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第二章 月光に導かれて――白霞神社の邂逅

冬の神社。志乃=紫乃は、陰陽師・朝嵐、そしてやんごとなき東宮・陽壬と運命の出会いを果たします。恋の糸が月光に照らされ、静かに結ばれ始める――。


 夜気はきん、と冴え、吐く息が白く凍った。

 雪は粉砂糖みたいに薄く積もり、足音をふんわり呑みこむ。月明かりはやわらかく、それでいて冷たく、白霞神社の鳥居を銀色に磨きあげている。空は底抜けの群青、星の粒が痛いほど鮮やかだ。


 籠が静かに止まる。簾を指二本ぶんそっと上げると、桐子と梅枝が落ち着かぬ顔で囁き合っていた。


「姫様、夜の外出など……もし誰かに見咎められれば」

「左様にございます。今は物の怪も呪詛も騒がしき時節、しかも雪夜。お身が案じられて……」


 私は小さくうなずいて、胸の奥でため息。

(そりゃそうだよね。令和なら“夜遊び禁止!”くらいで済むけど、ここは命がけモード)


 籠から降りる。女官装束は歩幅が小さくなるから、雪に慣れてないとすぐつまずく。二人が左右から手を添え、私は鳥居の前で一礼した。冷たい空気が肺の奥まで澄み渡る。香袋が袖口でふわりと揺れ、サンダルウッドに白い花のニュアンスが重なる。高級アロマで社参、みたいな贅沢感。いや、贅沢どころか命がけだけど。


 境内に足を踏み入れた瞬間、空気がぴんと張る。

 ——結界の匂いだ、と直感した。金属を磨いたみたいな、乾いた清澄さが皮膚の上を走る。


「……また会ったな。月の加護を受けし姫」


 雪影から、黒衣の男が現れた。

 銀の髪が夜の雪みたいに光り、切れ長の瞳は氷の刃。黒の狩衣は風も拾わない。歩むたび、足元の雪明かりがわずかに揺れた。


(やっぱり出た……! ビジュアル、人間離れ。令和でも平安でも解像度がずっと“最高”。アンチエイジングの概念、敗北宣言)


 桐子と梅枝が、私を庇うように半歩前へ。

「陰陽師殿とやら……姫様にお手は触れませぬぞ」

「そ、そうですとも! 姫様に怪しき真似をなされば——」


 男は薄く笑みを刻み、袖を払う。

「誤解するな。結界はお前たちを守るためだ。この社には、呪詛の残り香が漂っている」


 言葉と同時に、風が一度だけ逆立つ。見えない網が境内を覆っていくのが、肌にわかる。

 私は思わず息を飲み、名を呼んだ。

「……朝嵐」

 氷の瞳が、わずかに細くなる。

「覚えていたか。月の縁は、薄く見えてよく絡む」


(うん、覚えるにも程がある美貌だからね? ってツッコみたいのを、口の手前で飲み込む)


 朝嵐は指先で印を切った。空気に白線が走り、朱の紙符が四方に散る。結界の継ぎ目が淡い光を放った。

「……よい。これでほぼ安全だ」


「“ほぼ”って何?」と口走りかけた瞬間——。


 さらり、と薫風が走った。

 寒夜に似合わない、上質な甘さ。芯に白檀、縁に蜜柑の花の透明感、奥に古い衣の匂い。重ねた香りが深いのに、軽やか。現代なら“超高級アロマ”の一言で片付くけど、多分そんな簡単な話じゃない。


 梅枝が息を呑む。

「姫様……あれは、やんごとなき御方にしか許されぬ薫り」

 桐子が襟元を正し、私の袖を控えめに引いた。


 月明かりが雪を照らす、その中心に——青年が立っていた。

 薄い氷のように白い直衣、上に淡い紫の袍。狩衣ではない、格式の気配。細身で背が高く、黒髪は艶やかに流れて、顔立ちはやさしい調べ。優美なのに、どこか儚げな翳りが影を落とす。


 視線が合う。

 心臓が、ばくん。

(え、誰かに似てる……? 思い出せない。でも、懐かしい。胸の奥の“会いたかった”が勝手に反応してる)


