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輝く栄冠《ほし》に手を伸ばす  作者: 級位の将棋好き
3/3

謎の入門希望者

だいぶ更新期間開いたけどちょっと復活。

オリジナル作品は書くのがなかなか難しいね。

「──ごめんなさいね。本当は一緒に付き添う予定だったのだけれど、急用が入ってしまって……」


「はあ……」


 悠斗曰く、入門希望なる謎の後輩に関する件を訪ねに職員室をやってきた俺を出迎えたのは申し訳なさそうに頭を下げる中年の女性、数学の中村教諭。

 これまでの教師歴(苦労)を思わせるような小皺と、それでいて経験豊富な大人特有の余裕を感じさせる優し気な微笑が特徴的な人だ。


 困った風なのは言葉の通り、何でも急な用事が出来てしまい、同席できなくなったからだとのこと。

 まあそれは良い。それ自体に何の問題もない。

 教師と言えば昨今はニュースでも騒がれる通り、傍から見るよりも多忙を極めるハードな仕事だ。だから俺としても急用とやらを優先して構わないと思ってるし、謎の後輩とやらについても後日に話を聞くという程度の柔軟性だって持ち合わせている。


 だが……。


「これ、進路資料室のカギね。夜桜さんはそこで待ってるから行って会ってみてくれないかしら? 場所は分かるわよね? 第三校舎にある図書室の隣の教室。終わったら閉めといてくれる?」


「え────」


 そういって半ば押し付けられる渡される教室のカギに俺は呆気に取られる。

 まさか一人で会うことになるとは思わず、また教室の戸締りまで任されるとは想定していなかった。


「あの、俺は別に今日じゃなくても──」


「夜桜さんはちょっと人見知りな所もあるけれど、真面目ないい子だからよろしくしてあげてね? 何かトラブルがあっても後で言ってくれればちゃんと私の方でもフォローしてあげられるから気をわずに接してくれていいから。彼女も将棋に詳しいみたいだし、先輩として後輩の面倒は頼んだわよ?」


「あ、ちょっと……」


 動揺している間に流れるように用件だけ言ってのけると、何やら書類を抱えて慌ただしく教室を出ていく中村教諭。俺は制止するよう伸ばそうとした手を暫し、虚空に彷徨わせた後、その手をそのまま後頭部へと持っていき、頭を掻く。


「……参ったな」


 話だけを聞く予定だったのに面倒ごとを押し付けられてしまった。

 正直、苦労するのは研究と対局だけでいい。

 学校生活は可もなく不可もなく卒業できれば上々と思っていたのだが。


「また妙な案件を背負ってしまった……夜桜さん、だっけ? 将棋で夜桜、そんで後輩の、弟子入り希望……ねえ?」


 件の後輩に関しては全く覚えがない相手だが、夜桜という苗字には覚えがある。

 直接的な交友関係はないものの、人づてに夜桜という苗字を持つ人物について耳にした覚えがあるのだ。

 変わった苗字だが無関係である──という可能性も無きにしも非ずだが。


将棋界(この界隈)は狭いんだよな。それに最近は彼女の影響もあって女性の将棋指しの人口が増えてるとはいえ、それでも囲碁ほどじゃない。態々、将棋指しで弟子入り志願ともなれば……なんて、考えてるだけ仕方ないか」


 チャリ、と手に持った教室のカギを弄ぶ。

 半ば押し付けとはいえ、こうして任された以上、無視するわけにもいくまい。

 どうしたものかとため息を吐きつつ、俺は職員室を後にした。



 ──師弟制度は将棋界特有の文化の一つだ。


 プロ棋士になるためにはまずプロ棋士への登竜門である『奨励会』、その下部組織である『研修会』に所属する必要がある。入会したまだ幼い少年少女はまずそこで切磋琢磨し、規定に達する優れた成績を出した者だけが登竜門である奨励会に上がることが出来るのだ。

 だが、成績の他に『奨励会』に入会するにあたって必要な資格がもう一つ。

 それが師匠。既にプロ棋士となっている、師の存在だ。

 プロ棋士を目指す者たちは既にプロとなっている師を仰ぎ、彼らに勝負の世界の心得や直接的な将棋の技を学び、プロ棋士となっていく。


 これに例外はなく、かの『七冠王』も『北海の美剣士』とも呼ばれた北海道を代表するプロ棋士に指導を受けながらプロに上がったし、現代将棋界最強のプロ棋士たる『神童』も師の背中に学びながらプロ棋士となっている。無論、俺もそうだ。


 だから入門希望それ事態は何ら珍しいものではない。

 それなりにプロとして年月を経た者であれば誰もが経験していることだろうし、人柄的に人気だったり、優れた成績を残すようなプロ棋士であればそれこそ男女を問わず、多くの子供たちから入門希望の便りなり、メールなり、連絡なりを受けていることだろう。


「けれど、俺はまだプロに上がってからせいぜい一年かそこら。しかも成績も六割強のパッとしない高校生棋士だぞ……」


 あっという間にタイトルホルダーにまで上がっていった、明星太陽とは対極に俺は結局、中学二年後期に行われた中学生プロ棋士競争に敗れた後、もう一年奨励会で燻り、ようやくプロに上がったのがつい去年のこの頃。

 上がってからは幾つかの棋戦でそれなりの成績を収めたものの、高一でタイトル挑戦と奪取を決めた史上最年少の明星太陽(化け物)や、どこぞの『七冠王』よろしく全国テレビ放送棋戦でいきなり元タイトルホルダーたちを蹴散らし、優勝を決めた奨励会全勝の新人。順位戦にて未だ無敗を誇る史上初の女性のプロ棋士等々、近い世代の活躍ぶりに比べればパッとしない。


