けを求めず、一人で企画を書いてきた。


 でも、この人は見ていてくれた。


 最初から、ずっと。


「……ありがとう」


「だから、礼はいらないって」


「違う」


 私は、顔を上げた。


「見ていてくれて、ありがとう」


 神代の目が、少しだけ柔らかくなった。


「……当然だろ」


 神代は、私の頭を撫でた。


「俺の女を、見てないわけがない」


「……まだ、あなたの女じゃない」


「今からなる」


「……」


「なるだろ?」


 神代の目が、私を見た。


 逃げられない目だった。


「……なる」


「よし」


 神代は、もう一度私を抱きしめた。


「お前は、俺のものだ。覚えとけ」


 翌日。


 桐生先輩は、部長室に呼び出された。


「桐生、お前には始末書を書いてもらう。それと、企画部への異動だ」


「い、異動……」


「お前の評価は、今回の件で大きく下がった。広報部には置いておけない」


 桐生先輩の顔が、真っ青だった。


「瀬尾さん、私は……」


「私に謝らなくていいです」


 私は、桐生先輩を見た。


「ただ、もう二度と、人のものを盗まないでください」


 桐生先輩は、何も言えなかった。


 部長室を出ると、神代が廊下で待っていた。


「終わったか」


「うん」


「飯、行くぞ」


「……え? 今?」


「今。お前、朝から何も食ってないだろ」


「なんで知ってるの」


「見てたから」


 神代は、私の手を取った。


「お前のことは、全部見てる。覚えとけ」


「……重い」


「うるさい。俺の女は黙ってついてこい」


「まだ正式に付き合ってない」


「付き合ってる。昨日からな」


「私、OKしてない」


「した。『なる』って言った」


「……」


 私は、神代の顔を見た。


 神代は、いつもの軽薄な笑みを浮かべていた。


 でも、その目は真剣だった。


「……分かった」


 私は、神代の手を握り返した。


「ついていく」


「よし」


 神代は、私の手を引いて歩き出した。


 その背中は、三ヶ月前から見ていたはずなのに、今日初めて見たように感じた。


 私を見ていてくれた背中。


 私を守ってくれた背中。


 私を選んでくれた背中。


「……神代」


「ん?」


「私も、あなたのこと、見てていい?」


 神代が、振り返った。


「当然だろ」


 神代は、笑った。


「お前以外に見られても、意味がない」


 その言葉が、胸に落ちた。


 私は、神代の手を強く握った。


 ——この人の味方で、いよう。


 ずっと、ずっと。


 私を見ていてくれた人がいた。


 だから私は、その人の味方になる。


 それだけで、十分だった。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


「自分の努力を誰かに奪われる」という経験は、本当に悔しいものだと思います。でも、見ていてくれる人は必ずいる——そんな思いを込めて書きました。


千紗と神代の、これからの日々が幸せであることを願っています。


もしこの物語を気に入っていただけたら、評価やブックマーク、感想をいただけると、とても嬉しいです。皆さまの応援が、次の作品への力になります。

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