(四)特別調査隊長
「はああ、疲れましたわ……。セバズ、お茶、いいえ、ウィスキーよ。1杯飲まないとやってられませんわ!」
ソファに体を投げ出したマグレーテは行儀悪く足だけ使って靴を脱ぎ捨てた。困り顔で靴を片付けるルルを横目にセバズレンはため息をつく。
「お嬢様……何から申し上げればよいのか、もはや分かりませぬ……
大体、蒸留酒などお嬢様には早すぎます。ホットワインをお持ちしますから、1杯だけ召し上がって、湯浴みしてお休みになって下さいませ……ルル、ルル!湯浴みの用意を!」
伯爵夫妻、ビオジェロからの聞き取りに引き続き、その後も遺体の運び出しの采配、皇城から派遣された調査隊への対応など、やることは目白押し。今は白々と夜が明けようという時刻だ。
ホットワインに目がないマグレーテは、跳ね起きてソファに座り直した。
「いいですわね、ホットワイン!お願いするわ……しかし、立て続けに起きた事件に、呪い。大変そうですが、お引き受けしたからには、何としてもこの事件はわたくしが解き明かしてみせましょう」
そんな彼女は先ほどまでのことを回想していた。
「危ないことはいけませんぞ」というセバズレンの言葉は右耳から左耳に抜けて行った。
◆
遺体の運び出しを終え、エイザー伯爵一家を送り出したマグレーテを待っていたのは、皇城から来た調査団、というよりも皇帝その人への対応だった。
「陛下……このような些事に自らお出ましになるとは……」
「何を仰りますの、マグレーテ様?親友の苦境に駆け付けることもできなければ、国民から笑われますことよ?」
女帝ヒューミリア1世。子爵令嬢から女帝に駆け上がった彼女の口調は、以前と変わらず国の元首ではなく貴族令嬢のそれだ。その実力、いや戦力は覇者以外の何者でもないというのに。
「仕方ありませんわね、陛下ときたら……婚活に苦しむ者同士、情報共有と行きましょう」
「マ、マグレーテ様、共有するのは事件に関することだけでよろしくてよ?婚活のことはまたの機会に……」
「いいえ、いけません。陛下の婚活の方が私のより余程重要に決まっているでしょう?」
「うう、意地悪ですわ……」
そんなやり取りがありつつ、実際に行われたのは主に事件についての情報提供だった。
「ベイグリッドの呪い、というのは私の耳にも入っていますわ。エイザー伯爵家から、調査するよう奏上されておりましたの。エライリー侯爵家ご子息のシンヴァルト様からも、ベイグリッドという娘の虐めについて調査するようしつこく奏上されましたわ」
意外な話にマグレーテは扇子で口元を押さえた。そのような要請があったということは、シンヴァルトからのベイグリッドへの想いはどうやら本物だったのだろう。
「実際に調査は進められておりますの?」
「呪いなんて馬鹿げたことがあるはずないと突っぱねておりましたが、今回の件で調査せざるを得なくなりましたわ。もし、他にもベイグリッドを苛めた方がいらっしゃるなら、次の被害者が出るかも知れませんもの」
これで、国と公爵家の両方で調査が進むことになる。マグレーテは1つの案を持ちかけた。
「陛下、今日の事件は公爵家とわたくしの顔にこってりと泥を塗ることになりましたの。わたくし、必ずこの事件を解決するように、と命じられておりまして……よろしければ、陛下からもご命令として、わたくしにこの調査をお任せくださいまし」
女帝は少し思案し、これを受け入れた。
「分かりましたわ、マグレーテ様。ですが、公爵様のご命令と勅命、両方を引き受けるとなるとその責任は重大ですわ。本当によろしくて?」
「望むところですわ。それに、陛下にもお父様にもちゃんと助けていただきますもの」
女帝は感嘆した。
「それでこそ私のマグレーテ様ですわ。調査のために憲兵隊から借りてきた人員をお付けしますから、役立ててくださいまし。貴方の肩書は……そうですわね、帝国軍史料編纂室特別調査隊長といたしましょう。
アノン、イアノーラ、ご挨拶を」
紹介されたのは生真面目そうな青年士官アノンと、その部下で少し頼りなさげな女性兵士イアノーラだった。
「アノン・オノッグ少尉であります。全力で任務に当たらせていただきます!」
「イ、イアノーラ・ファレス曹長です。よろしくお願いします」
