騎士団長様と初恋の小瓶
ハートに星に薔薇の花のモチーフ。
この季節、店には朝だけ光が差し込む。
棚に並べられた可愛らしい小瓶が、朝日を浴びてキラキラと輝いている。
小瓶の一つ一つに詰められたのは、特別製の魔法薬だ。
小瓶は、西の砂漠に住むという子人たちが作ったものだ。
ここまで精巧な細工の小瓶を作ることができるのは彼らだけだ。
デザインだけでなくもちろん機能面でも最高の品なのだ。
そのとき、閉め切られた薬草の香りに満たされた店内に爽やかな香りの風が吹き込んできた。
そこに立っていたのは、可愛らしい内装にはそぐわない泥にまみれた人だった。
しかし、泥まみれであろうと真夜中の空のように漆黒の髪、そこに浮かぶ月のような瞳を持つ彼の野性的な美しさは少しも損なわれることがない。
(泥だけじゃないわね……あれは血かしら)
歩くたびにガシャッと鎧が音を立てる。
けれど私が慌てることはない。
なぜなら彼は常連さんなのだ。
「いらっしゃいませ。騎士団長様」
「……ああ、今日は急ぎで回復薬を」
「何本ご入り用ですか?」
「……この店の在庫全部出してくれ」
その言葉の意味は一つしかない。
私は慌ててバックヤードに駆け込むと木箱いっぱいの回復薬を持って騎士団長様の前に差し出した。
「――――いつもすまない」
「いいえ、王国の平和を守る騎士団長様のお役に立てて幸いです」
騎士団長様はカウンターに聖金貨を一枚置くと、木箱を持って走り去った。
(……今回も激戦だったのね)
回復薬は多めに作っていたけれど、足りるだろうか。
「追加で作っておこう」
あれだけの量の回復薬を手に入れるのは難しいとしても、報酬が聖金貨だなんて多過ぎる。
けれど、返すよりも素材を買ってお役に立てるように努めるほうが良いだろう。
「……どちらにしろ、騎士団長様には返しきれない恩があるのだから……」
しばらくの間、物思いにふけったあと、私は素材を大量に発注し、回復薬を作り始めたのだった。
* * *
それから騎士団長様は何度も店を訪れた。
今回の魔獣討伐は神獣クラスの魔獣が現れて騎士団は大きな打撃を受けたという。
そして3日前から騎士団長様は、店を訪れていない。
ようやく怪我人に回復薬が行き渡ったのだろう。
「さて、通常注文の魔法薬作りが遅れてしまっているわ。急がないと」
今、手にしているのは老夫婦のための魔法薬だ。この小瓶の中には小さな海が広がり、ハートが浮かんでいる。
(……恋愛結婚だった二人が、出会った当時の思い出を鮮やかに思い出すための魔法薬)
この魔法薬を作るのは少々大変だった。
記憶をよみがえらせるだけでなく、本人たちが出会って恋に落ちた瞬間を再現する必要があるからだ。
浮かぶハートは恋を叶えた人魚が魔法を掛けた宝石の欠片だ。
エメラルドグリーンの海の中、ユラユラ揺れるハート。眺めるたびに幸せな気持ちになる。
この小瓶は二人きりで蓋を開け香りを嗅ぐことで使うことができる。
その時、来客を告げるベルがカランカランと音を立てた。
「いらっしゃいませ」
「……ああ」
「まだ、回復薬が足りないのですか? ご安心ください。たくさん作ってありますよ」
「いや、君のおかげで王都にたどり着いた騎士は全員命拾いした」
「……そう、良かったです」
今はこの店に隠れるように生きているけれど、私はだいぶワケありで騎士にはかつての知り合いも多い。
「今日は礼をするために」
「まあ……。でも、十分すぎるほど報酬をいただきました」
「顔色が優れない。まともに寝ていないのだろう?」
騎士団長様の言うことは事実だ。
薄化粧をして気づかれないようにしていたつもりだけれど、洞察力に優れた彼にはお見通しのようだ。
「大丈夫です……回復薬が役に立ったのなら」
その時、急なめまいを覚えて私は倒れ込んでしまった。
騎士団長様がカウンターを飛び越え、私を抱きとめる。
――――ガチャン。
小瓶が割れると、小瓶から甘い薔薇の香りとたくさんのハートが飛び出した。
こうして私たち二人が恋に落ちた瞬間を再現する魔法は、ここに発動したのだった。
* * *
「本日より護衛を務めます……ディアス・バリオスと申します」
「騎士団長バリオス卿……あなたに護衛していただけるなんて光栄です。シュリア・フェンテですわ……。どうぞよろしく」