 青年はふっと微笑み、澄んだ声を落とした。

「紫の御衣が、雪によう映える。……姫君、名は?」


 答えようとすると、桐子が袖をつつく。

「姫様、直に殿方へ御名は……」

「ルール多すぎ……!」小声で抗議して、私は扇を傾ける。

 桐子が代わって、慎み深く告げた。

「紫にちなまれ、姫様は“紫乃”と申されます」


 ——紫乃。

 音が体に沁みる。志乃じゃない。でも不思議としっくり来る、私の色。


 青年はその名を確かめるように、ゆっくり繰り返した。

「……紫乃」


 胸が震える。袖口がふっと紫に光った。

 梅枝が小声で悲鳴を押し殺す。

「ひ、光った……!」

 桐子が囁く。

「紫は月のご加護の色。言の葉に力の宿る方は、その光をお纏いに……」


 青年は目を細め、わずかに空を仰ぎ、そして——和歌を紡いだ。


月影に しるべを求むる わが心

 紫の名に 宿るひかりか


 言葉に呼応するように、境内の空気が震える。月光がひとつ強まって、雪面が白い海になる。

 胸の奥が熱くなり、気づけば私の口からも、言葉がこぼれた。


朧月 行く末知らぬ 身なれども

 君が光に 道を見いだす


 自分でも驚くほど、声が澄んでいた。

 和歌が放たれた瞬間、白い光が社殿の屋根を走り、鳥居の注連縄まで明滅する。境内に漂っていた、薄い黒いもやがぱっと散った。


 青年の瞳が揺れる。

「……そなたは——」


 その時、雲がすっと月をかすめ、光が弱まった。

 青年の輪郭が淡く揺らぎ、雪の匂いだけを残して——ふっと、消える。


「ま、待って!」

 伸ばした指先は空をつかみ、冷えた夜気だけが触れた。


 静寂が戻る。

 朝嵐の声が、浅く凍った水面みたいに澄んで落ちてきた。

「見たか。月がやつを縛っている。ゆえにあれは、月の下でしか生きられぬ」


「月の……呪い?」

「いや、加護でもある」

 朝嵐は天を仰ぐ。銀の髪に雪が二片、無造作にほどけて落ちた。

「紫乃。お前の歌にも、月は応える。いずれ、その力が願いを叶えるだろう」


 願い。

 胸の奥が大きく跳ねる。帰ること——なのか。

 それとも、今胸に灯ってしまった、名前を二度呼ばれただけの“恋”のこと?


 桐子がそっと袖を引く。

「姫様……おからだが冷えます。籠へ」

「そうです、今宵はこれにて。姫様の香が強うございますと、誰ぞに気取られます」梅枝が早口で、でも妙に優しい声で急かす。


 私は一歩、鳥居のほうへ振り返る。

 白い息が空にほどけ、月が雲の端から顔をのぞかせる。さっきまでより、少し近い。

(彼は、月の下にしか現れない。じゃあ、月を見れば、また——)


 足元で雪がキュ、と鳴った。

 朝嵐がこちらに視線だけを寄越す。

「……紫乃。お前はまだ、自分の言葉の重さを知らぬ。軽く放てば、軽く散る」

「……はい」

「だが、相手のために放てば——言霊は刃にも盾にもなる。覚えておけ」


 刃であり、盾。

 和歌は、ただの“いいね♡”じゃない。数字じゃ測れない重さがある。

 胸のどこかで、令和の私がコクリと頷いた。


「朝嵐」

 名前を呼ぶと、氷の瞳がほんの少しだけ緩む。

「なにゆえ、お前は私を助けるの?」

「——縁だ」

 それだけ言って、踵を返す。黒衣が雪に線を引いた。


 籠の中に身を滑らせると、二人が同時にほうっと息を吐いた。

「姫様、大事なくてようございました」

「けれど、今宵のことは胸の内に。——女の噂は風より早ゅうございますゆえ」


「うん。……ありがと、二人とも」

 籠が動きだす。簾越しに、白い世界が流れていく。

 指先には、まだ紫の余韻がうっすら残っていた。袖の香りがふわりと上がるたび、心臓が勝手にスキップする。


(願いは、叶う? 帰ること。……それとも)

 月が、踊るみたいに簾の影で揺れた。

 雪は静かに降り続き、白霞神社は遠ざかっていく。

 胸のざわめきは、恐れでも不安でもない。

 ただ——確かに、恋に似た熱を帯びていた。

月明かりに照らされ、東宮と志乃=紫乃の縁が始まる。

次回は春、呪詛の影と恋の芽生えが交錯します!

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