第一章 異世界転生したら“行き遅れ姫”でした!?
読んでくださりありがとうございます!
現代女子が平安時代に転生したら――まさかの「行き遅れ姫」!?
笑いあり胸キュンありの物語、楽しんでいただけたら嬉しいです。
……重い。体が、鉛みたい。
目を開けると、そこは見慣れない天井だった。黒漆の梁がまっすぐに伸び、天井板には藤の房が風にたわむ図が薄く描かれている。壁は生絹のようにやわらかな色で、光をやさしく含んでいた。
ふわっと鼻をくすぐったのは、サンダルウッド系の深い香り。コスデコの「キモノ」みたいに、甘くて透明で、でも芯が通ってる。落ち着くのに、やけに高級感。ここ、どこの五つ星?
「姫様! お目覚めになられましたか!」
甲高い声に飛び起きる。
枕元にいたのは、平安装束の少女。薄紫の単衣に浅葱の小袿、袖口からのぞく手がやわらかい。所作ものんびり。どう見てもおっとり系。
「えっ……なにこれ、時代劇のスタジオ?」
現実認識が崩れかけた瞬間、廊下からドタドタと小走りの足音。
「桐子! 姫様がほんとうに!」
「梅枝、声が大きゅうございます! ……でも、まことにお目覚めに……」
ぱっちり目でせっかちそうな少女が息を弾ませて入ってくる。二人並ぶとコントみたいな温度差。私はのぞきこまれ、ぽかんと見つめられ、ちょっと居心地が悪い。
いや待って。ここ、現代のインスタ映えカフェじゃない。畳は青く、几帳は薄桃、御簾の縁には細かい刺繍。光は障子で柔らかく割れて、埃ひとつ舞ってない。ガチ平安絵巻ワールド……!?
「先月の新月の夜、姫様は急に胸を押さえて倒れられたのです」
おっとりのほう——桐子が、胸の前で手を合わせて言う。
「それきりひと月、まどろみのまま。今宵は満ちる月。光に誘われるように、お目覚めを……」
「えっ、ひと月!? 私そんな長期オフしたの!? 有給どころの話じゃないんだけど!」
心の叫びはもちろん届かない。届くのは二人の安堵の息だけ。
重いと思ったのは布団だけじゃなくて——髪だ。
ゆるふわモテヘアどころか、黒瀧のように腰まで重い。毛先までさらさら。洗い流さないトリートメント何使ってるの、平安。
「姫様、おからだは……」
「まだふらつかれますゆえ、まずはお顔を」
桐子が金縁の鏡をそっと差し出す。覗き込んで、私は固まった。
——誰、この顔。
アイプチなしの一重。モテ前髪なしで、丸顔。寄せブラのない胸は……現実。
……なのに。
「まぁ……月影のごとく澄んだお目元」
「丸やかな御顔立ちは福徳の証。姫様の真の御容貌を知らぬ者は、不幸と申すべきです」
二人がうっとり褒めちぎる。
「ちょ、ちょっと待って! そこ、私が隠してきたコンプレックスなんですけど!?」
(盛って盛って“映える女”を作ってきたのに、ここじゃ“すっぴん女子”が正義……世界の評価軸、住民投票で決まりました?)
香り袋がふわり。薄紫の絹に包まれた小さな匂い袋が、袖口で揺れている。
たしかにいい匂い。サンダルウッドの芯に、どこか瑞々しい花の気配。ジョーマローンの重ね付けみたいに上品で、鼻先がくすぐったい。
「……しかし姫様」せっかちの梅枝が、眉を寄せて真顔になる。
「この齢にて、いまだ縁談が整わぬは惜しゅうございます。御簾の外では“行き遅れ”と囁く声も」
「十三にて入内なさる姫もございますのに……」桐子がため息を重ねた。
「じゅ、十三!? いやいや、私二十六なんですけど!?」
(現代なら“まだ全盛期♡”って信じてたのに、ここじゃ二周遅れの大事故案件……)
「尼におなりになるほかありますまい、と申す者まで」
「あり得ませぬ!」梅枝が机を小さく叩く。「この美しさを知らぬ男どもの愚かさ!」
「尼……? 出家エンドはちょっと……人生RTAでもそこは飛ばしたいんですけど」
桐子がうっとり遠くを見る。
「太政大臣家のニノ姫様は、齢十七の盛りにして第二皇子様に嫁がれ、今やご懐妊の噂さえ」
「椿の花のようなお方で」梅枝が目を輝かせる。「真紅に咲き誇り、冬の寒ささえはねのける……艶やかで、強く、美しい」
うん、それもう勝ちキャラの紹介文。
視線が戻ってくる。
「対して紫乃姫様は——藤の花。たおやかに垂れ、風に揺れても折れぬ。月の光に淡く浮かぶ、気高い紫」
「人の目に柔らかく映り、けれど一度見たが最後……忘れられないのです」
(花キャラ割り当て、 私いつの間に“藤属性”!? でも、藤って……悪くないかも)
廊の向こうから、ゆるやかな雅楽の音がかすかに聞こえる。鼓と笛の間に風音。
庭のほうへ視線をやると、御簾越しに白い砂の庭、刈り込まれた常緑、そして水鏡のような泉。満ちた月が揺れていた。
「帝もご病弱にて、床に伏せられることが多く……」
桐子の声が低くなる。
「東宮様もまた、かつては太陽のごとく爽やかでいらしたのに、近ごろはご病により翳りを帯びられ」
「え、ちょっと待って。東宮って誰?」
私の問いに、二人はぴたりと動きを止める。
「姫様……帝の第一の御子にあらせられます」梅枝が小声で。
「姫様と同じお年ゆえ、かつてはご入内の話もございましたが」桐子が言いしれぬ面持ちで続ける。
「その折より東宮様はたびたびご体調を崩され、縁談は立ち消えに……」
——もし病に伏していなければ、私はその妃候補。
政略結婚のレース、スタートラインで転んだまま、気づいたら観客席にいたパターン?
