(十九)いかがわしい
史料編纂室に向かうよう女帝に言われたマグレーテだったが、先に保護したルクリス、負傷したルルを見舞うことにした。その間に、女帝から出された先触れが編纂室に行くはずだからである。
城内でアークネスト家の使用人が使うための控室の1つ、そこに2人は保護されている。その戸口には衛兵が配置されていた。
「任務ご苦労様ですわね。何か異常はありまして?」
「マ、マグレーテ様。はい、異常はありませんが……今は、その、お入りにならないほうがよろしいかと……」
(……歯切れの悪い仰り様ですわ……いえ、何か気まずいことがある感じですわね)
「なぜ、入らない方が?」
衛兵は目を逸らした。
「その……なにやらいかがわしい雰囲気で……」
「何ですって?少しそこをお退きなさい」
マグレーテが扉にツカツカと歩み寄ると、室内の声が漏れ聞こえてきた。
——そんな、ちょっと……くすぐったいです……
——うちはこういうのが得意なんじゃ。じっとしいや。
——でも、こんなの初めてでって、あはは、変な感じ……
——な、気持ちええやろ
マグレーテは顔を真っ赤に染めると肩を小刻みに震わせた。
「な、なんて破廉恥な……!」
そしてノックもせずに戸を開けると室内に踏み込んだ。
「あなたがた、一体何を!」
彼女の目に飛び込んだのは、半裸でベッドにうつ伏せになったルルと、その脇で腕を組みニヤニヤした表情のルクリスだった。
ルルはうつ伏せのまま首をひねり、マグレーテに上気した顔を向けると、驚き目を見開いた。
「お、お嬢様!いきなりどうなさいましたか?」
マグレーテは扇子でサッと顔を隠し重ねて問いかけた。
「衛兵がいかがわしい声がすると言うので踏み込んだのです!一体これはどういう状況ですの?」
「それみい、ルルっちが変な声出すから誤解されてもうたわ。嬢さん、えらいすまんかったのう。この子が昨日、筋を違えた所をうちの魔法で揉みほぐしとったんや」
「そ、そういうことでしたのね。いきなり踏み込んで悪かったですわ……それにしても、便利な魔法ですのね」
「うちは触手魔法と呼んどる。透明な触手みたいなのを操るんや」
マグレーテは扇子を閉じ、唇に添えた。
「なるほど、学院のクラスメートやオブロたち暴漢を締め上げたというのがそれでしたのね」
「そうじゃ。それでベイギーと喧嘩になってしまったのは辛かったのう……」
ルクリスの表情に影がさす。さらに、マグレーテには彼女に告げなければならないことがあった。
「……あの、ベイグリッドさんの件ですが……心して聞いて下さいませ……オブロが、自殺に見せかけて彼女を殺害したと、自供いたしましたわ」
数瞬、部屋を沈黙が支配した。ルクリスは俯き、やがてその肩が震え出し、握り締めた拳まで震え出した。そして、やおら顔を上げて吠えた。
「あんのクソ!昨日、殺いておけば良かった!クソ!クソ!クソ!あーっ、かわいそうなベイギー!死にたくて死んだんやなかったんかあ……」
涙をボロボロと流し泣き喚く姿に、再度扇子で顔を隠したマグレーテも、シーツを引き寄せたルルもまた、涙した。
◆
涙を収めたマグレーテがイアノーラを伴って史料編纂室を訪れたのは昼前であった。アノンとルルが負傷したので、今、調査隊で無事なのは彼女と数名の憲兵だけなのだ。
暗く寂しい回廊の先、ポツンと扉があるのが史料編纂室だ。シン、と静まり返った通路に2人の足音だけが響いている。扉の前にたどり着いたマグレーテは、いつもはそこにいるはずの衛兵がいないことを不審に思った。
「衛兵がいませんわね?イアノーラ、警戒してくださいまし」
トン
マグレーテは、肩を叩かれたと思い振り返るが誰もいない。
「イアノーラ、わたくし、肩を叩かれたような」
イアノーラは振り向くと、目を見開いた。
「た、隊長、動かないでくださひ」
「な、何ですの?」
戸惑うマグレーテの肩に、イアノーラが突きを入れるように素早く手を伸ばす。そして肩から何かを摘み取り、遠くへ投げた。
「わ、わたし、こういうの苦手で……え、あ、天井……イヤーッ!」
顔を真っ青にした彼女は素早く目の前の扉を開け、マグレーテを置いて室内に逃げ込んだ。