「マグレーテ・アークネストですわ。屋敷にお部屋を用意いたしますから、準備でき次第そちらに滞在なさってくださいまし。今日はもう遅いですから、一度解散いたしましょう。これからどうぞよろしくお願いいたしますわ……」
時刻はもう夜明け前。彼女が自室のソファでお行儀悪くする、10分前であった。
◆
ベイグリッドの父、帝国軍教官ヴィンローは最近になって職務復帰したという。結成の翌日、特別調査隊の仕事は彼への調査から始まった。
「ごきげんよう、ヴィンロー様。わたくしは勅命でベイグリッドさんを巡る事件を調査しております、マグレーテと申します。本日は、調査に応じていただき感謝いたしますわ」
兵舎の一角に設けられた応接室は質素で、目の前の男性は酷く憔悴している様子だった。傍らのイアノーラが記録のためペンを走らせる。
「はい、よろしくお願いします。娘を弔ってからやっと復帰したのですが、呪いだなんだと言われて遠巻きにされるので、すっかり参ってしまっておりまして……確かに娘は恨みを抱いて亡くなったと思いますが、呪いだなどと言われてはあまりに不憫でございます。何とかお助け下さい」
応接室の簡素な絨毯に、しずくがぽたりと落ちるのを見たマグレーテはこのまま取り調べを続けて良いのかと逡巡したが、意を決して尋ねた。
「お辛いとは存じますが、率直にお答えくださいませ。ヴィンロー様は、ベイグリッド様とエライリー侯爵家のシンヴァルト様との関係について、どの程度把握されていたのでしょうか」
ヴィンローは顔を上げ、必死さを滲ませて答えた。
「あの二人は心底好き合っていたと思っとります。私は娘に関係を諦めるようにと何度も言ったのですが……泣く泣く娘が別れを切り出しても、シンヴァルト様がお許しくださらぬと……エライリー閣下も諦めて、一度娘を養女として引き取る話が進んでおったのです。世間で言われるように娘がシンヴァルト様に色目を使ったことなど、決してございません」
マグレーテはその様子に娘を信じる父の愛の強さを感じ、圧倒された。しばらく言葉を返せずにいたところ、他の教官へ聞き取りに行っていたアノンが戻って来たので、少しホッとした。
「ご苦労様、アノン。何か分かったことは?」
アノンはマグレーテに耳打ちした。
「ベイグリッドは教練所にも差し入れを持って来るなどしていたそうです。朗らかな娘で教官らに可愛がられていたようですが、半年ほど前から次第に元気を失い、教練所に顔を見せなくなったようです」
マグレーテはそれを受けて尋ねた。
「ヴィンロー様、養女の話が持ち上がったのはいつ頃ですの?」
「はい、半年ほど前でございます」
(騎士爵の娘、平民のベイグリッドでも侯爵家の養女となればシンヴァルト様の正妻となる可能性が現実味を帯びて参りますわ。それが検討され始めた頃から元気がないということは、それを知った令嬢たちが、焦りや嫉妬から不埒な行動に走ったということでは……)
「二人の関係についてはエライリー家に確認すれば良さそうですわね。では次に、フィセル・ベイハイム様、シェゾナ・エイザー様とベイグリッドさんの関係については何かご存じかしら」
ヴィンローは傍らにあった冊子を、震える手で差し出した。
「娘の、日記です……。あの方たちが何をなさったのか、書かれております。お預けしますので、事件の解決にお役立てください」
マグレーテが受け取ったその冊子は、少女の悲しみ、恨みが染み込んだようで――実際よりもずっと重いもののように感じられた。
<四話登場人物>
▼特別調査隊
マグレーテ:主人公、婚活中、お行儀悪し
アノン少尉:生真面目系
イアノーラ曹長:頼りなさげな書記
▼アークネスト公爵家
セバズレン:執事の1人(事実上、マグレーテ専属)
ルル:マグレーテの専属メイド
▼皇家
ヒューミリア:女帝、マグレーテの親友、婚活中
▼ベイハイム伯爵家
†フィセル:水中で変死(1)、いじめ加害者
▼エイザー伯爵家
†シェゾナ:水中で変死(2)、いじめ加害者
▼エライリー侯爵家
シンヴァルト:婚約者候補筆頭、ベイグリッドの元恋人
▼騎士爵家
†ベイグリッド:いじめの果てに水中で変死(0)
ヴィンロー:ベイグリッドの父、帝国軍教官