それは私たちの初対面の記憶……のはずだ。
当時私は第一王子の婚約者で、騎士団長様は護衛を務めてくれた。
初恋の記憶……騎士団長様もこの光景を見ているのなら、私の気持ちに気が付かれてしまう。でも、私が騎士団長様を意識しだしたのは、初対面のこの瞬間ではなくてふとしたときの優しさだったはずだ。
(自分でも気が付いていなかったけれど、この瞬間、恋に落ちたのかしら)
「……我が剣は、いずれ王太子妃になられるあなたへ捧げます」
「まあ……ふふ、光栄だわ」
騎士団長である彼が、初対面の私に剣なんて捧げたものだから、変わった人だと……きっと誰にでもこうなのだろうと思ったのだ。
月のような金色の瞳が私を見つめている。そう、今ならわかる。彼は真面目な人なのだ……護衛をするならその相手に剣を捧げて忠義を尽くす覚悟を持った人なのだ。
(だから私は今も生きている……)
「ああ……そうだ、このときにはすでに」
「え?」
私を見つめる金色の目が細められた。
「あなたを愛していた」
「は!?」
これは夢なのだろうか……いや、私はここが魔法の作り上げた世界だと知っている。
その言葉の意味を聞き返そうとしたとき、足元からたくさんのハートが飛び出してきて私の視界を奪う。
* * *
美しい装飾品とドレス……夜会の会場に一人佇む私。
少し離れた場所で、かつての婚約者である王太子殿下は夜会に参加した令嬢たちに囲まれている。
(でも、この場所と私の恋は関係ないはず)
だって、騎士団長様と初めて言葉を交わしたのは先ほどの場面なのだ。
「……騎士団長様」
そのとき夜会会場の端に騎士団長様の姿を見つけた。
彼は金色の目を細め、私に笑いかけ近づいてくる。
「これはシュリア嬢の魔法か?」
「……気が付いておられたのですね」
ここが魔法で作られた世界なのだと認識できるのは、魔法薬を作った私とよほど魔力値が高い人だけだ。
(そうよね……騎士団長様は強い魔法を使うもの)
「美しい世界だ……」
「騎士団長様?」
「シュリア嬢は、困っているものには惜しみなくその魔法の力を使い手を差し伸べていた」
「……え?」
「あなたは知らないのかもしれないが、俺の部下達もあなたのおかげで多数救われている」
確かに私は相手の地位など関係なく、苦しんでいるなら助けたいと魔法薬を作り差し出していた。
けれど、第一王子をはじめとした貴族至上主義者にとっては気に入らない行為だったに違いない。
私の手袋をした手が持ち上げられ口づけが落とされる。
「あなたの汚名を晴らすという約束……もうすぐそれが叶うから」
「え?」
次の瞬間、やはり吹き出すようなハートの魔法、騎士団長様と私の手は離れてしまった。
* * *
気がつけば、床に座り込んでいた。
「貴様との婚約を破棄する!」
そう、それは王太子殿下に無実の罪を着せられて婚約破棄された場面だ。
少々乱暴に手首を掴まれ立ち上がらされる。
「騎士団長様……」
「どうか俺と一緒に来てください」
さりげなく耳元にささやかれた言葉……。王族に婚約破棄されたのだ。秘密を知りすぎた私は処分されてしまうのだろう。
(ああ、でもあなたの手を煩わせず潔い姿だけを見せたいと思うくらいには、このときはもうあなたのことが好きだった)
けれど騎士団長様は、私が人里離れた神殿に入ることになったという情報を流して、私をこの店に連れてきたのだ。
* * *
「騎士団長様以外に私の素性を知っている人や私に害をなす人は入れない不思議な店ですよね」
「君を守るにはそうするしかなかった」
魔法の効果が切れたのだろう。
私たち二人はお店のカウンターの中に立っていた。
「はあ……」
なぜか騎士団長様は切なげなため息をついた。
「君があるべき場所に帰るまで、伝えるつもりはなかったのだが」
抱き上げられて強く抱き締められた。
「あの……」
「君は俺の初恋で、今も唯一愛する人だ」
まだ魔法が残っていたのだろうか……。
私たちを取り囲むハートの魔法。
騎士団長様は私の名誉を取り戻し私はあるべき場所に帰る。
けれどこのお店は私のお気に入りだから、もちろん隠れて営業するつもりだけれど
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楠結衣様主催、騎士団長様ヒーロー企画参加作品です