【閑話】陰陽師・朝嵐 —— 月影に生きる男
「ご覧になられましたかしら……あの銀の御髪の妖艶なこと…!」
「見ましたとも桐子! あの切れ長のお目元、氷のごとく鋭いのに、時折ふっと柔らかくなるのです!」
「その時折とは…」
「はぁ……尊すぎて胸が震えます」
——そんなわけで今回は、姫様ではなく、我らが“氷の陰陽師”のお話。
どうぞ心ゆくまで、ときめいてくださりませ。
都に生きる女房たちの間で、ある噂は絶えたことがない。
「白霞神社に仕える陰陽師——青嵐殿は、神にも鬼にも似たお姿だ」と。
銀糸のごとき髪は、夜の闇よりも白く光り。
切れ長の一重の眼差しは氷の刃。
睫毛は影のように長く、その下から放たれる眼光に射抜かれれば、貴賤を問わず誰もが息を止める。
ただ、術を放つ時にのみ、その唇がわずかに震え、呪の詞を編み出す。
紅を差さぬ薄い唇なのに、不思議と目を奪われるのだ。
人は彼を「氷の陰陽師」と呼ぶ。
けれど——。
紫乃姫が視界に入る時。
その眼差しは、ほんのわずかに和らぐ。
気づく者はほとんどいない。だが、侍女たちの目はごまかせない。
「……見ました? 今の目元。氷が解けたように、優しゅうございました」
「姫様にだけ、ですわね」
ひそひそと囁かれるのも無理はない。
⸻
だが朝嵐自身は知っている。
紫乃が「紫乃」である前に、「志乃」であったことを。
令和の街で、夜更けの神社にひとり祈りを捧げていた女。
SNSに笑顔を並べながらも、ふと虚ろな目をする女。
その姿を、結界の隙間から幾度となく見つめてきた。
志乃は知らなかった。
夜更けの参道でスマホを落としたあの瞬間、
朝嵐がひとすじの風を吹かせ、石段で転ばぬよう支えていたことを。
彼は決して声をかけない。
ただ見守る。
千年を超えて流れる因果の糸に導かれ、紫乃と再び出会うその日まで。
⸻
紫乃の前で術を紡ぐとき。
朝嵐はいつも唇を固く閉ざすように見せかけて、
ほんのわずかに、彼女だけに聞こえるほど小さく言葉を洩らす。
「……怖れるな。必ず護る」
それが彼の本音であり、唯一の願い。
だが彼女が顔を上げた時、その言葉はもう風に溶けている。
残るのは鋭い眼光と、氷のように冷ややかな仮面だけ。
⸻
彼が優しさを許されるのは、紫乃が笑う一瞬だけ。
桜の花びらに照らされた時も。
炎の夜に抱きとめられた時も。
紅葉の山寺で言葉を交わした時も。
その刹那、氷はわずかにひび割れ、銀の睫毛が震える。
それでも彼はすぐに表情を閉ざす。
「陰陽師に心は不要」と、己に言い聞かせるかのように。
⸻
誰も知らない。
紫乃のために夜ごと呪を払い続けることを。
彼女の夢路に影が差さぬよう、結界を編んでいることを。
その身がいかに削れても、唇が血をにじませても。
朝嵐の眼差しはただ月を仰ぎ、祈りを繋ぐ。
氷の仮面をかぶったまま。
——けれどその胸の奥で、確かに熱は燃えている。
誰にも知られぬ恋として。
千年の時を越えても、ただ一人の姫を護り抜く誓いとして。
「ねえ桐子……朝嵐様、やっぱり尊すぎますわ」
「ええ、尊いどころか……もはや神々しゅうございます」
「でも、冷たいのに優しい……あのギャップ、ずるいですわよね!」
「姫様にだけ見せる、あのまなざし……」
「……っ! 思い出したら今夜眠れませぬ〜!」
——というわけで、我ら侍女は本日も推し活に励んでおります。