(十七)変装の魔法
「こちらでございます、マグレーテ様」
代官に案内された客間は、少し狭かったが貴人を滞在させるのに何とか堪えられる設えであった。室内には憲兵が2人。屋敷の下男と憲兵でシンヴァルトを囲んでいたが、気付くとその姿がなかったのだという。
「代官、貴方もこちらで監視を?」
「は、はい。大変申し訳」
「目を」
マグレーテは代官の言葉を遮り、その顔に手を近付けた。
「な、何をなさいます?」
「いいから、じっとしてくださいまし」
マグレーテの手が仄かに白く光る。そしてその目は代官の瞳をじっと覗き込んだ。代官はうろたえたが、やがて頬を赤らめた。
「……そのように見詰められますと……そ、そう言えば貴女は婚約者探しをされていましたな。まさか、私を……」
マグレーテはなおも代官の目を覗いていたが、代官が気持ち悪く身をよじらせたあたりで視線を外した。
「変装の魔法ですわね。シンヴァルト様は魔法で他人になりすましたのですわ」
同行していたルルが手を合わせて感激する。
「さすがお嬢様。目撃者の目を魔法解析してどんな目くらましがあったのか見抜かれたのですね!」
そして代官にはゴミを見るような視線を向ける。
「それにしても、先ほどのは……気持ち悪すぎでした。ねえ、マグレーテ様」
「……その態度はさておき、不埒なご発言は、二度は許しませんことよ」
マグレーテにも窘められ、代官は小さくなった。
(……これでシンヴァルト様も候補脱落、ビオジェロ様は相変わらず無様でしたし、この方は論外ですわ。私の婚活は一体……いいえ、今はそれどころではありませんわ!)
「シンヴァルト様が他人になりすましているとなると、まだ屋敷に留まっているかもしれませんわ。片っ端から魔法解析をかけて回りましょう」
そして手始めに、と客室内の憲兵に掌を向けると一方の憲兵が申し出た。
「先ほど捜索のためにアノン少尉が室外へ向かわれました。シンヴァルト様が邸内にいらっしゃる可能性があるなら、呼び戻した方がよろしいのでは」
「アノン少尉ならまだ休ませているはず……大変、そのアノン少尉はシンヴァルト様がなりすました偽物ですわ!」
マグレーテは慌てて部屋を飛び出した。ルルと代官、部屋にいた憲兵も続く。
「アノン少尉を見かけませんでしたこと!?」
マグレーテは会う人ごとに聞いて回る。
「少尉でしたら客間の奥の寝室で休まれていますが?」
「それとは違う少尉がいるのですわ!」
「?」
こんなやり取りを数度した後、とうとう玄関から出て、あたりを見回した。と、そのとき。
「この魔法、姿は変えられても声は変えられないのだが、存外、分からないものだね」
部屋から着いてきた憲兵、先ほどアノンのことを知らせた彼が、マグレーテを追い抜きざまにそう言うと、その姿はいつの間にかシンヴァルトに変わっていた。
種明かしをすれば、彼は監禁されていた部屋で一度、皆が目を離した隙に憲兵に化けて姿をごまかした。そして騒ぎになれば、それに乗じてアノンに化け直して一度部屋を出たのだ。
自分でアノンを昏倒させており、彼がすぐに任務に戻れる状態ではないことを分かっていたシンヴァルトは、変装魔法を使ったことが露見した場合に備えて保険をかけたのだ。魔法解析の使い手であるマグレーテがいる以上、その可能性は低くはないと思われたからだ。
玄関ホールでオブロが尋問されていたとき、彼は再び憲兵の姿となってその場に紛れ込んでいた。そして何食わぬ顔でそのまま部屋に戻っていたのである。
「なんてこと!してやられましたわ!」
「まだ捕まるわけにはいかない……父上が偽手紙に関わっていたと分かった以上、この手でその責任を取らせなければならないからな!」
最も知られてはいけない相手に、最も知られてはならないことを知られてしまった――マグレーテは臍を噛んだ。
「なぜそれを!……まさか、オブロを尋問していたときにはもう、玄関ホールに紛れ込んでいましたのね!」
「そうさ。その後で君たちの裏をかこうと元の部屋に戻ったが……変装の魔法を見抜くとは流石だよ。だが、外に出られたのだから、もうこっちのものだ」
ここ、エーリコは帝都に近く、それなりに人通りが多い町だ。変装の魔法を使って人混みに紛れてしまえば見つけ出すのは難しいだろう。捕らえるなら今が最後のチャンスだ。
「逃がしませんわよ!ルル、捕まえて!」
「はいお嬢様!」
ルルが飛びかかると、シンヴァルトは今度はセバズレンに姿を変えた。
「この痴れ者!執事に飛び掛かるなど言語道断ですぞ!」
メイドであるルルにとって、執事たるセバズレンははるか上位の存在だ。偽物と分かっていても、ルルは一瞬動きを止めてしまう。その隙にシンヴァルトはルルの後ろに回り込み、腕を取って捻り上げた。
「くっ、申し訳ありま……せん」
人質を取られマグレーテは一気に不利な状況となった。この場で拘束することは困難と判断した彼女は扇子を広げ口元を隠した。
「私の判断ミスでしたわ、ルル。この場は私の負けですわね」
シンヴァルトは変装を解き、虚を突かれたように答えた。
「やけに諦めがいいじゃないか。君はもっと苛烈な人だと思ったのだが」
「どのみち、今の人員で貴方とオブロを同時に護送するのは難しかったのですもの。それに、今度は貴方の方に、わたくしたちへのご用事ができるはずでしてよ?」
「どういうことだ?」
「オブロにはきっと余罪がありますわ。この町でも窃盗で捕まるような悪党ですもの、偽手紙を送っただけのはずがないでしょう。オブロは皇城に収容いたしますから、ご用事があればいつでもおいでいただいてよろしくてよ」
シンヴァルトは顔を真っ赤にし、肩を震わせた。腕を捻る手に力が入り、ルルが苦悶の表情を浮かべる。
「……父に復讐するなら刺し違える覚悟が必要だ。君はその前にオブロを殺しに来いと、そう言うのか!」
マグレーテは扇子を閉じ、シンヴァルトに正対した。
「ええ。察しの良い方は、わたくし好きですわよ。なのに、貴方との婚約は難しくなったみたいでとても残念ですわ」
そして閉じた扇子をビシリと向ける。
「……さあ、もうよろしいでしょう?ルルを放してどこへなりともお逃げなさい!」
シンヴァルトは無言でルルを突き飛ばし、踵を返して町中へと走り去った。マグレーテはその目に涙が光ったのを確かに見た。
(悔し涙、ですわね。可哀想な人……)
<十七話登場人物>
▼特別調査隊
マグレーテ:主人公、婚活は暗礁に乗り上げた
ルル:ゴミを見るような目、不覚をとって涙目
憲兵:今回、何人も参加している
▼エライリー侯爵家
シンヴァルト:変装名人、復讐鬼、悔し涙
侯爵:偽手紙の差出人
▼代官屋敷
代官:キモい、婚約者候補としては問題外
▼不良庭師
オブロ:嫌がらせ実行犯、拘束中
▼アークネスト公爵家
セバズレン:ルルの上司、姿をパクられる