(九)ロクサーヌの罪
「悪意を持った誰かが、偽の手紙を送ったとしか考えられませんわね。
フィセル様、シェゾナ様、それと……ロクサーヌ様。あるいは、学院で同じクラスだったというルクリスなる娘——そのいずれかがその送り主ではないかと、わたくしは睨んでおりますの」
マグレーテの言葉に、その場をしばし沈黙が支配した。
「……そのような嫌がらせまで……彼女が俺に会ってくれなくなったのは、養子縁組が中止されたと思ったせいだったのか……」
シンヴァルトは持ち上げたカップをじっと見下ろした。その手は、小刻みに震えている。
「貴方と結ばれることがないのならと、自ら身を引こうとなさったのでしょうね」
シンヴァルトはカップを置き、仄暗い光を宿した瞳でマグレーテを見た。
「手紙の送り主か……ロクサーヌは問いただす必要があるな……ルクリスは……彼女の一番の友人だ。俺は疑いたくない」
「あら、なぜですの?彼女は暴漢がベイグリッド様の周囲をうろつくようになってからも、家に出入りしていたのでしょう?偽の手紙を届けることなど簡単だったはずですわ。
それに、養女の件が彼女の口からフィセル様たちに漏れた疑いもありますの」
「善意を装った敵だった……と?」
「あくまで可能性ですわ。ルクリス、ロクサーヌの両名を早急に取り調べましょう。
……しかし、居場所からの調査になりますわね。ロクサーヌ様というのはどこのお家の方なのかしら?わたくしの記憶にはございませんの」
公爵令嬢であり、皇妃としての教育を受けたマグレーテはあらゆる貴族家の事情に通じている。しかし、ロクサーヌという令嬢には心当たりがなかった。
「ああ、彼女は最近まで隠されていた存在だからね。エイザー家の奥方が、出入りの庭師と関係して生まれた子だったそうだ。魔法を励起するようになったので、アドベック男爵家の養女という体裁にして学院に入れたと聞いている」
「まあ、それではシェゾナ様やビオジェロ様の……」
「異父妹ということになる。その経緯で、学院ではシェゾナの言いなりだったらしい。自分付きのメイドか何かのように扱われていたと」
「詳しくていらっしゃるのね」
「うちは、かの家の寄り親だからね。それに、ベイグリッドを苦しめた人間については、俺も調べているんだ」
「だからといって、学院内部のことまでお調べになるのは大変だったでしょう?」
「俺は今も学院に籍を置いている。専攻科で、生物の研究をしているんだ」
学院に残り、研究活動をしている者はそれなりの数いるという。しかし、魔法学院で生物の研究というのは珍しいだろう。
「どんな生物のご研究を?」
「マガリムシという生き物を……この話はこの場でするには、少々無粋すぎる。またにして欲しい」
「分かりましたわ。いずれにせよ、ロクサーヌ様への聴取を明日にでも行いましょう。
立て続けに2名もの関係者が亡くなっているのですから、ベイグリッド様への加害が疑われる人は大至急調べて、必要なら保護しなければなりませんわ」
「……俺も、同行させてはもらえないだろうか」
マグレーテは少し逡巡し、答えた。
「よろしくてよ。ただ、貴方はベイグリッド様への感情が強すぎますわ。ロクサーヌ様に直接敵意を向けるようなことは、許しませんことよ」
「ああ、分かっている」
こうして2人は共同でロクサーヌへの聴取を行うことになった。
◆
その翌日、ロクサーヌの取り調べは、勅命という強制力をもって迅速に行われた。
昨日のベイハイム家での一幕、伯爵夫人に起きた異変を考えれば、いつ、ロクサーヌまでもが水底から見つかることになるか分からないからだ。
同じく捜査対象となっているルクリスの居場所探しはアノンとその部下に任せ、マグレーテ、イアノーラ、そしてシンヴァルトおよび護衛を兼ねる憲兵の小隊が今日の調査隊メンバーである。
