水平線の向こう
月日というものはあっという間に過ぎるもので、気が付いたら共通テストも終わり、第1志望のZ大の受験日まであと1週間になっていた。翔太の第1志望のX大とZ大は両方とも国立であるため、受験日は一緒である。この時期になるとさすがに航も怠けるわけにはいかず、翔太と一緒に島の図書館で勉強する時間が多くなっていった。
「おーい翔太、ちょっと疲れたからさ、休憩しようぜ。お前2時間ぶっ続けだぞ。それに昼飯時だ」
疲れ半分、あきれ半分といった感じで翔太につぶやいた。翔太の集中力は、はっきり言って異常だと航は思っている。勉強にしろ読書にしろ一度集中すると、誰かがストップをかけない限りずっと集中しっぱなしだ。
「もうそんな時間か」
翔太がコリをほぐすように肩を回し、ペンを置く。二人が図書館に来たのは朝の8時だ。通常島の図書館は9時開館なのだが、受験生である二人のためにと特別に8時から開けてもらっている。その心遣いに翔太も航も感謝すると同時に、自分達にかけられた期待の大きさも実感していた。島を歩いていると島民から「頑張ってね」と声をかけられることも増えた。二人が受験のために島を出る日には島民総出で見送りするという話も聞いている。そんな期待がうれしくもあり、またプレッシャーになっていることも事実だった。もちろんそんなことは口が裂けても言うつもりはないが。
「おーい、二人とも今休憩中?」
美南と恵が手をこすり合わせながら入ってきた。二人ともマフラーをきっちり巻き、美南は耳当てまでつけている。
「ああ、そろそろ昼飯にしようかって言ってたとこ」
「あったかいなあ図書館。私ずっとここにいたいよ。よくここにいて眠くならないよね」
恵が心底羨ましそうに言う。航も翔太がいるから寝ないのであって、普段なら眠気に負けて寝ているところだ。
「俺も眠くなるんだけどさ、翔太が許してくれねえんだよ」
いつもの軽口をたたきながら、翔太のほうをちらっと見た。
「当たり前だ。俺たち寝にきてるわけじゃないからな」
翔太がすげなく切り捨て、航を少しにらむ。しかし航のそのような態度を面白がっているようにも見えた。実際口元には笑みを浮かべている。
「やっぱ、翔太がいないと航はだらけるからね。学校の先生も言ってたよ。木下にはお目付け役が必要だって」
美南が笑いながら航の肩を叩く。恵は翔太の参考書を覗き込みながら、「二人ともこんなことやってるんだ」と感心した表情を浮かべていた。
学校は共通テストが終わってから自由登校になっている。美南と恵は先生や友達に会うためにたまに行っているようだが、航と翔太はほとんど行っていない。せいぜい二人で考えてもわからないところを聞きに行く程度だ。
「で、勉強の調子はどうなの?」
「俺も翔太もよっぽどやらかさない限りは受かると思うぜ」
翔太もうなずきながら
「まあ、本番何が起こるかはわからないけどな」
「はえー、すっごーい。どっちも日本トップクラスの大学でしょ」
恵は目を大きく見開き、誰でもいえるような感想を漏らす。
「もう私たちじゃ、手の届かないところに二人とも行こうとしてるんだねえ」
そう美南がつぶやくと全員が黙った。あと数か月したら全員この島を出てそれぞれ違う場所で生きていくことになる。それぞれ違った道を歩むことになる。言葉ではわかっていても現実感がなかった。そしてそれは全員が感じていることでもあり、全員が無意識に触れないようにしていることでもあった。その暗黙の了解を美南は破ったのだ。
「美南!!」
普段声を荒らげることのない恵が叫んだ。目にはうっすらと涙がたまり、声も湿っている。
「それは俺たちだけじゃない。恵も美南も島を出れば俺たちには手が届かないところで生きていくんだろ」
翔太が冷静な口調を保ちながらそっとつぶやく。翔太らしいと思ったが、同時に翔太もみんなと離れることに若干とはいえ抵抗があるのも感じ取ることができた。正直言って航はうれしかった。自分だけではないのだと、みんなも別々の道を歩むことに迷いを持っているのだと。そう思うと妙に安心でき、心の雲が晴れていくような気がした。
「まあ大丈夫だ。島を出て二度と会えないってわけじゃねえんだし」
航は腕を組み、笑顔を作った。4人の間に沈黙が流れ、エアコンの起動音が館内に静かに響く。今までこの4人でこんな空気になったことはなかった。ときには喧嘩もしたし、口を利かなかったこともある。しかしそのどれとも違う、今まで積み上げてきた関係がまるっきり変わってしまうような、そんな感じだ。
「ごめん。こんなこと言うべきじゃなかったよね」
そう言って美南は立ち上がった。口元は固く結ばれ、うつむいている。その握りしめた手はわずかに震えていた。
「ちょっと美南」
「叔母さんが「風」でおいしいごはん作って待ってるって。航、翔太早くいってきなよ」
そう告げると美南は走り出した。雪がちらつく空に飛び出して行き、あっという間に姿は見えなくなった。
「じゃあ、私もこれで。勉強頑張ってね」
気づくと恵も消えていた。残った翔太と二人で顔を見合わせ、若干の沈黙が流れた後
「行くか」
翔太が口を開き、ポツリとつぶやいた。
「おう」
図書館の外に出ると、目の前には水平線が広がっていた。いつもは自由や希望の象徴として見える水平線が、今日はひどく怖く思える。
「今日、何食わせてくれるんだろうな」
「さあ、でも昨日焼き魚定食だって言ってた気がする」
そんなどうでもいいことを話しながら二人は歩き出した。




