(十一)変態薬師
アドベック家で気を失ったマグレーテは、見知らぬ部屋で目を覚ました。
「……ここは?」
「ああ、良かった、お嬢様。お目覚めになられました!」
付き添っていたのはルルである。知らぬ部屋に、見知ったメイドの姿。思いもよらない状況にマグレーテは混乱した。
「一体、何がどうなっていますの?」
「アドベック邸でお嬢様が倒れられた後、イアノーラ様が救援を呼ばれて……お嬢様は駆け付けた史料編纂室の部隊に、ここまで運ばれたのですよ」
「ここは、皇城ですのね」
「はい。史料編纂室の救護室です」
史料編纂室は帝国軍の諜報部であるが、最近では女帝ヒューミリアの「長い手」としての性格を強めつつある。
そこに、その女帝自身が入室してきた。
「マグレーテ様……良かった、心配しましたわよ」
「ああ、陛下……申し訳ございません。事件の謎は、まだ」
「いいえ、お手柄でしたわ。蟲のせいで令嬢たちが亡くなったことが分かったのですもの」
「蟲ですって?」
マグレーテはロクサーヌから這い出した“何か”を思い出し、また、軽いめまいを覚えた。
「ええ、あの蟲そのものは恐慌状態になったアドベック男爵が魔法で焼き尽くしてしまったのですけれども、同席されていたシンヴァルト様が、マガリムシに違いなかったと」
「マガリムシ……芥子粒ほどの小さな虫ですわよね?あんなに大きなものがいると仰りますの?」
マガリムシはよく知られた寄生虫で、主に下肢に湿疹を形成し、酷い痒みをもたらす。脚を水に浸けたり水で濡らしたりすると、疹から虫が抜け出しやがて治癒するという、不快な害虫である。
しかし、ロクサーヌから這い出したそれは、赤ん坊の腕ほどもの大きさだった。水中に抜け出す性質こそマガリムシのそれだが、大きさがあまりに違いすぎる。
「シンヴァルト様は普段から拡大視の魔法で見慣れているから間違うはずがないと。あの方、学院で研究なさっているそうですわね」
「てっきり、魔法薬を利用した殺人事件だと思っていたのですが……先に亡くなってお2人にも場所は違えど同じ傷があって水中から見付かったのですから、皆様同じ蟲の被害に遭われたということですわね。
それにしてもあのように大きなマガリムシがいるとは、悍ましさの極みでございますわ」
「……そうですわね。しかし、ベイグリッドを虐げた令嬢3名が揃って同じ蟲のために亡くなったのならば、人為的なものに違いありませんわ。マガリムシも、何らかの手段で巨大化させたものかもしれませんわね」
女帝も気持ち悪く思ったらしく、自分の体を抱きしめるようにしている。
「……まさか、それが魔法薬の効能なのでは?」
マグレーテが呟くと同時に、男が入ってきた。着ている白衣のあちこちに染みが点々と広がり、白髪はぼさぼさで、瞳だけが異様な光を放っている。
その男は、マグレーテがルルに運ばせたあの瓶をつまみ上げ、ニタァ、と笑ってから口を開いた。
「おぃ、あんたがグレーテルさんかぁ?あんたのところのメイドが持って来た瓶だけどよぉ、調べてやったぜぇ」
女帝はそれをキッと睨み付けて怒った。
「セリネ様!淑女が休んでいる部屋に、殿方が入り込んではなりませんわ!出てお行きなさい!それに、この方はグレーテルではなくマグレーテ様ですわよ!」
「俺ぁ、人の名前なんかに興味ねぇんだぁ!それよりグレーテさんよぉ、この瓶の中身はただの水だったんだなぁ……ただの……水……なんで……クソ……忙しいのに」
セリネと呼ばれた男は女帝に視線すら向けず、話しながらだんだん下を向き、ブツブツ言い出した。
その姿にマグレーテは唖然とした。仮にも皇帝であるヒューミリアに、これほどまでに無礼な口をきくとは……後半など独り言であるが、どうやら悪態のようだ。
それはそうとして、ベイハイム家で回収した瓶に入っていたのがただの水とは、意外なことである。
「わたくしは大丈夫ですからそのままお願いしますわ、セリネ様。改めて、わたくしマグレーテ・アークネストと申します。……この度はお調べいただき感謝いたしますが……お預けした瓶には微かでしたが確かに魔法薬の反応がありましたの。水しか入っていなかったとは、何かの間違いではありませんこと?」
セリネはガバリと顔を上げ、ベッドに座るマグレーテに詰め寄ると目を剥いて反駁した。
「あぁ?俺の仕事にケチをつけようってかぁ?言っちゃ悪いがこの国に俺より優れた魔法薬師はいねえぞぉ……分かってねえな……この……」
「でも魔法薬の痕跡は本当にありましたのよ?」
マグレーテはたじろぎつつも、気丈に反論した。
「だぁかぁらぁ、ただの水だって言ってんだろぉ。瓶から掻き出したものがここにあるから、もう一度調べたらいい……水……ただの……水、水、エヘヘヘ……」
セリネは細いガラスの管を差し出した。その先端にわずかに液体が入っている。マグレーテは手をかざし、魔法解析を励起した。
「ほらやっぱり……あら、何もないですわね?これ、本当にあの瓶の中身ですの?」
セリネは顔を顰め、白衣のポケットから瓶を取り出してみせた。
「何ならこっちも調べたらどうだぁ?」
再び手をかざすマグレーテ。
「やっぱり魔法薬の痕跡がありますわ」
「……ああん?その魔法、何かおかしいんじゃねえのかぁ?……おかしい……おかしくないと、おかしい……」
その言葉に女帝が目尻を吊り上げた。
「私のマグレーテ様を侮辱するなら不敬罪で逮捕しますわ!」
これにはマグレーテばかりかセリネも黙った。いくらなんでもメチャクチャである。
「……セリネ様は確かに不敬でしょうけれども、それはわたくしに対してではなくて、陛下に対する態度の話だと思いますわよ」
ぷりぷりと怒る女帝ヒューミリアに、マグレーテはため息を付いた。
<十一話登場人物>
▼特別調査隊
マグレーテ:主人公、失神は淑女の嗜み
イアノーラ曹長:事後処理は的確
▼アークネスト公爵家
ルル:マグレーテの隠密メイド
▼皇家
ヒューミリア:女帝、マグレーテが大好き
▼史料編纂室
セリネ:変態薬師、人の名前には興味がない
▼エライリー侯爵家
シンヴァルト:婚約者候補筆頭、マガリムシ研究者
▼アドベック男爵家
†ロクサーヌ:水中で変死(3)、いじめ加害者
男爵:何か焼き尽くす系の魔法が使えるらしい
▼騎士爵家
†ベイグリッド:いじめの果てに水中で変死(0)