アドベック家の応接間で、男爵に連れられたロクサーヌが無事な姿を見せたことにマグレーテは安堵の息をついた。
「ごきげんよう、男爵、ロクサーヌ様。わたくし、勅命でシェゾナ・エイザー様、フィセル・ベイハイム様の事件について調査をしております、マグレーテ・アークネストでございます」
「マグレーテ様、お務めご苦労様でございます。それで……娘がそのような恐ろしい事件に関わりがある、というのは本当なのでしょうか?」
男爵の態度はロクサーヌを心底心配しているように見える。養女ということだが、その態度には確かな愛情があると感じられた。
「ええ、男爵。重要な参考人で、次の被害者になりかねないと危惧されているのがロクサーヌ様ですわ」
ロクサーヌは無言で目を逸らした。
「ロクサーヌ様、貴女もシェゾナ様やフィセル様のようになってしまうのではと、怯えていらっしゃるのではなくて?わたくしたちが来た目的には、貴女を保護することも含まれていますのよ?これからお聞きすることに、正直にお答えになってくださいまし」
彼女はチラ、とマグレーテを見て、再び目を逸らして答えた。
「わかったわ。でも、シェゾナ様やフィセル様を殺したのは、あのベイグリッドって子の呪いなんでしょう?呪いを止めることなんて、できっこない。どうせわたしも死ぬのよ」
マグレーテは何か言いかけたシンヴァルトを制して言った。
「いいえ、呪いなどというものがあるはずがありませんわ。それより貴女、呪いを受けることを心配されているということは、ベイグリッドさんに何かなさったのですね。全て、詳らかにしてくださいませんこと?」
ロクサーヌは答えた。ベイグリッドの教室を調べてシェゾナやフィセルを案内したこと。教室でベイグリッドを無視するようクラスメートを恫喝したこと。ベイグリッドの私物を盗ませ、時に自ら盗んだこと。直接ベイグリッドに水魔法を使い、苦しめてシンヴァルトとの関係を終わらせるよう脅迫したこと。
始めはポツリ、ポツリと、やがて涙ながらに語り、そして全てはシェゾナの指示だったと打ち明ける。
「分かった、もういい。挨拶が遅れたが、私がそのシンヴァルト——シンヴァルト・エライリーだ」
それを遮るように、シンヴァルトの凍てつくような声がその場に落ちた。ロクサーヌは椅子から転げ落ちるようにして跪いた。
「ごめんなさい!ごめんなさい!わたし、逆らえなくて。でも、あなたみたいな人が、あんなみすぼらしい子に本気だったなんて、そんなことあるわけないわ。だから……!」
シンヴァルトの射貫くような視線に気付いた娘は慌てて口を閉じた。だが、もう遅い。
「彼女は俺の光だったというのに……俺はおまえを許さない。シェゾナやフィセルのように、おまえにも女神の鉄槌が下るだろう」
「そこまでですわ、シンヴァルト様。お気持ちは分かりますが、これ以上は、約束違反ですわよ」
シンヴァルトは黙り、腕組みをして窓の外を眺めはじめたが、ロクサーヌはガタガタと震えている。マグレーテは、聴取が難しくなったことに苛立ち、何度も扇子を開いたり閉じたりした。
(やはり、シンヴァルト様はお連れするべきではありませんでしたわ……)
<九話登場人物>
▼特別調査隊
マグレーテ:主人公、婚活脳
アノン少尉:お使い中
イアノーラ曹長:いるけれども出番なし
▼エライリー侯爵家
シンヴァルト:婚約者候補筆頭、怒髪天
▼アドベック男爵家
ロクサーヌ:自暴自棄、いじめ加害者
男爵:養女ロクサーヌへの愛情はあるらしい
▼ベイハイム伯爵家
†フィセル:水中で変死(1)、いじめ加害者
▼エイザー伯爵家
†シェゾナ:水中で変死(2)、いじめ加害者
▼?
ルクリス:ベイグリッドの友人、偽手紙の容疑者?
▼騎士爵家
†ベイグリッド:いじめの果てに水中で変死(0)