「……『三等星』ね」


 いつぞやネットで見かけた己を揶揄する呼び名に口にし、皮肉気に口元を吊り上げる。

 『神童』が八冠達成後のブームに乗じてここ数年で現れた実力者たち。

 『七冠王』率いる世代が『名人世代』と呼ばれていたことに乗じてか、彼ら彼女らは総じて『超新星』と呼ばれている。


 『神童』の独占を脅かす新たなる才能()たち。

 未だ成らずの若き勝負師。

 太陽と中学生プロ棋士の座を争っていた俺も一時期はその輪の中に組み込まれていたものの、蓋を開けてみれば新人戦ですら一回戦で敗れる始末。

 期待を受けながら鳴り物入りでプロに上がった分、失望も大きかったことだろう。

 ここ数年が神懸って豊作だった分、特に。


「ま、いいさ」


 首を振って余計な思考を振り払う。

 元々、他人の評価なぞそんなに気にしない性質だ。

 他人の評価を調べる(エゴサーチ)などしている暇があったら一つでも多くの局面をAIに尋ねてものにしていく方が俺にとっては重要だ。


 ……此処は天才たちの蟲毒壺。

 立ち止まったものから上に行く権利を失う勝負の世界。

 余分なことを気にして立ち止まっている余裕など、無いのだから。


「…………」


 だから、今から会う予定の弟子入り志願者の対応も内心では決まっている。

 ──断ろう。

 俺は未熟で、人に教えられる器も余裕もないのだから。


 そうして気づけば扉の前。

 指定された進路資料室の前に俺は立っていた。

 図書室の横に設置された此処は、高校三年生向けに解放されている教室で、大学向けの資料や過去の入試問題、さらには卒業生の就職先などの高校卒業後に卒業生たちが向かう進路にまつわる資料が収められている。

 普段は使用されず、進路を確定させねばならぬ夏前や受験迫る秋冬などに熱心な生徒たちが訪れている場所で、春も始まったばかりのこの時期では利用者は殆どいない。


 実際此処に来るまですれ違う人物は皆無だったし、見かけても大概それは隣の図書室の利用者であった。


「……はあ」


 思わずため息が漏れる。

 入門うんぬんを抜きに、後輩の女子生徒と二人きり。

 人によっては喜ぶシチュエーションなのかもしれないが、これから行うであろうやり取りを考えれば気も重くなる。ミーハー精神で入門希望ならお互い残念程度で済ませられるだろうが、相手の本気度次第では告白を断るようなものである。


 素直に受け入れるならいいが、ショックを受けられでもしたら居た堪れない。


「せめて別の人を紹介するぐらいの面倒は見なきゃだな……」


 ぼやきながら覚悟を決め、扉を横に引いて開ける。


 光──開く扉の向こうにあった窓の外から降り注ぐ太陽の光を目に映し、思わず目を細める。

 眩む視界に一瞬細めた目を数度瞬きし、光に慣れた頃合いに。

 太陽を背に座る少女の姿を見た。


「────」


 少女は静かに瞑目していた。

 ピンと一本の鉄棒でも入っているかのように伸びた姿勢。

 そっと太ももに置かれた両の手。

 あまりにも堂に入った姿勢は、それだけで美しさを感じる。


 ちゃんとしているのは姿勢だけではない。

 自然のままに延ばされた染一つ無い純黒の長髪。

 制服には皺一つとしてなくスカート丈も標準通り。

 端正ながらも怜悧な印象を与える顔立ちはその真面目なに気性を示すようだ。

 大人びた雰囲気だが、それでいて背丈は丁度俺よりも頭一つ分低いぐらい。


 まさに『優等生な後輩』然とした少女。

 そのような印象を俺は受けていた。


「──あ、っと……君が夜桜さん?」


 だからこそ少しだけ動揺しながら俺は口を開く。

 こんな少女がわざわざ先生を経由して入門希望を俺に届けたのだ。

 俺の悲観の通り、真剣な願いであると考えてまず間違いあるまい。


 ……だからこそ気は余計に重くなる。

 せめて少女が傷つかないよう、誠実に真剣にちゃんと気を使いながら断ろう──。


 そう決めて、俺は一歩踏み出し、気づく。

 少女の眼前。設置された長机の前には将棋盤が置かれている。


「────」


 先ほどとは違う種類の驚きに再び口を紡いだ。

 少し古びた将棋盤に整然と並ぶ8種類各20枚。

 双方の陣に整然と並べられた40枚の駒。


「──一局。平手で持ち時間四十分。受けていただけますか?」


 不意に少女が目を開いて言葉を発する。

 怜悧な印象にそぐわない、人によっては威圧感を覚える滑らかなアルトボイス。

 丁寧に述べられた言葉の意味を俺は数瞬かけて理解する。


“棋は対話なり──か”


 何時からか言われている将棋界に伝わる言葉を内心で反芻する。

 ”私の自己紹介は盤上で”

 そう言わんばかりの申し出を受け、俺は断りの言葉を一度だけ引っ込める。


 机を挟んで少女の前に──将棋盤の前に座る。

 少女を習う様に背筋を伸ばす、両手を太ももの上に乗せる。

 俺の行動を見て少女は僅かにほうっと緊張を吐くように息を漏らす。


 そして、初対面の俺たちは同時に同じ言葉を口にした。


「「──お願いします」」


 ──盤を前にした棋士に、それ以上の余分な言葉は不要だった

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