二人はさらに声を落とす。
「都では“ただの病ではなく、呪いでは”と囁かれております」
「誰かが手を回しておられるのでは、と……」
背筋がぞわっとする。呪いって、本当に……?
「ですが」桐子が表情を明るくする。
「姫様には御歌の才がおあり。言の葉ひとつで、御姿を知らずとも心を奪われる者が出るほどに……」
「恋とは、懸想にございます」梅枝が、早口なのに言葉はきっちりしている。
「和歌を交わし、姿も見せず、扇の影と紙の香だけで心を通わせる。贈るのは唐物の香や、薄紫に染めた手紙。——お顔も声すらも知らずとも恋に落ちさせる、重く尊いもの」
「……文字で、恋?」
令和もアプリやネトゲ、SNSで、顔も知らず言葉のやり取りだけで恋に落ちることあるらしいけど…
みんなそんなに本気の言葉を持ってたってこと?
胸の奥がちくりとする。一万のフォロワー達の言葉、誰のことも覚えてないや。
(私、いつから誰とも“本当の言葉”を交わさなくなったんだろう。ハッシュタグと絵文字でごまかして、肝心なことは空欄のまま)
「御簾の内の姫君は、お顔をそうやすやすとはお見せになりませぬ」
桐子はやわらかく笑い、私の髪を梳いた。
「扇越しの一言と、和歌の一首。その重みこそが、恋の始まりでございます」
御簾、扇、和歌。顔出しNGの世界線。
“盛れ写真ゼロ”のラブコメ、難易度高くない?
「それと——香にて身分も趣味もわかれます」梅枝は袖口の香袋を指先で示す。
「白檀を基にした雪の匂い、燕子花のように澄んだ香、梅のようにふくよかな香……薫物合で勝つのは、ただ高価だからではございません。重ねかた、焚きかた、季節のうつろい——心が香りに映るのです」
(香りがプロフィール……! 言葉と香りで恋が始まるって、むしろ令和よりロマンチックじゃない?)
ふいに、桐子が声を落とした。
「白霞神社にて、美貌の陰陽師がおわすと聞き及びます。帝や東宮様のためにも、たびたび参内なさるとか」
白霞——。胸がぎゅっと跳ねた。
現代で、私がスマホで検索して辿り着いた、あの神社と同じ名。
「陰陽師様は、銀の髪を夜の雪のように梳き、氷のごとき御眼をお持ちとか」梅枝が、少し背伸びした声色で囁く。
「“言の葉に宿る力を視る”とも。——まるで、月の加護を見分けるように」
銀の髪。氷の眼。月の加護。
頭のどこかで、冷たい月光の輪郭と、白い狩衣の男の影が重なる。
(まさか……いや、でも——)
「姫様」桐子が、私の袖をそっと直す。薄い藤色の小袖に、白い打衣、重ねの色目は藤の濃淡。
「髪は一筋たりとも乱してはなりませぬ。お顔は御簾のこちら。お言葉は扇の影。……けれど、心は自由に」
「自由に……?」
思わず復唱する。自由、という単語が、この世界でも静かに輝いた。
「はい。和歌は、心のままに」
桐子はにっこり微笑む。
「姿が見えずとも、言の葉は届きます」
私は息を吸い、一度だけ裏返りそうになった声を整えた。
——帰りたい。現代に。
でも、そのための手がかりは、ここにある。
「白霞神社に行きたい」
言い切った私に、梅枝は「えぇっ」と小さく跳び上がり、桐子は目を丸くしてから、すぐ穏やかな笑みに戻る。
「夜ならば、人目も少のうございます」
「姫様は御簾のお方、ほんらいお忍びはご無体ですけれど……」
「籠をご用意いたします。髪は布でまとめ、女官の衣にお着替えを。香は少しだけ、藤の薫を薄く」
準備の手際は、さすがせっかちとおっとりのゴールデンコンビ。
櫛が髪をすべり、紐が背に回り、衣の重みが肩に落ちる。
扇を手に取ると、紙の面に月の影が落ちた。私の指先が、確かに震えている。
御簾の外、白砂の庭に、満ちた月がくっきりと映っていた。
風が藤棚を揺らし、房からこぼれた香りが夜気に溶ける。
どこか遠くで、笛がひとつ。余韻だけが、こちらへ滑ってくる。
(——香りと、言葉で、恋が始まる世界。
私、帰り道を探すだけじゃない。たぶん、ここで“本当の言葉”を見つける)
月は、障子越しに淡く笑っていた。
まるで「行っておいで」と囁くみたいに。
お読みいただき感謝です!
次回はいよいよ神社で運命の出会いが…。
続きもぜひお楽しみに!