「……?、天井?」
取り残されたマグレーテは天井を見てしまった。
蟲、蟲、蟲……巨大な芋虫が天井を蠢いている。先ほどマグレーテの肩に落ちてきたものは、この巨大な芋虫の一匹だったのだ。それを悟ったマグレーテは、悲鳴も忘れ意識を手放した。
◆
(ああ、またこの天井ですわ……)
マグレーテはまた、史料編纂室の救護室で目を覚ました。室外からは怒声が漏れ聞こえてくる。
「何を考えている、貴様!部屋のすぐ外で回収できたからいいようなものだが、あんなものが方々に逃げ出したら騒ぎになると分からんのか!」
「あれはなぁ、大人しい蝶の幼虫だぁ。悪さはしねぇよぉ」
「現にマグレーテ様がお倒れになったろうが!まったく、衛兵が芋虫に驚いてお前を探している間にマグレーテ様がいらっしゃるとは、間の悪いことだ!」
「ご令嬢にはぁ、刺激が強すぎたかぁ。普段はぁ、おまえみたいなガサツな女しかいねぇから分からんかったよぉ」
「減らず口を!お前こそ、いかがわしい実験ばかりしおって!」
(この声はキュノフォリア様ですわね)
魔道具師キュノフォリア。魔道具の鬼と呼ばれる彼女は女帝ヒューミリアが最も重用している側近格の一人である。マグレーテは控えていたイアノーラに支えられて起き上がった。
「……隊長、さ、先ほどは、逃げ出してしまい、も、申し訳ありませんでした」
「あれは、仕方ありませんわ。とにかく一体何がどうなっているのか聞いてみましょう」
救護室を出ると、言い争っていた2人は一斉にマグレーテを見た。そして、まずセリネが口を開いた。
「来たなぁ、グレーテル。検出薬はぁ、できているぞぉ。なぁぜもっと早く来なかった……おかしい……折角……」
ゴン!
キュノフォリアがセリネの頭をしたたかに打ち据えた。
「貴様!第一声がそれか!巨大蟲を逃がしたことを、まず謝らんか!それに、この方はグレーテルではなくマグレーテ様だ!」
「あいてぇ!逃げてもどうせ飢えてすぐ死ぬからと思ったんだがよぉ、驚かせて悪かったぜぇ。検証用に巨大化薬を使ってみたんだぁ……どうだった?すごかったろう……すごくない?」
「驚きましたが、全部捕まえたなら、もう良いですわ」
マグレーテは既に、この変人に色々言っても無駄だと悟っていた。実害が出るようなことをしなければそれでよい。
「そうかぁ、ならぁ、早く巨大化薬の検出薬を試そうぜぇ……早くぅ……」
「……ええ、そうしましょう」
◆
テーブルに直接載せられた巨大な芋虫。戸惑うように首を振る姿をマグレーテは少しだけ可愛らしく思った。
「まずぅ、この巨大芋虫に検出薬を垂らすぅ……」
セリネがフラスコから真っ黒な液体を1滴、芋虫の背に垂らす。虫はモゾモゾと身をよじり、やがて七色に光り出した。
「意外と派手な反応ですのね……」
マグレーテは思わず感心する。次に普通の芋虫に液体を垂らしたが、何も起きなかった。
「さぁて、本番だぁ!」
皆が見守る中、ベイハイム邸から回収されたマガリムシの卵に検出薬を垂らす。それをよく見れば、小さく七色の光が放たれるのが分かった。
「……確定ですわね。夫人の部屋にあった瓶には確か、愛しい人との夢を見られる薬、とありましたが……
おそらくシンヴァルト様が変装の魔法で商人にでも化けて、フィセル様にそれを売ったのですわ。万全を期すために何本か売られたうちの1本が夫人に渡ったのでしょう」
部屋の隅から見守っていたイアノーラは、誰にも聞こえないように独り言ちた。
「真面目にやっているけれど、いかがわしい実験よね……」
<十九話登場人物>
▼特別調査隊
マグレーテ:主人公、やっぱり気絶は淑女の嗜み
イアノーラ曹長:虫は苦手
ルル:いかがわしいことに
▼皇家
ヒューミリア:女帝、濡れ衣被せの作業中
衛兵:いかがわしいのを聞かされたり巨大芋虫に驚かされたり何かと大変
▼史料編纂室
セリネ:変態薬師、芋虫発生源
キュノフォリア:魔道具師、すぐキレる
▼エライリー侯爵家
シンヴァルト:変装名人、復讐鬼、逃走中
▼不良庭師
オブロ:ベイグリッドの殺害犯
▼騎士爵家
†ベイグリッド:いじめの果てに水中で変死(0)
▼ベイグリッドの友人
ルクリス:触手がいかがわしい、大号泣